8:同日

 

庄司から送られてきたメッセージと写真に、伊中、いや宮古は息を呑んだ。そこには、宮古もよく見慣れた店内が映っていたからだ。そこは夜な夜な行く場所が無くなった、宮古やその仲間たちが最後に行きつき、たむろする店だった。

 

正直、ソコは不良と呼ばれる自分たちには似合わない程、様々な本に満ちた健全極まりない場所であった。しかし、その店だけが、まだ家には帰りたくない自分たちを受け入れてくれる唯一の場所でもあった。

 

「(あの店、俺達以外にも客はいたのか……)」

 

失礼極まりない衝撃を受ける宮古に、更に小さな混乱をもたらしたのは庄司からのメッセージだった。

 

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早くその場を離れろ!捕まるぞ!金平亭に来い!
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メッセージの下にはマップが添付されている。確かに商店街の端の端の裏にあるような、あの店の存在をお互いに知っているとは思わないだろう。それにしても、捕まるとはどういう事だろうか。

宮古がそう思った瞬間だった。

 

「また紀伊国屋の生徒か」
「は?」

 

振り返ったそこには、宮古達が普段からよくお世話になる制服の人間が立っていた。所以、警察官という職業の大人だ。

 

「あそこは真面目な生徒が多いと思っていたが。さぁ、今は学校の時間なのに、こんな場所で何をやっているのかな」
「…………」

 

まずい。
普段の宮古の姿で捕まるならばまだしも、今は弟である"伊中"の姿カタチをしているのだ。捕まれば弟に迷惑をかけることになる。

ましてや、今年は3年。もうすぐ受験だ。学校をサボって、こんな寂れたポルノ映画館のポスターと共にツーショットを撮っている最中に警察のお世話になっては、弟の名誉は棄損どころか、粉砕してしまう。

 

————
早くその場を離れろ!捕まるぞ!金平亭に来い!
————

 

そのメッセージの意味をようやく理解すると、宮古は庄司とは違い、軽やかに駆け出した。警察を走って撒くなど、体力の有り余る現役高校生にはお手の物である。
弟の名誉がかかった逃走劇だったが、宮古は走りながら込み上げてくる笑いを抑えられなかった。

 

「ははっ、なんだこれ!」

 

宮古は余裕で風を切って走ったのであった。

 

 

 

 

カラン。

そう軽い音と共に開けられた扉の先に居たのは、予想通り肩で息をする伊中の姿であった。そして、またしてもしばらくして扉の向こうから聞こえる「まったく、どこに行ったんだ」という警官の声。
しかし、やはり警官はこの店の扉に手をかけることなく、次第に足音は遠のいていった。

 

もしや、ここには一般人には見えなくなる魔法でもかかっているのではないだろうか。
そう、庄司が疑いたくなるのも無理はないほど、警官は先程も今も、この店を気にかけている様子は一切なかった。この辺りで2人も高校生を見失っておきながらスルーとは、あの警官に魔法がかけられているのか、この店自体に魔法がかかっているのか。

 

しかも、やはりおかしいのは、この店主である。店主は新しい来客にも、警官の声にも無反応で、視線を上げる事なく本を読み続けている。
それなのに、だ。

 

「話には聞いていたが、お前までそんなバカな事をしているのか」

 

店主は飛び込んできた伊中に対しても、親しげに言葉を放つ。
しかも、先ほど庄司にかけたのと、まるきり同じ台詞を、だ。その言葉が一体どういう意味を持つのか、庄司には理解できなかったが、店に飛び込んできた伊中は、どこかバツの悪そうな顔で「まぁ」と、モゴモゴと意味のない言葉を紡ぐだけだった。

どうやら、その言葉のやりとりからするに二人も顔見知りのようだ。

 

「(この店、俺以外にも客は居たのか)」

 

庄司にとっては二人が顔見知りな事よりも、先ほど店主が伊中に放った言葉よりも、圧倒的にその事実の方が衝撃的だった。しかし、それが失礼極まりない衝撃とは、庄司は露程も思わなかった。

 

「伊中、おつかれ。よく捕まらずにここまで来れたなぁ」
「庄司……まさか、お前も」
「そのまさかだよ。紙一重で警察に補導されるところだった!」
「事前に言えよ!俺も捕まるところだっただろうが!」
「いや、お前まで学校サボって来てくれるなんて思わねーじゃん!」
「まぁ、そうだけど」

 

そう言って「確かに」と口ごもる伊中に、庄司は込み上げてくる笑いを抑えきれなかった。まさか暇だと連絡をして、こんなにすぐに来てくれるとは思ってもみないではないか。

この学生服姿で出来た、唯一の繋がりである山戸伊中という男子高校生。
彼は庄司の予想よりもずっと、庄司の事を気に入ってくれているようだ。そして、それはもちろん庄司だって同じだった。
こうして来てくれた事が、庄司には純粋に嬉しかった。

 

「伊中、来てくれてありがとな」
「……まぁ、授業受けてても暇だしな」
「だな」

 

授業なんてもう何年も受けていないにも関わらず、庄司は反射のように頷く事ができた。今思えば、同じ服を着た等数の男女が集まって学び合う場所というのは、中々面白いとも思うのだが、確かに当時はそんな事など思えなかった。

それもそうだろう、それこそが当時の"日常"だったのだから。

 

「てか、伊中も金平亭の事、知ってたんだな」
「まぁ、な。たまに、来てる」

 

伊中の"たまに"という言葉のところで、店主の「フッ」という鼻で笑う声がかぶる。あの本は、そんなに笑えるタイプの本だったのだろうか。

 

「まぁ、ここも俺達みたいな特異な客が居るから潰れずに済んでるんだろうしな。じーさん、感謝しろよ」
「お前は十数年ぶりだろうが」
「ぐ」

 

一切顔を上げないまま、余計な事を言ってくる店主に、今度は庄司が言葉を詰まらせる番だった。チラリと伊中を見ると、明らかに「そんな昔から来てんの?」と驚きを含んだ表情でこちらを見ている。

 

「お、お父さんがここの店好きでさ。よく連れて来られてたんだよ。今日は暇だったし久々に来てみたってワケ。ほら、伊中も早く座れよ。ここはブックカフェだ、一緒に本を読もうぜ」
「お、おぉ」

 

庄司は一気にまくしたてるように言うと、自身の隣のカウンター席をポンポンと叩いた。カウンターには既に珈琲も置いてある。先に庄司が頼んでおいた、伊中の為の珈琲だ。
そして、ここにきてふと時計を見ると時間は既に13時を回っている事に、庄司は気付いた。

 

「伊中、腹減ってないか?俺、昼飯まだなんだよ」
「まぁ、俺もそうだけど」
「よっしゃ、なら何か食おうぜ。せっかく来てくれたんだし、ここは俺が奢るよ、先輩」
「マジか。なら食う」

 

奢ると提案した瞬間、伊中の戸惑ったような表情は一瞬にして消え去り、そこには腹を空かせた育ちざかりの男子高校生が目を輝かせていた。その顔を見た瞬間、庄司はラーメンを食べる前で本当に良かったと思った。なんなら、ラーメンは夜にでも伊中を誘って行けばいい。

あぁ、楽しくなってきた。

 

「じいさん、クラブハウスサンドとか色々メニューあったよな?なんか作って。てか、メニューは?」
「…………」
「え、無視?」
「……お前が来てから、まともに本も読めん」
「いや、読むなよ。仕事しろよ」
「メニューは昔と変わっとらん。好きにしろ」
「は?」
「ここにあるモノも、場所も、何も変わっとらんと言ってるだろうが」
「それって、まさか……俺に作れって言ってる?」
「…………」
「また、無視だよ」

 

何も変わっていない。それは、庄司がここでアルバイトをしていた3年間と"変わっていない"と言っているのだろう。メニューも材料も、それを置いてある場所も。そして、調理器具さえも。

確かに、当時も庄司はバイト半年後には何故か調理まで担当するようにはなっていた。客の少ないこの店では、接客から調理まで、やろうと思えば一人でやれない事もない。それなのに、当時からこの店主はバイトを雇い、自分は常に本を読むか、腰が痛いからと病院に行ったり、フラリと散歩に行ったりと驚くほど自由だった。

 

そこからは、庄司が何を言っても店主はうんともすんとも言わなくなり、パラパラと本の頁をめくる音だけが響く。
最早、庄司も完敗だった。腹も限界だ。

 

「わかったよ。自分でやるよ。その代わり料金は30%は割り引いてもらうからな」
「定価に決まってるだろう」
「このクソじじいが!」

 

庄司は舌打ちをすると、カウンターの中に入った。そんな庄司の姿を、伊中はポカンとした顔で眺めている。

 

「庄司、お前出来んの?」
「お父さんに習ったから大丈夫だよ」
「お前のお父さんスゲェな」

 

もう、やけくそだった。これから何かあったら全部父親に習った事にしておけばいい。飛行機が墜落しそうになり間一髪で不時着させたとしても、"ハワイで父親に習った"で通用する世界だってあるのだ。料理くらい、まだ地に足がついているというものだ。

 

その後、庄司は慣れない手つきではあるものの、しっかり体は覚えていたようでクラブハウスサンドと、ミートソースのスパゲティ、それにピラフとカレーを作ってやった。
正直男二人でこれは足りない可能性があるなと、通常店で出すよりも全部倍量で作ったところ、出来上がったソレに庄司は完全にやり過ぎたと思った。

 

多すぎる。

空腹の余り目算がかなりトチ狂っていたとしか言いようがない。さすがの庄司も学生服を着ているとは言え、中身は加齢を伴った30歳目前の男である。無理して食べれば胃もたれ必須だ。

しかし、どうしたものかと完成した料理を茫然と眺めていた庄司のソレは、ただの杞憂に終わった。

 

「うっま!」
「お、おぉ。そりゃ良かった」

 

伊中の、いや、男子高校生の食欲には最高の芸術的価値があると心の底から思えるほどに、その食べっぷりは見事なものであった。山のような料理がみるみるうちに空にされていく姿には、謎の高揚感すら覚えた。

 

「やべぇな、これ二人で足りっかな?俺ばっか食ってるみたいだけど、庄司は大丈夫か?俺が食い過ぎてるなら言えよ」
「いや、いや!俺もめっちゃ食ってるから!伊中、お前は思うままに食え!」
「そうか?なら良かった!」

 

感嘆、快感、拍手。そして、完食。

 

「伊中、お前凄いな!」
「どっちが凄いんだよ!こんなの作れる伊中の方がすげぇだろ!」

 

そんな風に目を輝かせながら褒めてくる伊中に、庄司は顔がだらしなくニヤけてしまうのを止められなかった。毎日仕事をしていて、こんなに無条件に褒められた事が最近一度でもあっただろうか。いや、ない。

ただ、ちょっと料理しただけで、こんなに褒めてもらえるなんて。
庄司は日々の仕事で乾ききった興味関心意欲、おまけに自尊心がムクムクと回復していくようだった。

 

「庄司、お前も将来店とか開けばいいのに」

 

こんなに旨いもん作れるんだから。
そう、何の気なく伊中から放たれた"将来"という言葉に、それまで静かに自身の中に隠れていたサラリーマン姿の庄司が、制服姿の庄司を押しのけて言った。

 

「そんなの無理に決まってるだろ」

 

そう、乾いた笑いとともに、なんの障害もなく口をついて出た否定の言葉。その言葉に、伊中は「そうか?できそうだけどなぁ」と食後の珈琲に興じている。ちなみに、それも庄司が淹れてやったものだ。

 

「…………」

 

"そんなの無理に決まってるだろ"
その言葉に対し、高校生の庄司も反論する事はできなかった。なぜなら、伊中の言う将来は、既に庄司の"今"である可能性が高いからだ。

 

ただ。ただ、何故だろう。
まだまだこれから、広い世界を前にするであろう伊中からの、きっと深い意味のないかもしれない"将来"という言葉を、いとも簡単に否定してしまった自分に、庄司は心底嫌気がさした。

 

いくら制服を着たって、中身は冴えない有休中のサラリーマンだ。
そこから逃げ出したくて、こうしてハロウィンと称し仮装しているのに、どうしてその自分自身が、その事実へ進んで近づいてしまっているのだろう。

 

「どうした?庄司」

 

急に黙り込んだ庄司に、伊中が心配そうに顔を覗き込んでくる。その顔には、数日前に不良たちにつけられた傷はなく、もう綺麗になっていた。
若いと、治りも早いらしい。

 

「なぁ、伊中。逆に聞くけど、伊中先輩は将来何になりたいんだ?もう3年って事は色々進路決めなきゃだろ?参考までに聞かせてくれよ」
「俺?」

 

逆に聞き返して、庄司は自分の嫌な何かから目を逸らした。心の中で、高校生の自分が拳を強く握り締めているのを、今はただ黙って見ている事しかできなかった。

 

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