その8:仲良しになったものの

 

最近、よく考える。

俺は死んでなかったら、どんな大人になってたのかなって。

死ななかったら、俺は今もお前の隣で笑ってたのかなって。

そう考えて、ちょっと思った。

 

俺、死んだけど結局お前の隣に居るなぁって。

俺達、どんだけ腐れ縁なんだろうな。

 

なぁ、一郎。

 

 

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その8:仲良しになったものの

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あの日から、一郎は変わった。本気で、本当に、魔法にでもかけられたように、変わった。

「せんせー!解けたー!」

「解けたー!じゃねぇよ。解けましたーだろ?」

「先生!私もできましたー!」

「はいはい、わかったから、終わった人はきちんと並べー!」

 あの日、俺が一郎と準備室でよくわからない気持ちの邂逅を果たした次の日。

 一郎は、ものの見事に変わっていた。

 睨みつけるような視線しか送ってこなかった目は、今では人懐っこい笑みを浮かべ、他人を遠ざけるような厳しい敬語も、今では砕けた喋り方へと変わっていた。

 あの変貌ぶりには、クラス全員が思わず目を見開いたものだ。

 ただ一人、全く空気の読めない俺の第2の幼馴染だけは、一気に変わった一郎の変化を、これまた一瞬で受け入れてみせたが。

 

『せんせー!ごきげんだ!』

 

 そう言って笑ったイチローに、大物のオーラを見たのは俺だけじゃない筈だ。

 そんなわけで、一郎が奇跡のキャラ変……と言っても多分こっちが素なんだろうが。

まぁどちらにせよ、一郎が変わった事によって、一時はどうなる事かと思われた俺達5年2組の先行きも一気に明るいモノへと変化した。

 今ではイチローだけでなく、他の怯えきって居た生徒達も一郎の激変に慣れ切っていた。今となっては最初のあの厳しかった一郎の方が幻想の賜物だったのではないかと言われている程だ。

 もともと一郎は周りを惹きつける人間性を持っていた為、今では一郎も《優しくてカッコイイ一郎先生》としてクラスの人気者だ。

 その変化に一番喜んだのは、他でもない俺自身だ。

あの初日の調子でこれから2年間、卒業するまでの学校生活を貫かれたら、いくら俺でも胃に穴が開くところだった。

 というか、一郎は何故あんな作ったような厳しいキャラで俺達に当たって居たのか。今考えると少しおかしい気がする。

 自分で教師キャラがどうだのと言っていた発言からすると、あの厳しいキャラも事前に作っていたものだろう。

 まぁ、今となってはどうでもいい事なので掘り返す事などしない。無駄に掘り返して、またしても妙な目のつけられ方をしたら、それこそ面倒極まりない。

俺は未だに最初の頃の一郎が怖くて、軽いトラウマになっているのだった。

「おーら、敬太郎!あと答え合わせ持ってきてないのお前だけだぞー」

「っへ!?」

 俺は突然一郎によって名前を呼ばれた事に驚くと、一瞬にして今が何の時間だったのか思い出した。

 今は算数の時間だった。しかも、小テストの書きなおし。

「え、えーと……」

「けーたろ!もしかしてまだ計算終わってないのー?」

「まったく。委員長が授業中ボーッとすんなよー」

 一郎のその言葉でクラス中が笑い始めた。

 くっそ。俺とした事が。

俺は手元にある、余り良いとは言えない点数の算数の小テストに向き合うと、問題を読み込んだ。

 えーと、なになに。公倍数のを……えぇぇと、公倍数?。公倍数って何だろう。

 俺は周りの視線を集めながら必死に問題を読んでみたが、イマイチよく意味がわからない。

 情けない事に、小学3年生までは理解できていた算数も小学5年生レベルになってくると、早くも理解の限界を迎え始めてきたのだ。

しかし、まさか25歳にもなって、小5の算数で躓くとは思いもしなかった。情けないにも程がある。

「どーした、どこがわからないんだ?」

「っうあ」

 俺が一人、解けない問題を前に焦りまくっていると、いきなり俺の小テストのプリントに影がさした。言わずもがな、俺の頭上で俺を覗き込むように立っているのは、教師としてしっかりと勤めを果たす一郎の姿だった。

「わ、わかります!」

 そんな一郎の姿に、俺はむしょうに自分を恥ずかしく感じると、顔を上げないまま大きく頷いた。だが、俺の上にさした影が消える事はない。

「ほう、じゃあこれ解いてみろ。この3番目の問題」

「えーと、これが、こうだから……35?」

「ちがうよー!けーたろ!そこ36だよ!」

「うっさい!今、まだ考え中だったんだ!」

 畜生。イチローにも算数で負けるとは。

なんで俺は俺に宿題手伝って貰ってるような運動馬鹿に負けてしまっているのだろうか。どうなってんだ、俺の脳みそは。

 あぁ、そう言えば昔一郎と受験勉強してた時もそうだった。俺が教えていた筈なのに、いつの間にか一郎の方が正答率が良かったりして。

まぁ、そうは言っても学校をサボりまくっていた一郎には結構なブランクがあったから、そうやすやすと学力で負けたりはしなかったが。

 しかし、多分あのまま俺が死なずに生きていたら、一郎から成績を抜かれているのも時間の問題だったのかもしれない。

 現にこうして一郎は教師になってしまっているのだから。

 ……畜生。

「敬太郎!」

「……はい」

 沸々と湧いてくる悔しさから、俺は苦々しい表情で俺を呼んだ一郎を見上げると、そこには以前職員室で俺の肩を掴んでいた時の、あの、楽しそうな笑顔を浮かべた一郎の姿があった。既に嫌な予感しかしないのは気のせいだろうか。

「敬太郎。今日は昼休み先生と算数の補習授業だ」

「うっ、え!?」

「わー!けーたろ!ほしゅーだってー!中学生みたいだな!」

「せ、先生!俺、ちゃんと自分で復習するから!」

「ダメだ。ここでつまずいたらこの後ずっと躓く事になるんだぞ?素直に先生の補習を受けなさい。と、言う訳で。給食が終わったら敬太郎は先生の席に来る事」

「……はぁ」

「あははは!どんまい!けーたろ!」

 俺は前の席で面白そうに笑うイチローや、周りでドンマイと他人事気分で笑っているクラスメイトにガクリと肩を落とすと、手元にあるバツの多いプリントに小さくため息をついた。そんな俺に一郎はポンポンと俺の頭を叩き、こちらも楽しげな表情で教壇に戻って行った。

 

ほんっと。なんて情けないんだ、俺は。

 

 

                      ◇

 

 

「ほら、敬太郎。先生の隣に来い」

「はーい」

昼休み。

俺は逃げる事も隠れる事も許されず、手招きをする一郎に机の中から算数のプリントや教科書を取り出す。教室には既に俺と一郎の他には誰も居ない。

そう、給食の時間が終わるや否や、クラス中の男子はイチローを筆頭に運動場へ走って行ってしまった。しかも女子の殆どがその中へ混ざって出ていくところを見ると、今日はクラスでドッジボールでもやるに違いない。普段は「けーたろ、けーたろ」と、うるさいイチローは、こう言う時、清々しいほど、俺を振り返らない。そんな目の前の楽しみだけを純粋に追っていくイチローの後ろ姿に、残された俺はなんとも言えない気持になったのは、つい先程の話である。

「はぁ」

俺は自分の椅子を持ち、教室の一番前、黒板の左隣にある一郎の机へと向かう。教室から俺以外の生徒が居なくなった中、算数のプリントとにらめっこの時間だ。

「悪く思うなよ。本当にここは重要な所だからな」

「うん、いいよ。もとはと言えば、俺が出来ないのが悪いんだし」

 俺が余りにも落ち込んだ表情をしていたのだろう。一郎は少しばかり苦笑いを浮かべると、俺の頭をポンポンと叩いた。

 別に、居残りが嫌なわけではない。不甲斐ない自分に嫌気が差しているだけなのだ。

「ここはな、本当はお前らが来年習う筈だったところなんだよ。だから、確かにちょっと難しいんだ」

「ふーん、じゃあ何で今年は勉強しないといけないの?」

「教科書が改訂されたんだよ。俺らの頃の教科書はこれより薄くてな。なんせ、俺らはゆとり教育世代だからな。聞いた事あんだろ?」

「うん、知ってる」

 そんな俺もまさしくゆとり世代の申し子だからな。

 とは言えない為、俺は黙って隣でプリントの説明をし始めた一郎の言葉に耳を傾けた。一郎の説明は、授業で聞くよりも随分わかりやすかった。そのお陰で、授業中はイマイチ理解できていなかった俺も、説明を聞き終わる頃には、なんとなくだが理解できるようになっていた。

 あぁ、やっぱり凄いんだな。先生って。

「つーわけで、わかったか?敬太郎」

「うん、なんとなく」

「よし、じゃあこっちの問題、解いてみろ」

 そう言って指をさされた問題に俺は目を落とす。うん、さっきより分かりそうだ。

 俺は一郎に言われた通り問題を解きながら、ふと、またしてもあの懐かしい感覚に襲われた。俺の隣に居る一郎。一郎の隣に居る俺。一緒に勉強する、俺達。

 本当に懐かしい。こうして一郎と隣り合わせで勉強するなんて。まるで、10年前のようだ。

 俺は瞬きの瞬間、瞼の奥に見えた懐かしい光景に、思わず笑ってしまった。

 

『だーかーら!こっちはこう!で、あれに当てはめる!』

『うっせーな!もうちょっと分かりやすく説明しろっての!こっちとか、あれとか。お前の説明じゃ下手くそ過ぎて意味わかんねぇんだよ!』

『仕方ねぇだろ!俺だってあんまし分かってないんだから!』

『はぁ!?お前学校行ってんだろ!?なのにわかんねぇのかよ!この馬鹿!』

『……なんだよ!せっかく教えに来てんのに!そんなん言うなら自分でやれ!俺も一人でやるから!』

『っう。クソッ、悪かったよ!いーから早く教えろよ!』

 

 本当に、本当に、懐かしい。

 あの時、俺はあの焦ったような一郎の表情見たさに口喧嘩になると、いつも「一人でやれ!」と言っては一郎の焦り顔を見て笑っていた。

 今じゃとことん立場が逆転だけれど。

「おーい、何笑ってんだよ」

「っ!いや、別に何でもない!あ、できたよ!」

「ったく、思い出し笑いする奴はエロイってよく言うぜ?何考えてたんだ?けーたろーくーん?」

「別に、普通に昔の事思い出してただけ」 

そう言ってニヤニヤした顔で俺を見てくる一郎に、俺はとことん冷静な大人の対応をしてやった。そんな俺の返答に、一郎は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐにそれは先程までのニヤニヤした表情に戻っていた。

「はぁ?昔って。ガキが何言ってんだっての。お前らに思い出すような昔の事なんかまだねぇだろーが。大人ぶりやがって」

「……あるよ。俺にだって。思い出す昔くらい」

 本当は、思い出すような昔にはしたくなかったんだけど。

 俺がそんな事を考えながらふと、隣に居る一郎に目をやると、一郎はどうにも形容し難い表情で俺を見ていた。

「……先生?」

「あ?何だよ」

 俺が小さな声で呼ぶと、一郎はまたいつもの顔に戻って俺の事を見た。

「変な顔してたよ」

「ふざけんな。俺の顔は常にかっこいいんだよ」

「自分で言うかなぁ。そう言うの」

「事実だろうが」

「うわぁ、コメントし難いよ。先生」

「うるせぇな!ほら!とっとと問題見せてみろ」

 あぁ、こうして軽口を叩いていると勘違いしてしまいそうになる。一郎と俺は、また幼馴染として一緒に居るんじゃないかって。

 此処に居る俺は、本当は10年前に死なずに済んだ昔の俺なんじゃないかって。

 しかし、そんな事を考えてもすぐに現実を思い知らされる。

 俺の小さな手や、足が、そして目の前に居る25歳の野田一郎が。

俺に現実を教えてくれる。

「おー、解けてる解けてる。敬太郎、お前ちゃんとできてるぞ!」

 そう言って頭を撫でてくる一郎は、やっぱり俺の知ってる一郎で。けれど、俺の知ってる一郎ではない。俺は胸に小さなモヤモヤを抱えながら、今日も昔の幼馴染と一緒に居る。

 

 

俺を置いて、たくさん成長した、

 

 

大好きな幼馴染と共に。

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