22:客と店主

 

 さぁ、やっと酒だ。

 俺は酒瓶の蓋をカラカラと開けると、そのままゆっくり瓶を傾けグラスに注いだ。トクトクという音と鼻孔に微かに触れる、予想通り爽やかな香りに期待感が最高に高まる。

 

「っはぁ……いい!」

「……………」

 

 注がれる事で透明の球体だったグラスが、酒のラベルに描かれているような緑の月のようになった。

 この出来は満足である。

 

 俺はカウンター越しに男のグラスを渡す。氷を入れ過ぎて酒の中から氷山のように氷が盛り上がっていた。

 この出来も満足である。

 

「初めてにしては上手くできた気がする」

「………」

 

 氷山を前に難しい顔をする男に、俺は少しだけ胸がすっとするのを感じた。

 あぁ、良い気分だ。

 良い年して俺はこんな事程度で胸をスッとさせる事が出来るなんて。なんてお手軽な奴なのだろう。こういう自分、嫌いじゃない。

 

 カツン。

 俺は自分の丸い美しいグラスを、男の氷山グラスへと触れさせた。これは弟がよく酒を呑む前にやる儀式だ。意味はよくわからないが、弟にならってやっているうちに、俺も自然と移ってしまった。

 

「かんぱーい」

「………」

 

 かんぱい。そう言って共に飲む相手と酒の入ったグラスを触れ合う儀式。これを、俺は密かに気に入っているのだ。

 

「アンタ……」

「あん?」

「いや、何でもない」

 

 一口呑んで余韻に浸る俺に、男が何か言いかけた。言いかけて終わった。

男は気を取り直したように、氷山グラスに口をつける。飲みにくそうだ。男の鼻に氷が触れている。本当に、めちゃくちゃ飲みにくそうだ。

 

 ざまあみろ。

 

 俺は飲みにくそうな男の姿をつまみに、カウンターで丸いグラスに入った緑の酒を呑む。これも予想通り、果物の風味香る爽やかな味であった。

 この丸いグラスのフォルムもまた言わせない。

 

「選べるっていいな」

「……グラスか」

「グラスも酒も。ワクワクする。楽しい」

「………そんなものか」

「アナタはこんなに良い店に居るからわからないだろうけどな、ここは凄い場所なんだぞ」

「……………」

「ここは良い所だ。楽しいし。俺はずっとここに居たいくらいだ」

「迷惑だ帰れ」

 

 冗談だよ。そう言って笑うつもりだったのに、あまりの間髪入れない返事に、俺は顔が引きつるのを止められなかった。

 対して男は涼しげな顔で氷山グラスの酒を器用に飲み続けている。もう、氷山が鼻にぶつかる事もない。学習能力の塊め。

 

「アナタには分からんさ。一部屋しか部屋がなくて、狭すぎてベッドも置けない何もない部屋に帰る事の虚しさは」

「確かに全くわからん」

「良い生活されてそうですもんね!!」

 

 俺はグイと一気に酒を飲み干すと、また同じ酒を注いだ。これは飲みやすい。とてもスイスイ行ってしまう。

 

「あれほど“寝床”って言葉が合う部屋もそうそうないからな。あぁ、本当にあの部屋はつまらん!」

「南国のある鳥は寝床の巣を様々な物を利用し飾り付けると聞く。オスは、その巣の出来で甲斐性をアピールするという。アンタはそれ以下って事か」

「だーかーら!狭くて物が置けないんだよ!あんなとこに色々置いてみろ!寝る場所がなくなるわ!」

「部屋は物で着飾るだけが在り方の術ではない」

「は?もっとこう、簡単な言葉で例も交えつつおっしゃってもらっていいですか?」

「……………」

 

 俺は少しずつ体中にアルコールが蔓延する幸せを感じながら、男を見た。男は少し考え込むような顔をしていたが、すぐに俺に向かっていつの間にか空になっている自分のグラスを寄越してきた。

 

「上からが5段目、右から2番目白割で」

「え?俺の質問に対する長考じゃなかった……?」

「霜氷はナシだ。濃い目で呑みたい。もちろん、グラスは洗え」

「ちょっ!ちょっ待って!最初からもう一回頼む!」

「物覚えの悪いやつだな。鳥に申し訳ないと思わないのか」

「アナタは俺に申し訳ないと思った方がいいよ!」

 

 俺は自分が客だったのか、それともこの店の店員だったのかと、本気で疑問を抱きながら男の言う酒瓶を手に取った。

 今度は真四角の、これまた一風変わったデザインの酒瓶だ。ラベルはダイヤ型で、中の酒は透明である。

 よし、俺も次はこれを飲もう。