37:笑顔

 

「いつ帰ってくる?」

「ほんの数日だ。週末には帰ってくる」

「ほんとだな!?店の前で待ってるからな!」

「待ってなくていい。あんまり早く来たって開いてないからな」

「いいや!待つ!こう言ってたら、きっとウィズは早めに来て店を開けてくれる筈だから!」

「図々しいやつだな。俺はそんな無益な事はしない」

 

 そう言って未だに薄く笑いながら飲むのは、俺が先ほど注いでやって水だった。やっぱり酔っているんじゃないか。

 

「じゃあ、賭けようぜ。ウィズが早く来てくれるか」

「なんで賭けの対象と賭ける側が同じ人間なんだ。バカなのか」

「言ってろ!それに、見てろよ?これはウィズに分の悪い賭けだからな。ウィズは自分が思っている以上に、優しい奴だって事をこの賭けで証明してやるよ」

「っふ、もう何がなんだか」

 

 そう言ってウィズは先ほどまで自身が飲んでいた水の入ったグラスを、俺に向かって差し出してきた。まだ中には殆ど水が残っている。

 

「これはお前が飲んだ方が良さそうだ」

「酔っ払い扱いするな!」

「いいから、飲んでおけ。酒を飲む際の嗜みでもある。追い水、和らぎ水ともいうが、これからは普段から心がけて水を合間に摂るようにしろ。深酔いを防ぐし、何より口の中をさっぱりさせる事で、次の一杯を鮮明に味わえるようになる」

 

 ウィズの静かで知識を含んだ言葉は、こうしてふとした瞬間、水のように俺へと注がれる。聞いていて心地よい。さすが、教会図書館の神官だ。いや、あまりそれは関係ないかもしれないが。

 

「ほら」

「……わかったよ」

「それと、だ」

「ん?」

 

 俺が受け取った水のグラスに口を付けていると、ウィズはウィズで飲みかけだった酒に口を付けていた。鮮明になった舌で酒の味を楽しむようにゆっくりと飲む下す姿は、ウィズの美しさと相成ってどこか神々しかった。

 

「本業に支障さえなければ、別に副業を禁止するような規定は教会にはないから安心しろ」

「そっか!良かった」

「まぁ、こんな事をしている神官は、俺くらいなものだろうが」

「いいよいいよ!別に悪い事してる訳じゃないんだし!良かった!」

 

 俺はホッと胸を撫でおろした。この酒場が教会に潰される心配はなさそうだ。ホッとしたら、また酒が飲みたくなってきた。ともかく、水を間に飲む事が重要というのであれば、またこのグラスには水を注いでおいて、二人の真ん中に置いておく事にしよう。

そうすれば、飲みたいほうが好きに飲める。

 

「普通は、神官を目の前にしたら、人はもっと別の事を要求するだろうに」

「だって、別に神官にして欲しい事なんて、俺ないし」

「これだからな」

 

 なんと言っても前世の記憶なんてないし。こんな事、絶対口には出せないが、前世のない俺からすれば、俺の信じる神は教会には存在しない。

 

「でも、ウィズにして欲しい事はあるぞ!この店を開けること!」

「ふふっ、本当に変わっているな。お前は」

「あーぁ。明日からここは休みかー」

「たまには酒を控えるのも体の為だぞ」

「そうだなー」

 

バサバサバサバサッ

 

 俺が明日からの仕事終わりについて頭を捻っていると、またしても隣でフクロウが羽ばたいた。そういえば、ウィズが居ない間、フクロウはどうするのだろう。

 

「なぁ、ウィズ。ウィズが居ない間、フクロウはどうなるんだ?」

「友人に預かってもらおうかと思っているが、ソイツも中々忙しい奴だからな。買った店に預けさせてもらうかどうかで悩んでいる所だ」

 

 ウィズの言葉に、俺はカウンターから出てフクロウの所まで歩いた。最初は怖くて仕方が無かったこの独特な丸い目も、グルリと回る首も、そして急な羽ばたきも、今では恐怖なんて欠片も感じない。むしろ、可愛いとさえ思うようになった。

そう、フクロウはかわいい。

 

「フクロウ、お前、うちくるか?」

「は?アウト、何を言って……」

「ウィズには聞いてない。俺はフクロウと話してるんだ」

「…………」

 

 後ろでは、きっとウィズが圧倒的に戸惑いを含んだ視線を向けている事だろう。

「またしても、アウトが頭のおかしい事を始めた」と。しかし、最初に俺を鳥扱いしてきたのはウィズの方ではないか。

俺は背中に感じる強い視線を振り払うように、ジッとフクロウだけを見た。フクロウの方も俺をジッと見ている。

しかし、次の瞬間フクロウの目が俺を見てニコリと笑った。

そう、笑ったのである!

 

「笑った!なぁ、ウィズ!見たか!?今、フクロウが笑ったぞ!ニコって!俺のところ来たいって!」

「っふはは!」

「なっ、何笑ってんだ!俺はフクロウが笑ったって言ってるんだ!ウィズじゃない!」

「っふ、そっ、それは…笑ってるんじゃない」

「へ?」

 

 今日は珍しい。本当に珍しい。ウィズがこうも一日に何度も笑うなんて。それも、ちょっとやそっとの笑いじゃない、大笑いだ。

そして、どうやら笑わせているのは俺らしい。そんなつもりは一切ないのだが、やっぱりウィズは酔ってるんだ。酔ってフワフワしたあの感覚、俺もなんとなく分かるよ。

 

「それは、眠くて目を閉じただけだ。フクロウは眠る時、人とは違って下から瞼を閉じる。その時の表情が、人には笑っているように見えるだけだ」

「……そうなのか」

「ガッカリしたか?」

「……うん。俺に笑ってくれてるって思ったから」

「こんなに至近距離にお前が居て、警戒心なく眠ろうとしてるんだ。少なくとも嫌いではない筈だ」

 

 ウィズからフォロー染みた言葉がかけられる。チラリとフクロウを見れば、完全に寝てしまっているのか、にっこりとした表情のまま、目を開ける事はなかった。やっぱり、笑っているように見える。可愛い。

 やっぱり、笑顔っていいと思う。

 フクロウもウィズも、今日は皆笑っている。良い日だ。

 

「フクロウの事、頼んでもいいか?」

「いいの?」

「こちらが頼んでるんだがな」

「……っ!」

 

 ウィズの言葉に、俺は気分が急上昇するのを感じた。動物など飼った事はないが、ずっと部屋に一人きりで生活してきたので、一緒に生活する“誰か”が居るというのは憧れる。数日とはいえ、俺とフクロウは家族になるのだ。

 

「その代わり、注意事項とエサやりについて伝えておく。聞いた後で、やっぱりナシはナシだぞ」

「うんうん!ありがとう!ウィズ」

「っふ、だから、こちらが頼んでるんだがな。まぁ、いい。さぁ、お前お得意のメモを取るんだ」

「わかった!」

 

 こうして俺は、数日間ウィズのフクロウを預かる事になった。