6:逆鱗

 

俺はやっと止んだ志郎さんからのから最高に不愉快なからかいの声。

しかし、その直後に聞こえた「ぐほっ」という呻き声に、俺は慌てて後ろを向こうとしたが……

 

止めておいた。

 

あんなに子供っぽい姿をお父さんに見られてしまった為、今さら目を合わせるのが気まずいし恥ずかしくもあった。

とりあえず、今はこれから始まる算数の体積の問題に全身全霊を掛けよう。

俺は先程まで感じていた眠気などふっ飛ばし、勢いこんで算数の教科書に目を落とした。

 

「よーし、今日は昨日やった体積の問題を利用した、ちょっと難しい問題に入ろうかなー」

 

うげっ、一郎のヤツ……!

俺はカツカツと言うチョークの音を響かせる一郎の後ろ姿を、恨めし気に見てやる。

何だよ、アイツ。

さっきといい、今といい。

俺の事追い詰めるようなことばっかりしてさ。

 

俺が、算数苦手な事、わかってる癖に。

 

俺は少しだけモヤモヤとした気持ちを抱えながら、一郎が昨日の復習を生徒に当てていくの必死に耳で追った。

昨日の時点で、大分わからなかったのだ。

今の説明を聞いても、俺にはよく意味がわからない。

 

体積ってつまり、面積に高さが加わったもので……

普通の四角を求めるだけなら俺にもわかるんだよ。

この縦×横×高さとかそう言う公式に当てはめれば問題ないから。

 

けどさ、こっちのページのは何だ!

何だよ、この普通じゃない容器の形は!

どうすればこの体積ってのは求められるんだ?

しかも、その横の問題にはその複雑な容器に水の入っている絵まである。

 

もうこれに至っては、この文章問題が何を自分に求めたいのかそれすらわからない。

というかもう文章問題になると算数はどの単元もチンプンカンプンだ。

 

俺はもう周りで「はいはい!」と手を上げて答えを言おうと必死になるクラスメイトなど眼中になかった。

この難しい問題を当てられたらどうやって切り抜けようか、そればかり考えていた。

だから俺は気がつかなかったんだ。

一郎が全く黒板を見ていない俺を不審に思い、俺の目の前まで来ていた事に。

 

「はーい、敬太郎くーん。今は教科書を使ってない問題なんだけどなー」

「っ!??」

 

俺は頭の上から降ってきた一郎の声にヒクリと体を震わせると、そのまま俺の頭上にある一郎の顔をおずおずと見上げた。

すると、そこには案の定、笑顔の下に少しだけ怒りを垣間見せる一郎の姿があった。

 

うわあ。

もしかして、俺、一人だけ見てるとこ違ってたか。

一人だけずっと下向いてたし、話聞いてないと思われたのかもしれない。

 

こう言う時、“先生”をやってる一郎は俺に容赦ない。

こないだ、授業中(しかも算数の時間)に話について行けず、ボーッとしていた時なんかは、その後の算数の問題は全て俺に集中砲火された。

 

くそう。普段は俺に何が何でもベッタリひっついてくる癖に。

“先生”をやっている時の一郎は、もう幼馴染でも何でも無い。

 

鬼だ。

 

俺は悔し紛れに少し挑むような目で一郎の顔を見ていると、一郎は「じゃあ、この問題は敬太郎君に解いてもらおう」と俺の前にチョークを突き出してきた。

 

げ、もっとしおらしい目で見てればよかった。

 

同じ轍を踏む事になるなんて、俺はなんて馬鹿なのだろう。

そんな風に俺が一人小さな後悔の渦に埋もれていると、俺の斜め前では余程自分が解きたかったのか、イチローの「えー!!」というブーイングの声が大きく教室中に響き渡った。

そんなイチローに一郎は笑顔で「お前は次の国語の時に思いっきり当ててやるよ」と言い放った。

 

そりゃあもう、本当に素敵な笑顔でな!

 

そんな一郎にイチローは更に大きなブーイングの声を上げる。

仕方ない、アイツは国語が一番嫌いな教科だからな。

俺は手に握らされてチョークを握りしめ、とりあえず黒板まで歩いてみた。

その隣からは一郎の「敬太郎なら解けるよな?」と意地の悪い笑みを浮かべて此方を見てくる一郎の姿。

 

くそう、昔はお前も馬鹿だったくせに!

 

俺は悔し紛れにチョークを黒板にかざしてみる。

黒板に書かれた問題は、教科書とはちょっと違っていたが、やはりあの教科書のわけのわからない問題同様、四角の形がかなり複雑である。

 

あぁ、もう全然わからない。

 

俺はいよいよ焦りがピークになってきた。

隣からは一郎の意地の悪い視線。

そしてその後ろからはクラスメイトからの27の視線。

 

そして一番今の俺を焦らせる、教室の真後ろから感じるお父さんの視線。

ここでスラスラ問題を解かないと、凄くカッコ悪い。

お父さんは、高校の数学の先生だ。

 

きっと、俺がこんな簡単な小学生の問題も解けない事を知ったら、恥ずかしいと思うかもしれない。

 

通知表や、テストの点数はいくらだって誤魔化せる。

通知表は提出物や日頃の授業態度が良ければ、悪くは書かれない。

テストだって、死ぬほど勉強して、自分の解ける問題にだけ焦点を当てた勉強をしていれば、他の教科に紛れてそれほど目立った悪い点数は取らないように努力はできる。

 

けど、こう言うのはダメだ。

 

突然当てられたり、一郎の作った小テストでは俺の算数の頭の悪さはカバーしようがない。

 

今はまさにその状態。

試されているのだ。

 

こんな事なら昨日、一郎にもっと詳しく教えて貰えばよかった。

お母さんに、恥ずかしがらずに宿題、見てもらえば良かった。

そんな後悔で、俺はチョークを持つてが固まったまま動かない。

俺は一番後ろから感じる己の父親からの視線に、恥ずかしくて消えたいと心から思った、

 

 

その時だった。

 

「なぁ、敬太郎って算数、全然ダメなのか?」

「おい、静かにしてろ……!」

 

テンパる俺の耳に、一番後ろから俺とイチローの父親がヒソヒソと話す声が教室に響いた。

 

まぁ、響いたと言うより、教室中が静かだった為、背後の父親たちの声が目立ってしまっただけなのだが。

それでもクラス中が聞いた。

背後で俺について話す、親達の声を。

 

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