122:とある優しい祖父の話

 

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 はなし?

 こんなおじいさんの話が聞きたいなんて、おかしな人だ。

 私も随分と長生きをしたからね。あまり昔の事は思い出せないんだ。

 

 あぁ!だったら私の孫の話を聞いてくれないか。あぁ、私に孫は1人だけだ。だからってワケじゃなないが、そりゃあもう可愛いくて可愛くて。

 目の中に入れても痛くない、なんて諺があるだろう?私はその言葉を、孫が生まれてから毎日のように思ったものさ。

 

 とても良い子でね。息子夫婦、孫の両親だね。彼らは共働きだったから、よく家に預けられていた。両親が不在で寂しい事も多かったろうに、家に来ると「おじいちゃんおじいちゃん」といつもくっついて来てくれる。老後の楽しみなんて、趣味の一つもなかった私には何一つありはしなかったけど、彼が生まれてからは本当に毎日楽しかった。

 

 彼はね、絵を描くのが得意で、いつも部屋でお絵描きをしていた。色鉛筆やクレヨンはすぐになくなってしまうから、二人での買い物はいつも画材屋さんだった。

 

 好きな色は水色。

 けれどね、私は本当は孫の好きな色がピンク色だって事は、よく知っていたさ。なにせ一番すぐに無くなるからね。

 

 けれど、保育園でそんな事を言うと「男の癖に変だ」なんて言われてバカにされるから好きな色は水色って事にしているみたいなのさ。

 

 こんな小さな子にも、小さな世界で生きる為に自分を誤魔化したりするのかと思うと、私はとても悲しくてね。ピンク色の色鉛筆だけは、いつも一本多めに買ってあげていた。

 

 おじいちゃんが好きだからって、嘘をついてね。

 

 好きこそモノの上手なれという言葉の通り、孫の絵はどんどん上手くなっていった。子供の成長は見ていて本当にまっすぐで、私の家は孫の絵でいっぱいだった。そして、小学校3年生の頃に描いた絵が、コンクールで入選した。

 金賞を取ったんだよ!凄いだろう?あぁ、金賞っていうのは一等上手な絵に貰える賞だよ。

 

 あの時は本当に鼻が高かった。だから、私は彼に聞いたんだ。

 

 将来は画家にでもなるかい?と。

 

 そしたら、孫は笑ってこう言ったよ。

 

——-ぼく、将来は漫画家になりたいだ!

 

 入選して飾られた絵の前でそう言って笑う彼に、私は、彼が何になるんでも良いから、誰よりも幸せになって欲しいと、心から思ったんだ。

 

 

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