25:同日

 

 

 

 

 

 

 

山戸 伊中は悩んでいた。

 

 

隣には同じく難しい表情を浮かべる坂田の姿。
現在、二人は伊中の自室に居た。そして、その二人が同様に見つめる先には、伊中の兄である山戸宮古の部屋があった。

 

「ねぇ、坂田。隣からウンともスンとも音がしないんですけど」
「あぁ、そうだな」

 

伊中は未だにその頭髪を七色に輝かせたまま「うーん」と頭を抱えた。その髪色は時間が経つにつれ、更に色が抜け明るさを増し始めている。本来であれば、この日は朝から宮古の通っているという美容室に連れて行ってもらう予定だった。しかし、それは正午を過ぎた現在も尚、未だ叶わずにいる。

 

「いやね、宮古があんなに落ち込むとは思わないじゃん?」
「橘庄司がまさか、在校生じゃなかったとはな。確かにあのプレゼン力は高校生あるまじきものがあったが」
「……ていうか、坂田がいけないんだよ?あの写真を見て『橘庄司はもしかしてもう死んでるんじゃ……』なんてアホみたいな仮説を立てるから!おかげで宮古が本気にしちゃったんじゃん」
「いや、本当に悪かった。まさか、あんなに信じ込むとは思わないだろう」

 

そう、前日の生徒会室での一件から、宮古のテンションは明らかに急降下した。それもこれも、坂田の『あの橘庄司は未練を残して死んだ生徒会長の残留思念だったのではないか?』という、急に感情を揺さぶる切ないホラーミステリーを語り始めたのが全てのきっかだった。
その後、二人からの盛大なるフォローも空しく、宮古は表情こそあまり大きく変化させる事はなかったが、その背中に大層な悲壮感を残したまま家路についたのであった。

 

「いや、今はね。ほんとソッとしておいてあげたいのは山々なんだけどさ、俺もこの髪抱えて生きていくわけにもいかないし……」

 

そうなのだ。
伊中は最後に見た“しょんぼり”を全身全霊で体現するような宮古の背中に、この日1日はそっとしてあげたいのだが、如何せん事は急を要する。今日こそは宮古行きつけの安心と信頼の美容室へ赴き、黒染めをせねば明日からの学校生活に大いに支障が出るのだ。

 

「今後どころか、明日からはお前に来てもらわないと困るぞ。あらかたの仕事は木曜に橘と終わらせたからいいが、例の件についてはお前と俺で進めないと」
「残留思念が聞いて呆れる仕事量だよ……。っていうか!俺だって早くこんな髪からおさらばしたいよ!」
「……仕方がない。俺が染めてやろう」
「嫌だ!坂田、絶対失敗しそうだもん!お前、髪なんて染めた事なんてないだろ!」
「まぁ、そうだが……他の色ならいざ知らず、黒だぞ?全ての色の行きつく先である黒に、失敗なんてあるか?」
「その考えこそが既に失敗臭を漂わせてる!もう素人にだけは俺の髪の毛は触らせん!」

 

伊中は昨日から宮古に借りたままになっている帽子を深く被ると、坂田から一歩後ろに退いた。これ以上、自身の髪の毛や頭皮に無駄なダメージを負わせる訳にはいかない。

 

「あと1時間待とう。それまでに宮古が部屋から出て来なかったら、もう悪いけど部屋に乗り込むしかないね」
「そうか……」

 

明らかに残念そうな表情を浮かべる坂田に、伊中はあの日、自身の髪の毛を七色に染めてきた不良達と同じ匂いを坂田に感じた。
坂田は口調も固く眼鏡姿で一見大いに真面目そうに見えるのだが、随所に“こういう所”がある。

 

楽しそう、面白そう。だったらやってみようではないか。という方程式に忠実に従う。思慮深そうに見えて失敗も成功も余り念頭に入れていないのだから、まったくもって油断ならない。
しかし、だからこそ坂田と過ごしたこの3年間で、伊中の無謀とも言えるような発案にも坂田が「否」を唱えた事は一度もなかった。二言目には「そうか、お前が言うならやってみるか」と、特に思案する事なく背中を押して共に走ってくれた。

 

もうすぐ終わりを迎えてしまう高校生活のその全てにおいて、自信をもって楽しかったと言えるのは、この坂田の存在が大きいのは言うまでもない。
すると、先ほど坂田が庄司のプレゼンに対し「高校生とは思えないプレゼン力」と称していた事をふと思い出した。なんだか無性に面白くない。

 

「なぁ、坂田」
「なんだ」
「橘庄司って、どんな人だった?」
「……それは昨日から何度も話したと思うが」
「違う。坂田、お前がどう思ったかが知りたいんだ」

 

伊中の言葉に坂田は「ふむ」と顎に手を当てると、何かを思い出すように目線を彷徨わせた。そんな坂田の様子に、伊中は思わずゴクリと唾を呑む。一体、自分が何にこんなに緊張しているのか、伊中自身よく分からなかった。

これまで、伊中は橘庄司を“文章の中の人”としてしか見ていなかった。卒業生故、この世のどこかに実在している事は理解していたが、それでも実際会う事のない人物の筈だった。だからこそ、伊中は橘庄司相手に純粋な“憧れ”を抱く事ができたのだ。強いていうなら、漫画の好きなキャラレベルの感情である。

 

しかし、その本の中の登場人物だった人物が伊中の生きるフィールドに突然躍り出て来た。そうなると、少しだけ話が違ってくる。純粋な憧れだけで、その気持ちは形成されなくなってしまった。とりわけ、自身が最も信頼を置いている坂田が彼をどう思ったのか。
伊中はそれが妙に昨日から引っかかって仕方がなかった。

 

「そうだな……橘は生徒会全員分のスペックを持っている」
「……優秀だったんだ。やっぱり」

 

嫉妬。
その言葉がはっきり脳裏に過る。他でもない坂田の口から語られるのが、自分以外の優秀な生徒会長なんて許せない。伊中は自分が言わせたにも関わらず、徐々に聞かなければよかったと本気で思った。

 

「と、自分で言っていた」
「は?」
「けれど、どちらかと言えば橘は、チェック業務は苦手なようで、会計的な能力の部分はやや落ちる」
「あ、あぁ」

 

いや、そういうステータスの数値的な事を聞いている訳ではないのだが。しかし、坂田の勢いは留まる事を知らずツラツラと“橘 庄司”の能力パラメータを細かく分析し述べていく。いや、だから、聞きたいのはそういう事ではないのだ。そう、どこかで止めなければと伊中が口を開こうとした時だった。

 

「特に生徒会長として言うならば、圧倒的に伊中の方が上だ。企画立案、そして他者への統率力、どれを取ってもお前の方が完璧に上回っている。だから、あの言葉は完全に自己評価が過ぎるな。やっぱり俺はお前以外の生徒会長なんて考えられない」
「…………」

 

先程のパラメータをツラツラと述べる、まさに同じテンションでなんて事なくそんな事を言うものだから、伊中は思わず閉口するしかなかった。そして、それを言う坂田の耳が多少なりとも赤みを帯びているのを見ると、どうやら恥ずかしいのを我慢して言葉にしてくれたらしい。

 

『坂田は伊中の事が好き過ぎて気持ち悪いから友達じゃない』

 

そう、宮古が言っていたのを思い出した。どうやら、余り不安に思う事などなかったようだ。
しかし、面と向かってこんな事を言ってくれる坂田が珍しく、伊中はもう少しだけ意地悪をする事にした。

 

「けど、例の件を通せたのは橘庄司あってこそでしょ……俺なんか」

 

少しだけ俯いて、落ち込んだ素振りを見せる。すると、坂田は焦ったように身を乗り出し、伊中の肩をガシリと掴んだ。その手は異様に熱く、伊中は思わず体を揺らした。

 

「何を言っている。お前だって月曜に直談判に行っていたら橘のように話を通す事ができた筈だ。たまたま金曜に橘が良いところを持って行っただけで、お前でもきっとやっていた。伊中の方が凄い。橘も言っていた、この企画はどこを取っても素晴らしいと。俺だってそう思う」

 

自分から仕掛けた意地悪だった筈なのに、坂田のまっすぐな言葉にどんどん体の内側が熱くなるのを感じる。

 

あぁ、そうか。
伊中はやっと理解した。ちょっとした意地悪のつもりだったが、坂田の口から「橘庄司よりもお前の方が凄いんだ」と最初から言ってもらいたかっただけだったのだ。

 

「…………」
「どうした、伊中」

 

初めて坂田からこんな事を言われた。しかし、それは初めて伊中が坂田に弱音を吐いたからに他ならなかった。二人はいつも放課後になると競って肩を並べ、生徒会室へと駆け抜ける、そんな二人だった。
友達であり、仲間であり、相棒であり、ライバルであり。
坂田は伊中の中にある関係の数多くの役割を担っている。

 

なんてことだ。坂田はこの3年間で、伊中にとってここまで必要不可欠な存在になっていたとは。
伊中は沸々と湧き上がる感情に、どうしようもなく顔が熱くなるのを止められなかった。どうしようか。このままではこの熱が坂田にバレてしまう。

そう伊中が思った時だった。

 

「お前ら、何やってんだ」

 

バンと、容赦なく部屋の戸が開け放たれた。
そこに立っていたのは、伊中が心待ちにしていた人物。兄の宮古であった。その顔はどこか憮然としており、ノックという概念が宮古の前では一切存在しない事を如実に表していた。

 

「なんで、ここに坂田がいるんだ」
「宮古か、やっと来たな。伊中が髪を染めるっていうからついて行こうかと思っている」
「お前、伊中大好きだもんな。キモチワリ」
「昨日、橘の件であれほど落ち込んでいたお前に言われたくないんだが」

 

そう、目の前で軽快に交わされる会話。伊中はその瞬間を見計うと、溜まった熱を放出するように頭を左右へと振った。あぁ、命拾いした。ちょうど良い所に宮古が来てくれた。そう思った矢先。

 

「伊中。お前、顔真っ赤だぞ」
「お前滅びろよ!?」
「なんでだよ……てか、その帽子返せ」

 

言うや否や、宮古は容赦なく伊中の身に着けていた帽子をはぎ取り、流れるような動作で自身の頭へ被せた。

 

あぁ、命拾いして、またすぐに命を捨てる羽目になった。しかも、わざわざ明言してくるのだから更に性質が悪い。捨てるどころかトドメを刺されてしまったではないか。お陰で、坂田からの視線が今や突き刺さるように伊中へと向けられている。

伊中はその視線を大いに無視すると、その苛立ちをぶつけるように宮古へと食ってかかった。

 

「いや、帽子とかは最早どうでもよくって!それよりも大事な事があるだろ!」
「なんだよ」

 

本気で訳が分からないと言った表情を浮かべる宮古の姿は、昨日とはうって変わってケロッとした様子だった。

 

「美容室!宮古が行ってる所に連れて行ってくれるって約束しただろ!」
「あ?別に忘れてねぇよ」

 

そう言う宮古の格好は確かに出かける用意は出来ているようで、しっかりと着替えが済んでいる。

顔は全くもって普段の伊中そのものなのだが、好む洋服の種類が異なる為、制服という決まった装いから一歩離れると、二人はまるで別人のようだった。
カーキやベージュといった柔らかい色合いのシャツやパンツを好む伊中とは異なり、宮古の服装の基調は黒だ。今は伊中を模して髪色を黒にしている為、地味に見えるが普段の彼の髪色を考えると、十分にバランスの取れた格好となる。

 

「俺もお前と一緒に髪、戻すから」
「宮古は黒のままでもいいんじゃない?」
「これは……俺じゃない」

 

そう、宮古の普段の髪色は黒ではない。赤だ。
そして、互いに髪色が戻れば、最早この二人を双子だと見間違う人間も居なくなるだろう。所詮、人間の見た目などは着飾り方で大いに変化するものだ。その着飾りこそが、個人の在り様を大いに形作るものであるのだとすれば、確かにこの1週間、本当の意味で自分達は入れ替わっていたのだと、伊中は改めて痛感した。

それを、世間がハロウィンだ何だと騒ぎ立て、仮装して練り歩くこの日に解くのだから、皮肉と言えば皮肉なものである。

 

「15時に予約してあっから、どっかで飯食っていくぞ」

 

そう言って軽く欠伸をしてみせる宮古に、それまで黙って様子を見ていた坂田が眉を顰めて口を挟んできた。

 

「宮古、橘の事はいいのか」
「…………あぁ」
「いや、待て。お前のような不器用なヤツがこんなに一気に立ち直れるとは思えん」
「……なんだよ」

 

坂田の詰問に宮古は珍しく言い淀む。加えて坂田からじわりと目線を逸らす始末。そんな宮古の様子に、伊中も沸き立つ興味を抑える事が出来ず坂田の援護射撃に入る事にした。美容室が予約済なのであれば、伊中の懸案事項は無くなったと言ってもいい。心置きなく普段では見れない兄の姿を楽しめるというものだ。

 

決して先程の事根に持っている訳ではない。決して。

 

「橘庄司から連絡でもきた?」
「……きてない」
「はい、嘘。宮古、俺を舐めないでよね。何年宮古と兄弟やってると思ってる?」
「18年」
「その即答いらないから」

 

明らかに話を逸らそうと下手くそな話題転換に挑む宮古に、伊中はニヤける顔を止める事ができなかった。本当に、こんな宮古は初めて見る。話すのが苦手な癖に、それを伊中相手に誤魔化そうと必死になるなんて。挙句、「よく寝たら、忘れた」などと言い張ってくるのだから、言い訳の仕方が小学生並みである。

 

「今日、橘庄司と遊ぶの?」
「……あそばない」
「はい、嘘。遊ぶのが俺にバレたら会わせろって言うだろうと思って隠してるんだ」
「…………」
「ほーら、図星だ。宮古の考えてる事なんて全部お見通しなんだよー!」

 

そう言って愉快愉快と兄の背を叩く伊中に、宮古は表情からスンと色を無くすと、持っていた携帯を手早く操作し次の瞬間ソレを耳に当てた。

 

「山戸です」
「え、なに?急に何どこに電話してるの?橘庄司?」
「さっきの予約、2名から1名に変えてください」
「わーーーーー!ごめん!ごめんて!ごめんなさい!もう言いませんから!」

 

明らかに美容室にキャンセルの電話を入れ始めた宮古に、伊中は先ほどまでの余裕の表情を一気に消し去り、宮古に土下座せん勢いで縋りついた。そんな兄弟の悲喜こもごもを、一人っ子たる坂田はどこか興味深い気持ちで見つめていた。

 

「宮古ごめんー!もう橘庄司については突っ込まないから許して!」
「言ったな」
「うん……へ?」

 

急に、何も映っていない自身の携帯画面を目の前に突き出してくる宮古に、伊中は一瞬で理解した。どうやら謀られたようだ。電話自体、どこにもかけていなかったらしい。宮古にしては迫真の演技であった。

 

「宮古の癖に!どこでそんな駆け引きを教わった!?橘庄司か!」
「今度は本当にかけるぞ」
「すみません!もう触れません!」
「約束は守れよ」
「くっそう!」

 

伊中は「くう」と悔し気に拳を握りしめると、口喧嘩で初めて兄に負けたという絶妙な初体験に、傍に立っていた坂田を代わりに何度も叩き、その憤りを発散した。悔しくて仕方がない。

 

「兄弟喧嘩は見ていて面白いな。興味深い」
「……これだから一人っ子は」

 

坂田の楽し気な様子に伊中は肩をすくめると、いつの間にかこちらに背を向け「メシに行くぞ」と部屋を出ていこうとする宮古の背中を目で追った。

 

本当はこの頭で外食などは避けたいのだが、幸か不幸か今日はハロウィンだ。きっと町では、夜にかけて仮装した人間が増え始めているであろう。伊中はこれが最後の仮装だと、その躊躇いにケリを付けると、ごきげんな髪色に習い、少しだけ胸を躍らせて歩くことにしたのであった。

 

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