9:同日

 

 

 

「俺?」

 

逆に聞き返されると思っていなかった宮古は、思わず口をつぐんだ。目の前には、ほとんど自分が食べつくした空の皿たち。隣には、先ほどまでとは少し様子の違う庄司の姿。

庄司はうまく隠しているつもりかもしれないが、宮古が"将来"と口にした瞬間、それまでホワホワと喜びを露わにしていた表情が一瞬にして曇ってしまった。

 

「(なんか、気に障ることでも言ったか)」

 

宮古は普段ならあまり思わないような事を、自然と考えてしまった自分に驚いていた。相手をおもんばかる事などしてこなかった宮古にとって、こういう時、一体相手にはなんと言えばいいのか分からない。

しかし、宮古は本当にそう思ったのだから仕方がない。
庄司は、フワフワと掴み所がなく、しがらみもないように見える。昨日の痴漢の件と言い、先ほどの警官に追いかけられた件と言い、どこか危なっかしい。
しかし、きっと庄司にはそれだけではない"何か"も感じるのだ。

 

その"何か"が何かはわからないが、できれば庄司には笑っていてほしい。そう、ガラにもない事を宮古は自然と思ってしまった。

だから、言った。

 

「大工、さん」
「……大工さん?」

 

庄司の目がひと際大きく見開かれ、その視線は宮古へと吸い込まれていく。

 

「そう、大工さん」
「…………」

 

宮古は重ねるように、もう一度ゆっくりと言った。
きっとバカにされるだろうと思い、今まで誰にも言った事がなかった将来の夢をハッキリと口にした。
何故だから分からないが"将来"に表情を曇らせる庄司に、嘘をついてはいけないと思ったのだ。それに庄司になら、夢を笑われてもいい。逆に、笑ってくれとすら思った。

 

「ははっ!」

 

笑った。庄司特有の、カラッとした笑い方だ。やはり、笑われたって、庄司になら腹が立たない。きっと他の人間だったら、手を出していたかもしれないのに。

 

「いいな!大工さん!昔俺もなりたかったよ!建築関係!憧れるよな!かっこいいもんな!」

 

そう言って手元にあったブルータスの建築特集を見せてくる庄司に、宮古もつられて笑ってしまった。初めて自分の夢を口にした。
それは思っていたよりも恥ずかしい事では全然なかった。恥ずかしくなんてない、ただ、それは楽しい事だった。

 

「でも、なんで大工さんなんだ?設計とかデザインじゃなく、建てる方?」
「俺のじいちゃんが大工の棟梁やってて、それが恰好良くて。でも今は建築デザインの方も興味があるんだ」

 

大工さん。
小学生の男の子の夢でも昔からよくあるもの。そして身内がやっていた事がきっかけなんて、ありきたりな理由。けれど、宮古が話をすればするほど、庄司の表情はどんどん明るくなる。先ほどの微かに浮かんだ陰りなど、今や見る影もない。

 

「へぇ!じいちゃんが大工の棟梁とか格好いいな!男の子の憧れじゃん!でも、確かに設計とかデザインの方と迷うかもなー!」
「だろ。近くで見てた分、仕事も大変なのはわかってるし。やっぱり個人の下請けって良い時と悪い時の差もあるしな。でも、やっぱ、憧れてて……でも、建築の勉強とかもしてみたいから、進学とかも考えてるんだけど、あんま頭良くないから、行けたとしても私立しか行けないんだよ」
「うんうん、確かに進学はめちゃ金がかかるんだよ!特に私立!わかるー!」

 

宮古は口にすればするほど、自分はそんな事を考えていたのかと驚いた。ずっと頭の中で渦巻いていた形にならない将来像や、自分の気持ちと、今まさに対話しているようだった。

 

自分の事を話すのは苦手なハズだった。
それなのに、今は自分をそんな風にはちっとも思えない。
これは弟である伊中の姿を借りているからか、それとも目の前で表情豊かに話を聞いてくれる庄司のせいなのか。

どちらにしても、宮古にとっては"今"がとても楽しい事だけは確かだった。

 

「ただ、俺ん家、双子の弟も居るし。そいつは頭良いから絶対に進学する筈なんだよ。でも、一気に二人も大学はさすがに無理だからな」
「はぁ!?双子!?お前急にびっくりするキャラ設定をサラッと出すなよ!」
「あ?双子ってそんなに珍しいか?」
「珍しいよ!学年に1組居たら有名人だよ!って、違う!問題はそこじゃねぇよ!伊中!まさか、お前、弟に気遣って進学諦めようとしてんのか!?」

 

楽し気に話を聞いてくれていた庄司の表情が、またしても一気に曇った。しかし、それは先ほどのような言い知れない不安をもたらすようなものではなく、ただ単純に宮古を思ってのものだと分かった。怒っている庄司には申し訳ないが、それは宮古にとって想像以上に心を満たすものだった。

自分の将来に対し、こんな風に言ってもらえるなんて、今まで一度も考えた事はなかったから。

 

「いや、俺は諦めてない」

 

だから、宮古ははっきりと庄司の目をみながら言った。掴み所のない、庄司の、その視線をしっかりと捉えながら。

 

「……本当か?弟に気を遣って、双子の癖に長男ぶってないか?」
「双子を引きずってくるな、お前。てか、ぶってねぇし。もともと、大工さんっつーか、建てる方も憧れてた訳だし。それにさ」
「それに?」
「来年から、じいちゃんの知り合いの所で修行させてもらうようにお願いしてあるから、俺はそこで働きながら、金貯めて進学してもいいんじゃないかって思ってる。それなら、どっちもやりたい事やれるし」

 

こんなの、弟の伊中にも話していない。もちろん、両親にもそうだ。
口下手だし、言ったらバカにされるか、両親からは反対されると思っていた。
祖父は大工で大成できたとは言い難い上に、いつもどこかを怪我していた。憧れだけで、やれるものではないと幼い頃には両親からも釘を刺されている。だから、口に出さないようにした。否定されると面倒だから。弟のように上手く伝えられる気もしなかったから。

 

それに、別に誰に言わなくても支障はなかった。自分で淡々とやるべきことだけやっていけばいいと思っていた。

なのに。

 

「……かっこいいなぁ、伊中は」
「なんだよ」
「いや、本当に。本当の、かっこいいヤツだよ」

 

宮古はただ自分の将来を考えた。そして、それを庄司に話した。

ただそれだけの事なのに、どうして庄司はこんな泣きそうな顔をするのだろう。
笑ってくれたと思ったら、泣きそうな顔をする。本当に、まったく掴めない人間である。

 

それが好ましかった筈なのに。
宮古はいつの間にか、掴み所のない目の前の後輩の"本当"を手にしてみたくなった。

 

「庄司……お前だって、すごいだろ」
「すごくねぇよ」
「俺を助けてくれたし、昨日も痴漢から女の人助けたんだろ。料理だってこんなに上手に作れるし。それじゃ、ダメなのか?」
「…………」

 

 

 

 

 

「…………」

 

伊中の問いに、庄司は心の中のサラリーマン姿の自分が『そんな事に何の意味がある?ダメに決まってるだろ』と言うのを聞いた。

そうだ。そんな事に何の意味がある。
この若さと未来を、その両手に有り余る程に持つ伊中には、きっと今の庄司の先の見えない状況など、まるで理解できないだろう。『俺はもう"終わった"やつなんだよ』サラリーマン姿の庄司が、恥ずかしくも29歳で高校の制服なんぞに身を包む、自分自身に言い放った。

庄司が、そう自分で自分にトドメを刺してしまった時だった。

 

「庄司。飯、美味しかった。ご馳走様でした」

 

伊中が空の皿に向かってパンと手を合わせた。そして、チラリと横目で庄司を見てきたかと思うと、ニヤリと笑って言った。

 

「また、作って」

 

目の前には綺麗に食べつくされ、米粒一つ残されていない皿。

 

"また、作って"
そう、無くなったら、また作ればいいだけの話で。
終わったら、次への約束を繋げばいいだけの話で。

 

「(本当に、俺はもう"終わった"人間なのか?)」

 

自問自答。
庄司は自分自身に問いかける。欲しいのは正しい"答え"ではない。
庄司の内にある、自分の気持ちだ。

 

ここにきてやっと拳を握りしめるだけだった高校生の自分が、サラリーマンの自分の前に立ちはだかってくれた。

『だめじゃねぇよ!否定ばっかすんな!ばーか!』と。

今の自分を、自分がダメにしてはいけない。なんの為に、今こうしてここに居ると思っているんだ。

 

「ダメじゃねぇな!俺ってすごい!」

 

庄司は伊中を見てカラカラと笑ってみせると、手元にある大好きで仕方がなかった雑誌達に目を落とした。最近、読んでいなかった。また、読んでみよう。きっと、ワクワクするに違いない。

 

「ありがと!伊中!」
「っ」

 

庄司はまた明日は何をしようかと心を躍らせた。いや、それよりもまだ今日は終わっていない。

 

「なぁ、伊中。ここでしばらく本読んだら、夜は一緒にラーメン食いにいかね?」
「いいな、行こう」
「あと、ゲーセンも行っちゃうか!」
「ゲーセンとか最近行かねぇな」
「マジ?なら、なおさら行くべき!俺のスティックさばき見てくれよ!」
「何のゲームだよ。まぁ、行くけど」
「でさ、明日は一緒に学食行かね?」
「学食もいいな。行こう」
「伊中!お前スゲーいいヤツ!最高!お前もやりたい事あったら言えよ!一緒にやろうぜ!」
「わかった」

 

こうして、また明日、また明日と、次の日の約束が積みあがっていく。

明日は伊中と共に学食に行く。伊中とであれば、きっと学校も少しは馴染みつつ見て回れるだろう。
その後、二人はケラケラと笑いながら雑誌を読み金平亭で過ごした。いつの間にか店主は席を外しており、喫茶店の入口には【病院の為、16時頃帰宅します】と張り紙があった。
その店主の自由さに、二人はまたしても笑った。

 

「金を払え」
「…………」

 

そして、帰宅した店主から庄司はきっちり全金額の勘定を取られたのには、やっぱり釈然としなかった。

 

「いこうぜ!伊中!」
「おう!」

 

暗くなった商店街に飛び出していく二人の背を、店主は一息ついて見送った。若いと、あぁも軽やかに歩けるのか。

 

今日も、二人は風を切って歩いていく。

 

 

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