その14:気持ちを置いてきぼりにしたものの

 

 

あれは一郎の言葉じゃない。

イチローの言葉だ。

なのに、どうして二人の言葉が重なったりするんだろう。

違うのに。

 

 

二人は違う人間で、今はもう昔とは全然違うのに。

頭じゃわかっているのに、

でも、今もたまに、

 

気持ちがついてきてない時が………ある。

 

 

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その14:気持ちを置いてきぼりにしたものの

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(ここは……)

 

俺はうっすらと目を開けると、一体自分がどこに居るのか理解できなかった。

真っ白い天井。ツンと鼻につく薬品の匂い。

そして、俺にかけられる真っ白い掛け布団

ここは………。

 

「保健室……?」

「おー、やっと目ぇ覚ましたか。敬太郎」

 

俺がやっと自分の居る場所を理解した時。ベッドの周りに引かれたカーテンが勢いよく開かれた。

 

「……先生」

「おう、大分顔色も良くなってきたな」

 

 一郎はベッドの隣に置いてあった椅子に座ると、そのまま俺の額に手を置いてきた。そして、やっと暖かくなったなという訳のわからない言葉を呟くと、そのまま俺の額に軽くデコピンをしてきた。そんな一郎の一連の動作に、俺は言葉なくデコピンをされた額に手をやる。

 

「……?」

「敬太郎。お前、倒れた時は顔真っ青で、しかも熱が34度しかなかったんだぜ。低体温過ぎ」

「34度……?俺が?」

「まぁ、けどもう今は大丈夫みたいだな。保健の先生が言うには軽い貧血だそうだ」

「貧血……」

 

 俺は額に置かれた心地よい暖かさを伝えてくる一郎の手に、少しだけ目を細めると、次第に自分が今に至るまでの記憶が少しずつ蘇ってきた。

そうか。俺はあの時、理科室で倒れたのか。

 

「……ごめんなさい」

 

 俺は自分の身に起きた状況を理解すると、一郎に小さく謝った。あんな事位でぶっ倒れるなんて。きっとあの後授業はまともに行えなかったに違いない。本当に、俺もけっこう精神的に強くなったと思ったのに、全然昔と変わっちゃいないじゃないか。

 未だに弱い自分のメンタルに俺は自然と溜息が洩れるのを止められなかった。

 俺がゆっくりとベッドから体を起こしながら自己嫌悪に陥っていると、一郎はいつものようにグシャグシャと俺の頭を撫でまわしてきた。

 その動作がなんとも日常を感じさせてくれて、俺は自然と気持ちが落ち着くのを感じた。

 

「なんで、敬太郎が謝るんだ。怪我しなかっただけ良かったよ」

「でも、実験が……」

「実験なんかいつでもできる。子供がそんな事気にするんじゃない」

「…………」

 

 子供。そう、一郎に言われ、俺は知らず知らずのうちに布団の中に隠れている拳に力を込めた。

 そうだ。俺はもう以前の俺じゃない。

 わかってる。もう、ずっと昔に諦めた筈だ。

 今、俺は “篠原 敬太郎”だ。昔の一郎に拒絶された俺ではない。

 なのに、イチローの言葉が昔、一郎に言われた言葉と被ってしまい、あんな醜態をさらす羽目になった。自分の不甲斐なさに頭が痛くなる思いだ。

 それに、あんなに突然ぶっ倒れた俺を前に、イチローがどうなってしまったのかも俺にはかなり気がかりだ。

 

「………先生、今、イチローどうしてる?」

「あぁ、イチローね。あいつなら今は皆と一緒に掃除してるぞ」

「掃除?」

「おう、今は3時だからな。掃除の時間だ。それにしてもお前ほんとによく寝たなぁ。お前がこの時間に起きてなかったら、親御さんに連絡しようと思ってたんだが……どうだ?帰り、やっぱり迎えに来てもらうか?」

「いや、この時間、俺の家親居ないから。大丈夫、自分で帰れる」

 

 言いながら俺は周りから聞こえてくる掃除のガヤガヤとした音に頭が若干混乱するのを感じた。まさか、俺は結局あの後の授業を全て寝て過ごしたというのか?

 どんだけ寝れば気が済むんだ。

 だからだろう。なんだか頭がクラクラする。きっと寝過ぎのせいだ。

 

「あー、で、だ。イチローの事なんだが……」

 

 俺が重い頭を手で支えていると、隣に座っている一郎が少しだけ言いにくそうな声色で俺に向かって声をかけてきた。

 やっぱり。さすがに俺があんな風に倒れてしまっては一郎もさすがに突っ込まずにはおれないだろう。

 

「……喧嘩したんだ」

「みたいだな。で?原因は?」

 

 一郎の言葉に俺はまた顔をうつむかせると一呼吸置いた。俺が話し始めるまで、一郎は黙って待っている。

 

「この前の金曜日……作文書いたでしょう?」

「あぁ、書いたな」

「……書き始める前に、イチローと約束してたんだ。書き終わったら見せ合おうって」

「……で?」

「でも、俺、イチローに作文見せずに先生に出したんだ」

「うん?」

「そしたら、イチローが怒って……こうなった」

「………」

 

 俺の言葉に呆れたような表情を向けてくる一郎。一郎の気持は手に取るようにわかる。きっと、そんな事で?って思ってるんだろう。

 

 俺だってそう思う。けど、どんな理由だろうと本人にとっては大きな理由なのだ。こんな大きな喧嘩に発展するに至るに十分な理由なのだ。

 イチローだって、きっと作文の事を俺が「そんな事」扱いして適当にあしらったから、こんなに長い時間喧嘩が長引く羽目になったんだと思う。約束を破った張本人が、そんな態度では治まる怒りも治まる訳がない。

 結局、最初から最後まで悪いのは俺なのだ。

 

「先生、それだけの事で喧嘩すんのかって思ったでしょう?けど、子供にとっては大きな事なんだよ」

 

 俺は先程一郎の言った“子供”発言に、少しだけムッとした気持ちもこめて“子供”と言う部分を強調して言った。

そうだ。俺はもう子供なんだ。

10歳の篠原敬太郎でしかないんだ。

 

「イチローのヤツさ。俺が謝っても、どんなにごめんって言っても許してくれなかった。こんなに長い間喧嘩したの、俺初めてでどうしたらいいかわからない。イチローはきっとまだ怒ってる」

 

 言いながら、俺は最後に俺の目に映った苦しそうな表情のイチローを思い出すと、少しだけ涙腺が緩むのを感じたが、泣くのは懸命にこらえた。25年も生きておいて、そう何度もやすやすと泣くわけにはいかない。泣いたって、何も変わりはしないのだから。

 

「……なぁ?敬太郎?お前、何でイチローに作文見せなかったんだ?」

 

 必死に涙の奔流を抑え込む俺に、一郎が先程の呆れたような表情とは一転して、真剣な目で俺に尋ねてきた。一郎は先生だけあって、子供の感情の機微には聡い。俺が本気で思い悩んでいる事に、すぐに気付いてくれたようだ。

 

 あぁ。どうして、イチローに作文を見せなかったか?そんなの決まっている。

 

「は……恥ずかしかったから」

 

 俺が作文の内容を思い出しながら、少しだけ顔がほてるのを感じると、それまで真剣な目を向けてきていた一郎の目が一気に細められた。

 そして。

 

「くっ、はははっ」

「わ、笑うな!」

 

 ベッドの隣で、それはもう腹を抱えて笑い始めた。

 そんな一郎に、俺は瞬く間に顔全体が熱く真っ赤になるのを感じ、どうしようもなく恥ずかしくなった。

 だって、一郎は俺の作文の内容を知っているのだ。それを踏まえた上で笑うと言う事は……もう、本当に俺にとっては頭を抱えたくなるくらい恥ずかしい事なのだ。

 

「おっ、お前……敬太郎っくく、可愛いとこあんのな?」

「うるさい、うるさいっ!わかってんだよ!恥ずかしい事書いたなって自分でも分かってるんだ!だからもうそれについてはほっといてよ!」

 

 俺は此処が保健室であると言う事も忘れ、必死で隣で笑う一郎に向かって叫んだ。

しかし、どうやら保健室には俺と一郎しかいないのか、誰にうるさいと咎められる事もなかった。

 

「……もういい!」

「怒るな、怒るな」

「うるさい!」

 

 笑いながら俺の頭を撫でてくる一郎に、俺は何故かいつぞやの一郎とのやりとりを思い出して更に腹が立ってきた。いつも一郎には笑われてばかりだ。

 

「なぁ、敬太郎?」

「……………」

 

 少し笑い声のおさまった声で俺を呼ぶ一郎に、俺は一郎と顔を合わせないように反対方向を向いて無視を決め込んだ。こう言う態度は子供っぽいのだろうが、別にいいだろう。どうせ、俺は“子供”なんだから。

 

「俺は、あの作文いいと思ったぞ?これは本当の話だ」

「…………」

 

一郎に背を向ける俺に向かって、一郎は少しずつ穏やかに変化していく声で話しかける。

 

「読んでて俺も……少しだけ、昔を思い出したよ」

「……っ」

 

 昔。その言葉に俺は一瞬もしや、とあの日の記憶が頭をよぎった。それと同時に体が、体の中心から強張っていくのを感じた。

 

「先生も、昔、中学生の時な?幼馴染とひっでぇ喧嘩……じゃねぇな。あれは。くだらない理由で俺が幼馴染を死ぬほど傷つけた事があったんだ」

「お、…幼、馴染?」

 

 俺は体中から悲鳴を上げそうになる精神を抑え込み、思わず一郎を振り返った。どんな顔で一郎が話しているのか、俺は知りたかった。

 

「そう、幼馴染。ちなみに、名前は“敬太郎”って言うんだぜ?」

「……っ」

 

 お前と同じ名前だ。

 そう言って俺の目を見つめる、少しだけ懐かしさを孕んだ一郎の目が、微笑みながら俺を写す。

 

 一郎。一郎……!

 

 俺は一気に吹きあがってくる気持ちの奔流を、必死に抑え込むと力いっぱいシーツを握りしめた。苦しくて、苦しくて仕方がない。

 俺はもう今は“篠原 敬太郎”だ。

俺はもう昔の俺じゃない。

昔の俺じゃないんだ……!

 

「まぁ、俺の方の幼馴染は“森田 敬太郎”って言うだけどな。でも俺は“一郎”だろ?で、お前は“敬太郎”だからさ、お前ら二人を見てると無性に、昔の自分たちを思い出すんだ」

「そう、なんだ」

 

 森田 敬太郎

 そう、それが昔の俺の名前。

 もう使われる事のない、俺の記号。

 俺は自分の気持ちを落ち着かせるように小さく息を吸った。

 昔の俺の存在は、もう、ない。今あるのは“篠原 敬太郎”と言う小学生の俺だけだ。

 その証拠に、一郎は“森田 敬太郎”と言う言葉を発する時、俺を見ちゃいなかった。

 

「で、俺ら二人も中学に上がるまでは、ずっと一緒に遊んだりしてたんだけど、俺のせいで……まぁ、1年間くらいだったかな。喧嘩して、一言も口利かない日が続いた。俺も、もうダメかなって思ったさ。もうどんなに謝っても許してくれねぇだろうなって」

「……うん」

 

昔を思い出しながら話しているのだろう。

一郎の目はどこまでも、懐かしそうに細められ、どこか遠くを見ていた。そんな一郎の目に、俺は少しずつ気持ちが落ち着いていくのを感じた。

 あぁ、そうだ。もう思い出でしかないんだ。あの日々の出来事は。

あるのは、近くに居るのに、もう俺と一郎は二度と幼馴染として隣に立つ事がないという事実。

それで、いいんだ。

 

「それで?先生達は仲直りできたの?」

 

 自分から急かす様に尋ねてきた俺に、一郎は少しだけ笑うと、あぁと小さく頷いた。

 あぁ、そうだよな。俺達も仲直り、できたもんな。

 

「できたよ。ごめんなんて一言も言ってないけどな。けど、仲直りできた……。すっげー、嬉しかったよ」

「そっか」

 

俺も、あの時はスゲェ嬉しかったよ。

お前がまた、あの時の俺に会いに来てくれて。

 

「だから、敬太郎。お前の作文を読んで、先生も昔を思い出したよ。確かに、俺とアイツはどうあっても仲直りして隣で一緒に笑いあう仲だったって。ごめんなんて言わなくても、元通りになれる、大切な幼馴染だったって」

「……そっか」

 

 そう、大切な幼馴染だった。

 それは、俺もだったよ、一郎。

 

「大切な相手と喧嘩できるってのも、実際、幸せな事なんだろうな。お前の作文を読んで、先生は改めてそう思った。だから、今、お前とイチローは喧嘩して、凄く辛いかもしれないけど、それはそれで幸せだと思っとけよ。死んじまったら喧嘩なんて、したくてもできねぇんだから」

「……うん」

 

 死んでしまったら喧嘩なんかできない。

 共に隣に立って、成長する事すらかなわない。

 常にあった当たり前はもう、当たり前ではなくなるのだから。

 それは、痛いほどよくわかる、どうしようもないくらい当たり前の事実だった。

 

「つーわけで、敬太郎!ぶっ倒れてないで、さっさと一郎と仲直りしろよ!まぁ、言われなくても帰りの会には仲直りできてそうだけどなぁ?」

 

 一郎はそう言うと、今までとは一変した明るい表情で俺の頭をグシャグシャにすると、そのままズイと俺の目の前まで顔を近づけてきた。

 え、何。この顔。

 

「……先生、何?」

「んー?何って……何が?」

 

 そう言ってニヤニヤ笑う一郎の顔は、どうあっても昔、子供だった頃の悪だくみを計画していた時のソレと酷似していて……俺は絶対にコイツ何か企んでんなと表情を歪めた。

 

「先生、何か企んでない?」

「いやぁ、何も先生は企んでませんよ?これは本当にお前らが喧嘩する前の俺がやった事だからなぁ。……まぁ、とりあえず悪い事にはならないから安心しな!」

 

 そう言ってバンバン俺の背中を叩いてくる一郎に俺は、どこか嫌な予感を感じながらジトリとした視線を送る事しかできなかった。本当に、一体何を企んでいるんだか。

 そう俺が思った時だった。

 掃除の時間の終了を表すチャイムが、保健室中、いや、学校中に響き渡った。

 

「お、丁度掃除も終わったみたいだな?敬太郎、もう大丈夫なら一緒に教室に戻るぞ?」

「はーい」

 

 俺はベッドから降りると、敬太郎の後に続いて保健室を出た。まだ、イチローは怒ってるかもしれない。許してくれないかもしれない。

 そう考えるとまだ俺の気持ちは重いし、教室に戻るのが億劫だ。

 だけど。

 

『……けど、仲直りできた……すっげー、嬉しかったよ』

 

 俺は一郎の背中を追いかけながら、先程一郎の言ったセリフを思い出した。あれは、確かに辛い過去だった。現実の今とゴッチャにして俺を気絶させるくらい、辛いモノだったと言える。

 けれど、一郎が、過去の俺をあんなに嬉しそうな表情で話してくれるのを見たら、本当にどうにでもなる気がした。1年間口もきかず、視界の端にすら入れる事のない生活を送ってきた幼馴染は、今、俺が居なくなった後も笑顔で生きている。

 笑顔で俺の事を思い出してくれる。

 

 ごめん、がなくても仲直りできる。

 俺とお前がそうだったように、俺とイチローもきっとそうなれる。

 まずは、教室へ行ってイチローに話しかけよう。話はまず、そこからだ。

 

 俺は一郎の後に続いて、一歩

 

 

 大きく踏み出した。

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