121:お手本

「……あれって、アバブが描いたんだ」

「あれって、アバブちゃんが描いたんだ……」

「っえ?」

 

 あの素晴らしいモノは、この目の前の人間が作り上げたのだという、驚愕、衝撃、そして、感動。俺は、あの教本を描いた人に聞きたい事が沢山あったんだ。伝えたい事も沢山あって、その中でも一番伝えたいのは“コレを描いてくれてありがとう”って事で。

 

「アバブ!君って凄い人だったんだ!まるで魔法使いみたいだな!」

「いや、魔法使いというより神様だろ!創造主!アバブちゃんってスゲェ子だったんだな!?わー!鳥肌立ってきた!すげー!」

 

 俺とバイは競うようにアバブの前へと顔を突き出すと、これまた競うように言いたい事を口にしていった。想いを伝えたいと思っていた人が、こんなにも身近に居たなんて。こんな素晴らしいモノを作り出せる人が、いつも傍に居たなんて。

 伝えたい事が多すぎて、逆に何を言ったらよいのか分からない。言葉が勢いよく口の中に出て来すぎて、詰まってしまっているようだ。

 

 俺がアバブの事で知っている事なんて、本当に僅かばかりだった。人って凄い。知らない所で、知らない凄い事をなんて事ない顔でやってのけている。

 

 アバブって、人間って、凄い!

 

「凄い凄い凄い!アバブは凄いな!どうやったらあんな風なお話を思いつくんだ!?」

「それそれ!なぁ、アバブちゃん!何をしたらあんな風に綺麗な絵画とも違う絵で、絵本とも、物語ともつかない、なのに現実っぽい話が描けるんだ?俺も練習したら描けるようになるか?!」

「ちょっ、ちょっ!待ってください!二人共!落ち着いてください!ちょっ!近けぇから!二人共近いっす!あんまり異性に無遠慮に近寄るなっていったのは、アウト先輩じゃなかったですっけ!?」

 

 アバブは俺達の勢いに負けたのか、蹲っていた所から勢いよく立ち上がると数歩後ろに退いた。けれど、俺達のこの神様を目の前にした興奮はどうしても抑えられない。抑える事なんてできっこないじゃないか!

 

「アバブ!俺、アバブともっと“びぃえる”とか、あの本についても沢山話したい!」

「っ!」

「あっ!ズリィ!俺も!俺も!俺のがアウトより格好良いだろ!?だから、アバブちゃん!アウトより俺と沢山話して!ね!ね!いいだろ!?」

「わわわわ、わわ!私がモテてどうすんだ!」

 

 アバブは最後にそう叫ぶと、勢いよく職場の中へと駆け込んで行った。その顔はやはり真っ赤で、けれどもう俺に対する拒絶の色はまるでなかった。

 

 そんなアバブに、俺も後を追うべく職場の中へと駆け込む準備をする。しかし、そんな俺の腕は勢いよく何かによって掴まれ、行く手を阻まれてしまった。

 

「アウト」

「っな、なに!?」

 

 俺の手を掴んだ相手。それはウィズだった。

 あぁ、ウィズ。そうだ、ウィズのお陰で俺はアバブという神様に会う事が出来たのだ。ウィズが居なければ、俺はきっと永遠にあの教本の“作者”に出会う事は出来なかっただろう。

 

 ウィズは凄い。どうしてこうも何でも分かってしまうのだろう。どうしてウィズは他人の気持ちを読み取る事が出来るのだろう。

 俺がウィズを見上げた時『助けて』と思った事を、もしかしたらウィズは言わなくとも分かってくれたのではないだろうか。

 

 だって、こうしてウィズのお陰で全てが上手くいったのだから。

 

「ウィズ、アバブが作者だった!」

「そのようだな。良かったな。会えて」

 

 俺は混乱し過ぎて、ウィズから教えてもらった事実を改めてウィズへと伝えてしまった。恥ずかしいが、それ程までに俺は大興奮だったのだ。

 ただ、この大興奮こそが、取り付く島もなかったアバブの孤島へ俺を勢いよく飛んでいけた原因でもあったので、今回は、まぁ、良しとする。

 

「ウィズ、ウィズ!ありがとう!教えてくれて!俺は今物凄く嬉しい!」

「それは良いが、アウト。余り後先考えない行動は慎むように。相手は子供とはいえ、女性だ」

「……うん!」

「……はぁっ、そんな目で言われても全く信用が置けないのだが」

「ウィズ、ウィズ。俺、アバブの所に早く行きたい!」

 

 どうせ夜勤だから、そう焦らずとも今夜は一晩中、アバブと一緒に色々の話が出来るのだが、この時の俺はそんなの関係ないくらい、早くアバブに会いたかった。会って早く話がしたかったのだ。

 

「アウト、いいか?週末の俺との予定の事は覚えているか?」

「うん!もちろんだよ!さすがの俺も興奮したからと言って、楽しみな予定を忘れる程バカじゃないから安心してよ!」

「そうか。俺は全く安心出来ないんだが」

「もう!ウィズ!俺をバカにし過ぎだ!ウィズとの予定は、ずっと前から手帳にも書いてあるんだからな!」

 

 あぁ、もどかしい。早く、早く。

 俺は興奮しすぎて、この時、ウィズの俺の腕を掴むその手に、より一層の力が込められた事に全く気付いていなかった。それどころか、ウィズの表情がみるみるうちに不機嫌の色に染められていく様すら、この時の俺には気付けなかった。

 

「アウト、いいか?その時、今晩、彼女と何を話したのか細かく俺に報告するんだ」

「わかった!ウィズもアバブの話が聞きたいんだな!まかせろ!バイも!俺が先にアバブと話すけど、あんまり拗ねるなよ!」

 

 俺はウィズの隣で「ズリィズリィ」と喚くバイにもウィズと同じように声を掛けてやった。こんなにも夜勤で良かったと思った事は、今までで一度もなかったことだ。俺は顔が緩んでしまうのを止められないまま、コクコクとウィズに頷いてやる。

 

 そう、今晩の夜勤が終われば週末。待ちに待った休みだ。

 そして、同時に休みになったら今度はウィズとの楽しい予定が待っている。

 

「ウィズ、週末楽しみだな!」

「……そう、だな」

「朝から1日ずっと一緒だって約束だったよな?」

「そうだ……あぁ、そうだな」

 

 ウィズはやっと納得したのか、俺の腕を掴んでいた手から力を緩めた。さて、これで俺はやっとアバブの元へ行ける

 そう、俺がウィズ達に背を向けようとした時だった。

 

「なぁ、ウィズ聞いてくれや」

 

 急にアボードがウィズの隣に近寄って来たかと思うと、ニヤニヤした顔でウィズの肩に手を乗せ始めた。そして、本当に嫌な顔で「ウィズ、今から見本を見せてやるから見てな」と耳元で囁いている。

 あれ、二人の距離、近くないか?

 

 どうやら、わざと周りにも聞こえるような大きさの声で言っているらしい。見本とは一体何の見本だろうか。しかも、アボードはいつの間にウィズを「ウィズ」と呼び始めたのだろうか。いつもは「マスター」と呼んでいたと思うのだが。

 

 そんなアボードの絡みに、ウィズも何の事か分かっていないのか、怪訝そうな表情を浮かべ「何を言っているんだ?アボード」と口にしている。

 

 アボード。

 ウィズも、アボードの事を名前で呼んでいる。あれ?今更ながらウィズもアボードの事は名前で呼んでいただろうか?

 

 ——-あれ、いつの間にこの二人はこんなにも仲良くなったのだろうか。

 

 俺は内心浮かんで来た、霧のような正体不明のモヤに眉を顰めていると、アボードが俺に向かって払うように手を振って来た。

 

「ほら、クソガキ。夜勤なんだろ?さっさと行ってこいよ。俺らは見回りが終わったら、3人でマスターの店で酒を飲みに行く予定だ。お前はさっきの子と、楽しく“ビィエル”の話でもして来い」

「…………な!」

「週末の酒はさぞかしうまかろう。なぁ、ウィズ。今日はアンタのとびっきりの酒を俺達にご馳走してくれよ」

 

 ニヤニヤと笑うアボード。それに並ぶトウ、バイ。そしてウィズ。

 この4人は今日も俺を抜きにして、俺のお気に入りのあの酒場で酒を飲むらしい。すると、俺は先程までウィズが俺の腕を掴んできていた気持ちの片鱗を少しだけ感じる事が出来た気がした。

 

 言葉に頼らずとも、あの時のウィズの表情や、俺の腕を掴んでいた手、そして、その時に込められた力強さ。それらに注目する事が“ぎょうかんをよむ”事に繋がるのだ。

 ウィズが教えてくれた。そう、ウィズが。

 

 その瞬間、今度は俺がウィズの腕を勢いよく掴むと、勢いのまま叫んでいた。

 

「ウィズ!あんまり、アボードと仲良くするなよ!!もう!腹が立つだろ!」

 

 俺が叫んだ瞬間、俺に腕を掴まれてたウィズの目が、面白い程見開かれて此方を見ていた。

 あぁ、やっぱり俺は心の手札も全部最初に出し切らなければ、気が済まない。俺はどこまで言ってもそういう性質の人間らしい。

 

「っはははは!ったく、お前ら本当にチョロいな!?」

 

 その瞬間、それまでいやにウィズに近づいていたアボードが、腹を抱えて笑いだした。そして、そのうちポンポンとウィズの肩を叩き、言った。

 

 

「ほらな!マスター!アンタもこう言えば良かったんだよ!」

 

 

 どうやら、ウィズに見本を示したのは“俺”だったようだ!

 

 

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