その29:躊躇ってみたものの

 

 

お母さん。

ねぇ、お母さん。

俺が死んだ時、お母さんは泣いた?

悲しかった?

 

あれから10年経ったよ。

ねぇ、お母さん。

今、あなたは笑っていますか?

 

 

————————

その29:躊躇ってみたものの

————————

 

 

なんで、俺はこんな所に居るんだ。

俺は茫然としながら目の前に建つ1軒の古い瓦屋根の家を見上げた。

2階建てで、ベランダがあり、庭には松の木がある。

懐かしい、何の変哲もない普通の一軒家。

 

目の前にあるのは、先程一郎が宣言した通り、まさしく前世の俺の家だった。

外から見たところ、俺が住んでいた当時と、そこは何も変わったところはないように見える。

その変化の無さが、今の俺にはどうにも辛い。

まさか、この体で、他人としてこの家に舞い戻って来る事になろうとは。

今の今まで考えた事もなかった。

 

「おーっし、ここが俺の幼馴染の家だ。ほら、車からさっさと降りろ。敬太郎」

「…………」

 

そうやって家の前の空いた敷地内に車を止める一郎に、俺はただジッと目の前の家を見上げる事しかできなかった。

 

「おい、敬太郎?」

 

黙りこむ俺を不審に思ったのか、一郎は車のエンジンを切り自分のシートベルトを取ると、俺の顔を覗き込むように体を近づけてきた。

そんな一郎に俺はハッとすると、勢いよく首を振った。

 

「俺、いい」

「……は?」

 

突然の俺の言葉に一郎は眉間の皺を濃くすると、俺の顔を自分の方へ無理やりむかせた。

そのせいで、俺の目には不機嫌そうな一郎の顔が至近距離で映し出された。

 

「いいって、何が?」

「だから、俺、先生がお線香上げてる間、車の中に居る」

「ダメだ」

「っ何で!俺、知らない人の家に入りたくなんかない!」

「知らない人の家だと?」

 

俺は一郎の手を振りほどくように、力いっぱい体を動かすと、シートベルトを握りしめたまま車の端に寄った。

まぁ、やはりこんな事は一郎に対して、何の抵抗にもならないのだが。

 

「知らない人の家じゃん!先生の幼馴染なら、先生だけで行けばいいでしょ!何で俺まで!?」

「………」

 

俺は叫ぶように一郎に向かって言い放つと、そんな俺を一郎は黙って見つめていた。

そうして、一郎はふぅと小さくため息をつくと、自分だけ車を降り始めた。

 

そんな一郎に俺はホッと安心して、もう一度、目の前に広がる家に目をやった。

全てが変わってしまった故郷で、全く変わらない過去の自分の家。

田舎故、広い家の敷地内には、昔から植えられている松の木が今もなお雄然と立っていた。

あの木に登って、何度一郎と共に怒られた事だろう。

脇にある井戸水のホースは、もう何年も使われていないのか、蛇口の周りには少しだけ草が生い茂っていた。

あのホースで夏はよく水浴びをした。

 

庭を見渡す度に思い起こされる記憶の数々に、俺は家の中に向かって駆けだしたくなる衝動をグっとこらえた。

 

全く変わっていない昔の自分の家。

だが、しかし、家の中はどうなっているかわからない。

いや、ハッキリ言おう。

本当に怖いのは中に住んでいるであろう自分の両親に会ってしまう事だ。

 

10年と言う月日が与える影響の大きさを、俺はここに来るまでに嫌という程思い知らされた。

昔あったものは、その形を変え、そして姿を消しているもあった。

俺の生きてきた10年という年月は、それほど大きなものだったのだ。

 

自分の両親は、この10年どう過ごしたのだろう。

たった一人しか居なかった俺という息子を亡くし、一体どんな生活を送ってきたのだろう。

俺は自分の知らない10年間を過ごした両親に会う事を、恐れていたのだ。

 

俺は、見たくない、会いたくない。

この小さな町で、一郎と共に忘れかけていた記憶の切れ端に触れてこられただけで、俺は十分なのだ。

俺がそうやって、ぼんやりと瓦屋根の古い家を見つめていると、いきなり俺の助手席側のドアが勢いよく開け放たれた。

 

「……っ!?」

「…………」

 

驚く俺を前に、扉を開けた張本人は無言で俺の体に巻きつくシートベルトのロックを開くと、そのまま俺の腕を勢いよく引っ張った。

余りの早技に、俺はどうする事もできないまま一郎に片手で体を持ちあげられ、そのまま米俵を持つ要領で担がれてしまった。

 

「ちょっ!!先生!俺行かない!行きたくない!」

「……………」

 

暴れる俺の事など総無視で、一郎は俺を抱えたまま後部座席の扉を開けると、先程小学校の校庭の裏で取ってきた柴を手に取った。

その間も俺の抵抗は続いていたが、一郎にとって小学生の俺の小さな抵抗などなんともないようで、無言のまま手に持っていた柴を無理やり俺の手に握らせた。

その柴を俺は勢いよく地面に捨てると、そのまま一郎の腕の中で暴れ続ける。

 

「いやだ!俺!いやだ!車で待ってる!行きたくない!」

「敬太郎」

「いやだ、先生は俺に何をさせたいんだよ。もう、いやだよ」

「敬太郎?」

 

最後には泣きそうになっていた俺に、一郎は少しだけ優しい声で俺の名前を呼ぶと、そのまま俺の頭をいつもの優しい手で撫でてきた。

その感触に、俺は無駄に続けていた抵抗を止め流れそうになる涙を必死にこらえた。

何で一郎は俺にこんな事をするのだろう。

本当に、一郎は俺に一体何をさせたいのだろうか。

 

「敬太郎、今日は最後まで俺の思い出に付き合ってくれないか?」

「何で、俺が」

「お前じゃないといけないんだ」

「何で、俺じゃないとダメなんだよ……わけわかんないよ」

 

そう俺が唸るように言うと、一郎は担いでいた俺の体をゆっくりと地面に下ろした。

そして、俺と目線が丁度合うように屈んで俺の肩に手を置く。

 

「頼む、敬太郎。俺は、今日お前と一緒に此処に来たかったんだ」

「何で」

 

俺が答えの見ない疑問に、拳を握りしめながら一郎に尋ねると、一郎はそのままジッと俺の目を見つめ、

 

そして言った。

 

「俺が、お前と此処に来たいと思ったからだ」

「…………」

 

なんだよ、全然答えになってねーよ。

俺はそう思ったが、その言葉が口をついて出る事はなかった。

ただ、一郎の表情が余りにも真剣で、縋るような目をしてくるもんだから。

 

俺はまた、静かに頷く事しかできなかった。

俺は、この一郎の顔に昔から弱いんだ。

突き離せる訳が無い。

 

なぁ、一郎。

 

俺は、本当に怖いんだ。

あの家の中は、俺にとって10年前から変わっていない記憶の中の世界だから。

怖くて怖くて仕方が無いんだ。

 

10年の月日が。

それに伴って変わっていったものが。

だけど。

 

「先生。柴、拾わなきゃ」

「そうだな」

 

俺と一郎は、先程俺が投げ捨てた柴の枝を拾い始めると、また俺の腕の中には青々とした葉っぱをつける柴の枝が集まってきた。

 

「ほら、敬太郎。これで最後だ」

「うん」

 

最後の一本を一郎から受け取る時、一郎はニコリとその顔にあの懐かしい笑みを浮かべた。

 

「最後まで、付き合ってくれて。ありがとな」

「うん」

 

小さく頷く俺に、一郎は満足げに微笑むと、そのまま俺の手を取って玄関へと向かった。

本当は怖い。

変化を直視し、受け入れなければならない事が、怖くてたまらない。

 

だけど。

お前と、一郎と一緒なら、受け入れられるかもしれない。

耐えられるかもしれない。

この手を、離さなければ。

俺は少しだけ一郎の手を握る手に力を込めると、一郎は玄関の前でチラリと俺の方に視線を落とし、しっかりと手を握り返してきた。

 

(だいじょうぶだ、敬太郎)

 

俺は小さく聞こえたその声に深く息を吸い込むと、玄関の前にあるチャイムに向かって手を伸ばす一郎の隣で、しっかりと背筋を伸ばした。

その瞬間、鳴り響く懐かしいチャイムの音。

そして、次に聞こえてきた声は俺の記憶を一気に呼び起こす声だった。

 

「はーい!」

「おばちゃーん!俺!一郎!」

 

一郎の明るいその声と共に玄関の扉が開かれる。

そして、開いた扉の先に居たのは。

 

「あら!いっちゃん?今日はどうしたの?」

「ちょっと敬太郎に線香上げにきた!」

「あぁ、そうだったの。いつもありがとね。あら?その隣の子は?」

「コイツ?コイツはね」

 

一郎は突然俺の腕を引っ張ると、笑顔でその女性の前に俺を突き出した。

その瞬間、ハッキリと俺の目に映った、少しだけ白髪が増え、少しだけ昔より小さくなったように見える一人の女性。

 

(お母さん)

 

10年間、会う事のなかった

俺の母親。

 

「コイツは敬太郎、俺の友達だ!」

 

そう言って笑う一郎の前で、母さんは少しだけ驚いたように俺を見ていた。

タイトルとURLをコピーしました