8:記憶

 

俺は一番後ろから聞こえてきた、まさかという言葉の数々に背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

イチローの父親、志郎はいつもイチロー同様、突拍子のない人だった。

しかし、それがまさか、こんな授業参観の日まで遺憾無く発揮されるとは。

 

俺が志郎さんの息子で、イチローがお父さんの息子?

そんなの、あり得ない。

絶対、あり得ない!

 

隣で先程の不敵な笑みとは違って心配そうな表情でこちらを見てくる一郎に、手に持っていたチョークを無言で差し出した。

 

「敬太郎……?」

 

そんな俺の行動に、一郎は更に心配そうな目で俺を見下ろしてくる。

何だよ、さっきまであんなに意地悪だった癖に、こんな予想外の状況が起こると途端にいつもの一郎か。

 

「けー。帰ったらちょっくら遺伝子検査的なものしに行かないか?」

「馬鹿言ってんじゃない。いいからお前ちょっと黙れ!」

 

未だに周りの状況に気付かず話を続ける父親二人に、クラスメイトも興味津々な様子で二人を見ている。

もう誰も黒板を見ている奴など居ない。

ただ一人居るとすればイチローが心配そうな表情で俺を見ている。

あの目は確かに言っている。

 

『俺とけーたろ、おとーさんの子じゃないの?』

 

そう、イチローは志郎さんの言葉を鵜呑みにして不安がっているのだ。

今がこんな状況じゃなきゃ「ばか、違うに決まってんだろ!」と一喝してやるところだが、今はそれを言う相手が違う。

 

俺が馬鹿と言ってやらねばならない相手は……。

 

「もう、いいから黙れよ!」

「えー、絶対、敬太郎が俺の息子だってー」

 

違うに決まっていると志郎さんの言葉を一喝したにも関わらず、若干不安そうな表情を浮かべている

 

……俺のお父さんだ。

お父さんの馬鹿。

馬鹿、バカ。

 

俺がこんな簡単な算数解けないからって、そんな言葉信じないでよ。

馬鹿。

バカ……!

 

「お父さん!」

 

俺は黒板の前から勢いよくお父さんを呼ぶと、お父さんと志郎さんは驚いたように俺の方を向いた。

そして、いつの間にか教室中の視線が自分達へと向けられていた事に、更に驚きの表情を浮かべている。

 

この状況に今まで気付いていないくらい、お父さんは志郎さんの言葉に動揺していたって事だ。

俺はその考えに更に心の中が熱くなるのを感じると、そのまま黒板の前の台から飛び降りて、お父さん達の元へと走った。

 

「おい、敬太郎。何問題ボイコットしてんだよ?」

「………」

 

お父さんの隣で、志郎さんが俺に向かってまた挑発的な事を言ってくる。

けど、今はそんなの無視だ。

と言うか、志郎さんはいつも俺に向かってこうやって突っかかってくるから通常から無視は必須だ。

とりあえず、俺は志郎さんに背を向けてお父さんをジッと見上げた。

そんな俺にお父さんは、なんだか気まずそうな目表情を浮かべている。

 

「……敬太郎」

「お父さん!俺は、お父さんの子供だよ!」

「っ!」

 

気まずそうなお父さんに向かって、俺はとりあえずハッキリと目を見て言ってやった。

俺の言葉にお父さんは驚いたように目を見開いている。

 

「お父さん。お父さんは、俺が生まれた時、俺を抱っこしてくれたでしょう?喜んでくれたよね?お母さんに良く頑張ったねって言ってたじゃん。俺、お医者さんに抱っこされた後、お父さんにも抱っこされたよ?俺、覚えてるよ」

「…………」

 

俺は生まれた瞬間からしっかり記憶がある。

俺は確かにお母さんのお腹から生まれた後、今、俺の目の前に居る男の人に抱っこされたんだ。

凄く嬉しそうで、少しだけ泣きそうになって。

「ありがとう、ありがとう」って何度も俺とお母さんに言ってたんだ。

 

俺は、しっかり覚えてるよ。

 

「お父さん、俺はお父さんの子供だよ。嘘じゃない」

「敬太郎……」

 

嘘じゃないよ。

本当なんだ。

俺は生まれた瞬間から、この人の笑顔を見て、生まれてきた事を祝福してもらったんだ。

 

「算数、苦手だけど、俺はちゃんとお父さんの子だよ。お父さんは覚えてないの?あの時抱っこしたのは俺だってわからないの?」

 

そう、必死に伝える俺の言葉に、お父さんはいつの間にか口元に小さな笑みを浮かべていた。

 

 

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