6:視力検査

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『拓道君、ちょっとコッチ来てー』

『うおっ!バレとった!』

 

 

ヤスキは今日も今日とて拓道のバレバレなストーカーごっこの被害者となっていた。

いっそ隠れずに普通に歩いて来た方が、よほど自然で相手にバレにくいだろに。

そう、ヤスキはいつも思う。

そして、拓道のズケズケとした視線を感じながら昼休みを過ごすのである。

 

しかし、その日はそれが実に都合が良かった。

 

ヤスキは自分の中のある予想を確信に変える為に、拓道をある場所に連れ出したかったのだ。

 

『ヤスキ先生、なーん?』

『ちょっと先生と視力検査しようか?』

『なんでー?こないだしたやん!』

『なんででも』

 

ヤスキは目の前にある保健室のにかかった保険医不在のプレートを取ると、保健室のカギを開けた。

そんなヤスキの後で、危なっかしくフラフラとステップを踏みながらついてくる拓道に、ヤスキはチラリと目を向けた。

拓道は楽しそうに鼻歌まで歌いながらクルクルと回る。

 

『よーし、拓道君。そこに立って!今から視力検査をはじめまーす』

『いえっさー!』

 

ヤスキは拓道が言われた場所に立ったのを確認すると、視力検査の板に向かっていつも通り指し棒を穴の空いた丸に向かって指していく。

 

右、左、斜め右。左、上、上。

 

そう、淀みなく答える拓道にヤスキは最後に一番下の、米粒サイズの丸を指した。

 

『しーた!』

『うん、やっぱり凄いな。拓道君は』

『すごかろーが!オレ、1年の頃から右も左もぜーんぶAやもん!』

 

そう言ってイヒヒと笑ってみせる拓道に、ヤスキは保健室の脇にある引き出しをおもむろに開け、何かを取り出した。

そんなヤスキの様子を拓道は不思議そうに見つめる。

 

『拓道君、こんどはこっちでやってみようか』

『え?』

 

ヤスキが取り出したのは視力検査の丸が一つだけ書かれた厚紙だった。

それは視力検査の一番上の丸よりも大きく、それは視力矯正をしている者がコンタクトや眼鏡を外した際の検査に使われるものだ。

 

やり方は同じだ。

空いている方向を答える。

答える方は変わらない。

 

しかし、持っている方は板を指す時とは違い、穴の空く方向を厚紙をクルクル回す事によって変えていかなければならない。

ヤスキは拓道から離れた場所に立つと、丸の書かれた方向をクルリと拓道の方へと向けた。

 

『えっと、みぎ…』

『じゃあこれは?』

『うえ……じゃない、した?』

 

そこには先程の淀みなく答える拓道とはうって変って、もごもごと言い淀む拓道の姿があった。

 

この厚紙に書かれた丸の穴が見えないとなれば、それはもう裸眼で生活できるレベルの視力を遥かに下回っているという事だ。

 

ヤスキは自分の予想していた事がそのまま的中していく拓道の姿に、ゴクリと唾液を呑み下す。

 

『拓道く』

『先生ずっか!そげんかとズルやん!』

 

ヤスキが拓道の名を呼ぼうとした瞬間、片目を隠していた拓道がその場で地団太を踏み始めた。

そしてひたすらにズルイズルイと叫びながら、彼はヤスキには予想もつかない言葉を発した。

 

『そげん毎回先生が好きなごと、穴ば変えよったら覚えきれるわけなかやん!当たるわけなかやん!先生ズルか!』

『へ?!』

『全部当てないかんとに!毎回変えて!先生のばかー!』

 

そんな事を本気の顔で怒鳴ってくる拓道にヤスキは思わず吹き出していた。

拓道の中で“視力検査”というものは、ある種ゲームと化していたのだろう。

穴の空いた丸の方向を全部当てるゲーム。

 

そして、やはり彼は覚えていたのだ。

板に書かれた全ての丸の穴の方向を。

まだ視力に問題のなかったであろう低学年の頃に数回見ただけの視力検査の板に書かれた全てを。

苦もなく暗記してしまっていた。

 

故に、毎回ランダムで穴の方向が変わるこのやり方では、本来の暗記力を発揮する事はできないのだ

 

拓道は見えていないのだ。

世界がぼやけてしまっているのだ。

 

そして、その事は当の本人は気づかない。

いや、気づけないのだ。

彼も昨日今日で突然見えなくなったわけではない。

 

じょじょに下がっていった視力。

拓道にとっては、ぼやけた世界こそが世界の全てであったのだ。

 

ヤスキは怒る拓道へと、一歩、また一歩と近づいて最後には拓道へと視線を合せてかがみこんだ。

ついでにヤスキは拓道の頭をグシャリと撫でてやる。

 

『拓道君、当てなくていい。先生と約束して。分からない時は、もう適当に言うんじゃなくて、ちゃんと“わからん”って言ってごらん。“わからん”でいいから』

『………』

 

ヤスキは出来るだけ拓道に顔を近づけるようにして言うと、小さく微笑んだ。

 

『先生からの、おねがい』

 

ゆっくり、一言一言を噛みしめるように言う。

拓道はいろんな場所で盛大に自分の道を拓く。

視力検査を暗記ゲームのスコア得点制にして遊んだりする。

脅威の暗記力を持ってして、彼のユニークな独創性にして、隠れてしまっていた。

 

『わかった』

 

拓道はブスリとした表情のまま、それでも静かに頷くとヤスキの目をジッと見返した。

今は、目がきちんと合っている。

 

『ありがとう、拓道君』

 

ヤスキは二コリと笑って礼を言うと、また元の場所に戻るべく立ちあがった。

すると、立ちあがった瞬間小さな手がヤスキの手を掴んだ。

それは紛れもなく拓道の手で、その手は子供特有の熱を帯びていた。

 

『間違ってん、はぁーち言わんでね』

『はぁーって?言うわけないだろ?どうした?』

『はぁーっち言わんならよかと。はよう、しよ』

 

拓道はそれだけ言うとヤスキの手から自らの手を離した。

“はぁー。”

拓道の言うソレは明らかに溜息だった。

ヤスキはなんとなく拓道のあの授業中の落ち着きの無さの原点を、そこに垣間見た気がした。

いつ、誰にかはわからない。

しかし、確かに拓道は誰かに溜息をつかれたのだろう。

失敗した時、間違った時、出来なかった時。

 

その記憶が根底で彼の本質を曇らせていた。

 

『はーっては言わない。拓道君が全部間違ったら、あははって笑ってやるよ』

『あははって?先生がー?』

 

ヤスキが笑いながらそういと、それまでブスっとしていた拓道の表情がじょじょに明るくなっていった。

 

『あははっちなら、よかよ!』

 

そう言っていつもの如く自由に盛大に笑う拓道に、ヤスキは手に持った厚紙を彼に向けた。

全ての検査が終わった後。

ヤスキは約束通り、拓道に向かって大きく『あははっ!』と笑ってやった。

 

『全問不正解!拓道君、お母さんに眼鏡を買ってもらおうか?』

 

平川 拓道。

12歳。

視力、右0.03。左0.01。

 

 

 

彼は黒板どころか、人の顔の認識も困難な程の視力だったのだ。

 

 

 

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