9:なりきり作文

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拓道が眼鏡をかけ始めて、丁度1カ月が経とうとした頃。

その頃には、見えすぎる世界に拓道が頭をふらつかせて壁に激突する事も減り、ヤスキが眼鏡姿の拓道に『黙っていれば賢そうな子供なのに』などという失礼な事を思う事もなくなった。

 

つまり、拓道の眼鏡姿と、真面目に授業を受ける姿が定着した頃の出来事だ。

2学期も終盤に差し掛かり、この頃になるとヤスキは6年1組の“卒業”というものを意識し始めた。

卒業にあたって、やる事はたくさんあるが実質的に動き出すのは3学期に入ってからだ。

しかし、卒業文集など、そういったものを作る為の材料は2学期あたりであらかた揃えておく必要がある。

今まで書いてもらってきた作文でも十分こと足りるのだが、後一つ。

ヤスキにはどうしても子供達に書いて欲しい題材の作文があった。

 

単元の進み方的にも、ちょうどそれはその頃合いである。

 

『今日は、昨日の国語で勉強したなりきり作文をみんなにも書いてもらおうと思います』

 

なりきり作文。

その名の通り、身近なモノになりきって自分という人間を表現する作文である。

なりきるモノは何でも良い。

自分の使っている筆箱でもランドセルでも、飼っているペットでも。

自分に身近な“何か”になりきる事により、自分を客観的に見る視点を養い、それを文章化する事により自分への理解を深めるのである。

 

いずれ生徒達は小学校を卒業し中学生になる。

自分と言う人間が他者からはどう見え、どう思われているのかを明確に意識し始める時期だ。

故に、12歳という小学校最後の年にきちんと“自分”というものに向き合う時間を作っておくべきだと考えたのだ。

 

『この時間で書ききれなかった人は今日の宿題になるので、そのつもりでな』

 

ヤスキが生徒達にそう言うと、生徒達からは『えぇー』という、明らかに歓迎ムードではない声が上がる。

1組の生徒は基本的に作文が苦手な生徒が多い。

 

400字詰めの原稿用紙をどう埋めていけばいいのか、という視点で作文を捉える生徒が多いのだ。

作文をただ原稿用紙を埋める作業と認識するのならば、これほど苦痛な時間はないだろう。

そんな生徒達の苦手を少しでも払拭しようと、ヤスキは今までも作文のテーマは工夫をしてきたつもりだったが、その努力は未だに実を結ぶ事はなかった。

 

そんな生徒達にヤスキは苦笑すると、ふと、一人だけ珍しく声を上げずにジッとヤスキを見つめる生徒に気付いた。

平川 拓道。

眼鏡越しにジッとこちらを見てくる拓道に、ヤスキは『どうした?拓道君』と声をかける。

すると、拓道はピシッと手を上げた。

 

『先生。なりきるもんちさ、何でん良かとやんね?』

『うん、何でもいいぞ。自分の身近なモノになりきって自分の事を書く。それ以外にルールはないからな』

『じゃあ、なりきるものって何個でもよかと?』

『何個でもか……んー』

 

何個も。

そう尋ねてくる拓道にヤスキは頭を捻った。

拓道は一体いくつのものになりきって自分を書くつもりなのだろう。

 

拓道がこう言った予想外の質問をしてくるのは日常茶飯事故、ヤスキも慣れていたつもりだったが、やはりいつも戸惑ってしまう。

 

彼だけは、いつも他の生徒達と見ている視点が違う。

故に、質問も変化球なものが多いのだ。

 

『何個でも……本当は一つのものに絞ってなりきる方がいいだろうなぁ。なりきるものが増えると、その分視点が増えるから難しくなるぞー。でも、拓道君がそれでも書けるっていうなら、やってみてもいいかもしれないけどね』

『ふーん、難しくなるったいねー』

 

ヤスキの言葉に拓道が考えを巡らせるように視線を宙へと舞わせる。

これは眼鏡をかけるようになった彼が思考を巡らせる時の癖のようなもので、きっとそこには拓道にしか見えない“何か”が浮かびあがっているのだろな、とヤスキは思っていた。

そうして、浮かび上がった何かを全て見渡すと、彼は大きく息を吸う。

 

全ての思考を吸い込むように。

 

そして、その後に言う言葉はいつだって決まっているのだ。

 

『ちょっと、やってみるたい』

 

そう、難しい道だと分かっていても拓道は、とりあえず『ちょっとやってみる』のだ。

やってみなければ分からないというように、彼は他者が踏みとどまる一歩をなんなく踏み出すのである。

 

そんな彼に丁度その時隣の席だった忠孝が『拓道は何になりきんの?』と声をかけた。

 

しかし、問いかける忠孝に拓道は『ナイショー』と、既に心ここにあらずな気の無い返事をするだけだった。

既に拓道の思考は作文の中へと溶け込んでいる。

 

それを証明するように、ヤスキが作文用紙を配ると、拓道はすぐさま原稿用紙に鉛筆を滑らせ始めた。

時折ブツブツと何かを呟き、消しゴムをかける。

そして、やっと周りの生徒達も作文用紙に手をかけ始めた頃。

 

ヤスキは視線を感じた。

 

『…………』

 

視線の正体はなんとなく予想がついていた。

言わずもがな拓道だ。

これは昼休みにストーカーごっこという遊びをしていた彼から、いつも受けていた視線だ。

 

ヤスキが目をむけると、拓道は手を止めぼんやりとヤスキを見ていた。

その瞳には特に何かメッセージがある訳ではなく、ただ本当にぼんやりとヤスキを見るのみ。

 

ジッと交差する互いの視線。

そんな状態にヤスキはふっと表情を和らげた。

いつもの事だ。

 

拓道が眼鏡をかけるようになって、授業中にぼんやりとこちらを見つめてくる彼と、何度視線を交わらせた事だろか。

 

最初は、何か言いたい事があるのだろうかと『どうした?』と声をかけていたが、そういう時の拓道の返事はいつも気の無い『なんもなか』というものだった。

ただ、拓道はヤスキを見る。

ヤスキはそんな拓道を見て表情を緩める。

 

そうしてしばらくすれば自然と拓道の視線は机に向かうのだ。

 

この時もいつもと同じで、しばらくの後、自然と彼の手は課題へと戻っていた。

きっとこのジッと見つめてくる視線も、自分を見ているわけではなく他の“何か”を見ているのだろうと、ヤスキは勝手に思っていた。

拓道の思考は無限だ。

 

きっとヤスキには予想もできないような事を想い、そして巡らせているのだろう。

 

『(あぁ、出来あがりが楽しみだな)』

 

そう思い、ヤスキは静かに下を向いて笑う。

 

『…………』

 

そして、そんなヤスキを拓道はまたしても静かに見ていた。

ジッと、静かに、満たされるまで。

拓道は静かに目を閉じると、また、彼だけの思考の中へともぐっていった。

 

 

 

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