その24:変化が起こったものの

 

 

お前を“先生”と呼ぶ俺。

俺を“敬太郎”と呼ぶお前。

いつもと同じ筈なのに、

どこかいつもと違う。

 

 

それが全ての始まりだった。

 

 

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その24:変化が起こったものの

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時は7月中旬。

それまでの雨の日々が嘘のように、湿気を吹き飛ばした空気が俺の体を包みこむ。

窓の外からは蝉の声がこれでもかという程鳴り響き、その声はハッキリと夏の到来を告げる。

そして、そんな俺の周りには浮かれまくるクラスメイト達の姿。

更に俺の隣には、クラスの誰よりもテンションの高い幼馴染の姿。

 

それらの原因は全て、もうすぐ迎える子供にとっての大きなイベントが起因している。

 

時は7月中旬。

夏休み、目前だ。

 

「けーたろ!どーん!」

「うわぉ!ちょっ……!?」

 

突然、俺に向かって体当たりをしてきたイチローに、俺は体制を崩すと、手に持っていたちりとりを思わず落とした。

フワリとほこりが辺りに舞う。

眉をしかめる俺。

楽しそうに笑うイチロー。

 

そう、現在は夏休み直前。

だが、しかし今のところまだ平日の掃除の時間なのである。

 

 

「……イチロー」

 

俺は無残にも散らばってしまったゴミを前に口角をヒクつかせると、背中に飛び乗ったままのイチローを睨みつけた。

しかし、そんな俺の睨みなどものともせず、イチローは笑顔で俺の背中から離れようとしない。

正直、一人で立っているだけでも相当暑いのだから、あまり密着して欲しくはない。

しかし、まぁ、その事を今言ったところで、きっとイチローは言う事など聞きはしないだろう。

言うなればイチローは今、軽い酩酊状態にあるといっても過言ではない。

イチローだけではない、クラスメイト達全員がそうだ。

 

夏休みは子供を酔わせるアルコールのようなものだ。

 

「ふはっ!ごめん!けーたろ!」

 

「ごめんじゃないだろ!?せっかく集めたのに」

 

俺はまたその場にしゃがみ込むと、床に散らばってしまったチリを箒で集め始めた。

すると、背中にくっついていたイチローも同様に俺の隣にしゃがみ込む。

やはり、その顔には満面の笑みがくっついている。

 

「けーたろ!もうすぐ夏休みだな!」

「あぁ、そうだな」

「夏休み、また旅行行こうなー?」

「それはお母さん達に言わないと」

「ぜったい行くもん!おかーさんにはもう頼んでる!!けーたろもおかーさんに頼んで!」

「はいはい、わかった。わかった」

「ぜったいだからな!」

 

ゴミを集める俺の隣で、イチローは最近この事ばかり言っている。

そりゃあもう、寝ても覚めても夏休みの事ばかり。

確かに小学生にとって夏休みは大イベントだが、俺からすれば正直40日も休みがあると何していいかわからない。

特に小学生のように、行動範囲も金銭面も限りのある状態で、一体どうやって40日を楽しもうというのか。

甚だ疑問である。

 

ゴールデンウィークですら、俺は暇を持て余していたというのに。

 

俺はぼんやりと、これから始まるであろう夏休みを思いながら、再度ゴミを集め終えると、ちりとりを持ってゴミ箱に足を進めた。

その後ろからは当たり前のようにイチローが付いてくる。

 

あぁ、もうほんとに。

7月に入ったとたんこれだ。

俺は急激に変わったイチローのテンションに内心溜息をつくと、パラパラとチリトリの中のゴミをゴミ箱へ捨てた。

 

「(変わったと言えば……)」

 

俺はゴミ箱の中に落ちて行くゴミを眺めながら、ふと、最近感じる小さな違和感に思いを巡らせた。

変わったのはイチローだけじゃない。

あっちの一郎も変わったような気がする。

 

あっちの一郎。

それはすなわち俺達の担任の野田 一郎の事であるが。

一郎は、何と言ったらいいのだろうか。

イチローのように劇的に何か変わったと言う訳ではなく。

 

あぁ、そうだ。

目だ。

目が、変わった気がする。

 

どう言う風に言い表せば、自分の中であの一郎の変化を的確に表現できるかは分からない。

もしかしたら気のせいなのかもしれない。

そう、何度も自分を納得させようとしたが、それは無駄だった。

一郎と目が合う度にその違和感は大きくなり、ひっそりと俺の中に張り付いていくのだ。

 

いつから、と問われれば明確な変化の日はわからない。

しかし、7月に入る前には既に、一郎の様子は変だった。

そんな風に俺が持っていたちりとりを掃除用具入れの中にしまいながら、一郎の変化の原因に思いを馳せ始めた時だった。

 

「おーい、敬太郎。ちょっと」

「っ!」

 

俺は突然教室の入り口から顔を出してきた一郎にビクリと体を揺らした。

丁度一郎の事を考えていたせいで、なにやら心臓がドキドキうるさい。

そんな俺の隣では何故かイチローが再度、俺の背中に飛びついてきた。

その力は、先程飛びついてきた時以上に強く、俺の制服はイチローの手により、酷い皺になっていた。

 

一体どうしたというのだろうか。

 

「なんですか。先生」

 

俺は完全に体重を俺の体へとかけるイチローを背負いながら、無理やり教室の入り口に立つ一郎の元まで歩を進めた。

もう、どんなに反応したってイチローは俺の言葉など聞きはしないのだから、今のところ背中のおんぶおばけは無視するのが一番だろう。

 

それにしても、イチローのヤツ重くなった。

また、身長が伸びたんじゃないだろうか。

そう、俺がどこか親のような気持ちでイチローを背負いながら一郎を見上げると、一郎はどこか呆れたような顔で俺達を見ていた。

 

「おいおい、どうした。イチロー。敬太郎の背中なんかにくっついて」

「ほら、イチロー。いい加減降りろよ」

「嫌だ!」

 

イチローは何故か不機嫌そうな声で俺の背中にへばりついていると、その様子に一郎は苦笑の色を浮かべた。

 

「まぁ、なんだ。敬太郎にちょっと荷物運びの手伝いを頼もうと思ったんだが……大丈夫か?」

「あ、うん。大丈夫です。ほら、イチロー早く下りて」

「…………」

 

 

イチローはその瞬間、俺の背中越しに少しだけ力を込めて抱きつくと、すぐに俺の背中から降りた。

本当にイチローはどうしてしまったのだろう。

去年の夏休み前も、こんな風だっただろうか。

 

「けーたろ!夏休み!おかーさんに頼んでよ!」

「わかったってば」

「ぜったいだからな!」

「はいはい」

「はいは一回!」

「はい」

 

先程と同様のやりとりに俺が少々うんざりしながら頷くと、俺達の脇に立っていた一郎が興味深げに話に入ってきた。

 

「んー?夏休みがどうしたんだ?」

「せんせーには秘密!」

 

しかし、イチローは一郎の問いをバッサリと切り捨てると、ふんと顔を逸らして俺の方を見てくる。

その顔には『絶対先生には内緒にしろよ』とハッキリと書いてある。

しかも、これでもかという程不機嫌そうな顔で。

本当に一体どうしたというのか。

 

俺がイチローの言動に首をかしげていると、イチローは俺の手をとって「秘密だからな!」と、今度はハッキリ言葉で念を押すと、チラリと一郎を見上げて走り去っていった。

最近、一郎もイチローも二人とも変だ。

 

「なんなんだよ?イチローのヤツ」

「さぁ、な」

 

俺の疑問の隣で、小さく呟かれた一郎の言葉に俺はチラリと一郎を見上げると、やはり一郎はどこか困ったような表情でイチローの後ろ姿を見ていた。

一郎の奴も、やはりどこかおかしい。

 

しかし、その原因はわからない。

 

一郎もイチローも、夏を目の前にしてどこかおかしくなってしまった。

おかしいのはわかるのに、理由も原因もわからない。

それが、俺には何故か心細かった。

俺が一抹の寂しさを感じながら一郎を見上げていると、一郎は「行くか」と足早に教室を出て行ってしまった。

そんな一郎の後を、俺は急いで追う。

 

「先生。何を運ぶの?」

「夏休みの宿題」

「うげっ。もう?」

「早めに取り掛かれるからいいだろー」

 

俺は一向に歩くスピード緩めない一郎に、半ば早足になりながら背中を追いかける。

やはり、一郎は最近おかしい。

以前は、歩くスピードだって子供の俺に合わせて歩いてくれていたのに。

俺は少し前に、同じように荷物持ちを頼まれた時の事を思い出して、更に違和感を募らせた。

 

俺は一郎を“先生”と呼ぶ。

一郎は俺を“敬太郎”と呼ぶ。

教師と生徒として、俺達は並んで立っている。

それは、これまでと何ら変わらない。

なのに、どこかがやはり違うのだ。

 

そんな違和感を振り払うように、俺が無理やり歩幅を合わせて一郎の隣へと追いついた時、一郎はチラリと俺を見下ろしてきた。

その目に俺はドキリと心臓を激しく鳴らした。

 

「なに、先生?」

 

「……いや」

 

一郎が余りにも見てくるものだから、俺は耐えきれずに一郎に声をかけるが、一郎はすぐに俺から目を逸らしてしまった。

こんなのも、最近ではしょっちゅうだ。

俺に声をかけては「いや」と口をつぐむ。

 

絶対に何かあるのは見え見えなのに、一郎は言葉にしない。

分かって欲しいとその目は俺に語りかけてくる。

しかし、言葉にしなくては、俺だってわかるわけがない。

 

「あー、なんだ。さっきイチローが言ってた事が気になってな」

 

誤魔化した。

目を逸らしながらとっさに一郎の口から出た言葉に、俺は直感的に思った。

しかし、俺も一郎に変化の問いを求めるには、言葉も、年齢も、俺達の関係性も、何もかもが足りなかった。

だから、俺も一郎の誤魔化しに言葉を合せるしかない。

 

「あぁ、さっきのね」

 

俺が一郎の隣に必死に並びながら頷くと、何故か『秘密だからな!』と手を掴んできたイチローの姿を思い出した。

別に秘密にするような事でもあるまいし。

 

「あれね。今年も夏休み、一緒に旅行に行けるようにお母さんに頼んでねって事だよ」

「へぇ、旅行か。いいな。いつも一緒に行くのか?」

「うん。毎年恒例みたいになってる。父親同士が同級生で仲良いし、今年も多分イチローの家族とどっか行くんじゃないのかな?」

「そうか。幼馴染、だもんな。羨ましい」

 

そう言いながら突然俺の頭を撫でてきた一郎に、俺は少しだけ驚いて一郎を見上げると、そこにはどこか懐かしむような目で俺を見下ろしてくる一郎の姿があった。

その表情に、俺は瞬間的に呼吸が止まるような気がした。

 

止めて欲しい。

そんな目で、俺を見ないで欲しい。

まるで、俺に何かを求めるような一郎の目。

それは本当に今までのソレとは違っていて俺の感情をかき乱す。

 

「せっ、先生は、夏休みの予定とかないの?」

「あぁ、俺か。予定ねぇ」

 

俺は一郎の向けてくる視線に耐えきれずに、思わず話を逸らす。

すると、一郎は何かを思い出すように少しだけ眉を寄せると「あ、」と小さく声を上げた。

しかし、一郎は俺に何か言うでも、話を続けるでもなく、そのまま黙って足を速めてしまった。

そのせいで、俺はまた一郎の背中を追いかけるような形となり、そのまま一郎と俺の会話は打ち切りとなった。

 

一体、何なんだ。

一郎。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「はぁ、はぁ」

「おし、ここだ。ん?どうした?敬太郎」

 

やっとついた準備室の前で、俺は既にクタクタになった状態で一郎の隣に立っていた。

そんな俺に対し、一郎は不思議そうな目を俺に向けてくる。

足の長さを考えて歩いて欲しい、ほんとに。

そう、俺は内心毒づくと、不満そうな表情を隠しもせず一郎を見上げてやった。

 

「先生。早いよ」

「っあ!あぁ、悪い悪い。ちょっと、いろいろ考えてたらお前の事忘れてたわ」

「ひどっ」

「っはは、悪いな。敬太郎」

「っ!」

 

息が詰まる。

 

(わりぃな。敬太郎)

 

そうやって目の前で小さく笑う一郎に、俺は一瞬、昔の一郎の姿が重なるのを感じた。

悪気のなさそうな、笑顔の謝罪。

この表情は、昔よく“俺”に向けられていたものだ。

 

(っはは!わるい!敬太郎!)

 

俺は既に準備室のカギを開けて、中に入ろうとする一郎の背中に、やはり何か大きな違和感が徐々に募っていくのを、止める事ができなかった。

そして、違和感の正体も、少しずつ、少しずつだが形をハッキリさせつつあった。

 

一郎の目が俺ではなく。

“昔の俺”を見ているような、気がする。

これは、ただの感覚でしかない。

ハッキリとした確証もない。

 

だいたい、そんな事ある筈がない。

一郎が、俺に“森田 敬太郎”を重ねるなんてありえないのだ。

 

「おーい。敬太郎!これ、持ってくれ!」

「っはい!」

 

俺は部屋の奥でダンボールを抱えようとする一郎の元へ走ると、すぐに一郎が持とうとしていたダンボールの上に重ねてある、小さな箱に手を付けた。

 

「これ、持てばいいんだよね?」

「あぁ、頼む」

 

俺が一郎に声をかけ、ダンボールを掛けようと体を近づけた

その時だった。

 

「なぁ、敬太郎」

「っ、な……に?」

 

いきなり、俺の腕は一郎によって掴まれ、俺の目の前には至近距離に一郎の体があるという不自然なカタチになっていた。

あまりに突然の事で、どうにも状況が掴めない。

俺は恐る恐る目の前にある一郎の体を見上げると、そこにはどこか何かを決意したような表情で俺を見つめてくる一郎の顔があった。

 

「敬太郎」

「な、んですか。せ、先生?」

 

俺の声は面白いほど震えていて、上手く声が出せているのか自分自身不安になるほどだった。

そんな俺に対し、一郎の目はどこまでも真っ直ぐで力強かった。

 

「夏休み、1日だけ、先生にくれないか?」

「へ?」

「1日、1日だけでいい。夏休み、お前がイチローと遊ぶ時間を、1日だけ俺にくれ」

「それってどういう」

 

意味?

そう言い終わる前に、一郎に掴まれていた腕が更に強く掴まれるのを感じて、俺は言葉を詰まらせた。

ギリ、と。そんな音が聞こえてきそうな程、俺の細い腕は一郎の大きな手によって掴まれていた。

一体どうしたというのだ。

一郎は俺に何を伝えたいのか。

 

「せんせ、い……っ」

「頼む、敬太郎……!」

「っ!」

 

俺が腕に走る痛みに表情を歪ませながら一郎を見上げると、一郎はそれよりも苦しそうな顔で俺をジッと見下ろしていた。

 

「頼むから」

 

一郎が、そんな。

腕を掴む手とは裏腹に、すがるような声をだすから。

俺は頷く事しかできなかった。

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