7:荒唐無稽

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圭は突然、授業中にも関わらずに自分にヒソヒソと話しかけてきた幼馴染に心臓が酷く撥ねあがるのを感じた。

 

「なぁ、敬太郎、算数全然ダメなんじゃねーの?」

 

問いの返事を返してこない圭に、志郎は更にたたみかけるように圭に向かってそう囁いてくる。

いや、本人は囁いているつもりなのだろうが、残念な事に普段から声の大きい志郎のその声は一般的に言って囁く様な音量ではなかった。

これは、どう考えても、この静かな教室に居る全ての人間に聞こえてしまっている。

 

それは、話の渦中の自分の息子にさえ。

 

いい加減黙れという意味合いを込めて圭は志郎を横目に睨みつけてやるが、その視線を志郎は全く気にした風もなくもう一度「なぁ?」と同意を求めてくる。

 

何が「なぁ?」だ。

圭は、今まさに黒板の前で問題が解けず固まってしまっている息子の後ろ姿を心配そうに見つめると、いつも敬太郎が持ち帰ってくる通知表の評定を思い出していた。

 

国語、理科、社会、その他副教科。

そのどれもが敬太郎は一番良い評価、Aを貰っていた。

いや、体育はいつも普通の評価つまりはBという評定だったか。

それと同様、唯一メイン4教科で敬太郎がAでなくB評価を貰ってくるのが、算数だった。

 

しかし、これと言って細かい項目に目を通さずにサラっと見る程度に留めていたので、息子がここまで算数を苦手としている事に、圭は全く気付いていなかった。

 

普段、学校でも家でも反発一つせず、大人びた表情ばかりを見せる敬太郎。

その息子がまさか算数を苦手としているなど、誰が思い及ぼうか。

 

しかも、黒板に書いてある問題を見るに、あれはまだまだ基礎問題レベル。

あの、レベルで固まってしまうという事は、もしかすると敬太郎は自分が思っている以上に算数が苦手なのかもしれない。

 

圭は黒板にチョークを付けたまま、少し震えているように見える息子の後ろ姿にたまらない気持ちになってきた。

自分は高校と言えど数学教師なのだ。

息子の算数くらい言ってくれたら教える事だってできたのに。

 

「…………っ」

 

そこまで考えて、圭は自分に向かって得意気な表情を向けてきた妻の言葉を思い出した。

 

『あなたも、もう少し敬太郎と居る時間を増やせばわかるわ』

 

そう、確かに妻は自分に言った。

(言ってくれたら教えてあげたのに……?)

先程自分はそう思った。

しかし、それは違う。

 

「(俺は、息子の苦手教科すら、知らなかったんだ)」

 

圭は黒板の前に立ち尽くす息子の背中に、居たたまれない気持ちが増すのを感じた。

自分は、最近忙しさにかまけてどれだけ息子の成長を見逃してきたのだろう。

 

大人っぽいですね、良い子ですね。

そう言われる度に軋んでいた自分の心。

 

しかし、その裏で自分もこの小さな体の息子に「この子なら大丈夫だろう」と勝手な大人の判断を何度下してきた事だろう。

敬太郎は何も言ってくれない。

だからと言って、何も知らないままここまで来てしまった自分は、父親として失格なのではないのか。

 

グルグルと負の感情が圭の心を包む。

たった一人の、自分の子供なのに。

 

圭が俯いて自分の拳を握りしめる隣で、志郎は未だに固まったままの敬太郎の背中をじっと見つめ、そして言った。

 

「なぁ、けー。俺、思うんだけどさ。敬太郎って実は俺の息子とかって、そう言う可能性ないか?」

「………はぁ!?」

 

余りに突然放たれた幼馴染の言葉に、圭は思わず授業中である事を忘れて素っ頓狂な声を上げる。

子供のころから思考回路も行動もぶっ飛んでいると思ってはいたが、まさかここまでとは……、そう圭が呆れた目で志郎を見やると、志郎は、やはりコソコソと圭に話しかけた。

 

「いや、いや。お前が驚くのも無理はねぇよ。でもさ、俺は気付いたんだよ。イチローってさ、俺の息子の癖に国語がマジでアホなんだよ、これが」

「……国語?」

「そうそう、いっつも貰ってくるテスト50点とかだしさ。通知表も、こないだなんかCとか貰ってきてやんの」

「で、それで何で敬太郎がお前の息子っつー結論に至るんだよ」

「お前……わかんねぇのか?敬太郎は……ほら、あんな基礎算数で躓いてる。つまり算数苦手。俺、高校の国語教師。昔から国語得意。で、お前は昔から根っからの理系で、今では高校の数学教師……言いたい事わかんだろ?」

「………お前、まさか……」

 

圭は隣で得意気な表情を向けてくる志郎の言いたい事に思い当たると、更に志郎に向ける表情に険しさが募った。

しかし、いくら圭が険しい表情を向けた所で、志郎の突っ走った思考にストップがかかる事はない。

ここまで来てしまえば最後まで突っ走るだけだ。

 

「そう!敬太郎とイチローってさ生まれてから退院する日一緒だったじゃん?だからさ、実は看護師がお前と俺の息子取り違って渡したんじゃね!?赤ん坊なんて、みんな、見た感じサルにしか見えねぇだろ?」

「…………」

「だから、俺の本当の息子は敬太郎で、お前の本当の息子がイチロー!なぁ、この推理どうよ!? 」

 

最早、囁くと意識した声ですらない。

普通に教室中に響き渡ったその言葉に、教室中の意識は全て一番後ろの圭と志郎へと向けられていた。

そこには、もちろん……

 

「おとーさん……」

「………お父さん」

 

 

自分達の息子達の視線も入っていた。

 

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