10:彼のなりきったもの

 

 

 

平川 拓道は気付いていた。

自分が母親からどう思われているのか。

自分がクラスメイト達からどう思われているのか。

自分が先生からどう思われているのか。

 

自分がヤスキからどう思われているのか。

 

ずっと、気付いていた

 

 

 

 

筈だった。

 

 

 

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拓道君はどんな子

平川 拓道

 

私は拓道のお母さんです。名前は平川仁美です。

はぁ、私の息子は本当にダメな子です。他の子が簡単にできる事を、拓道は全然できません。勉強も出来ないし、忘れ物もするし、全然私の言う事を聞きません。遊んでばかりです。

きっと拓道は病気なのでしょう。

早く、病院に連れて行って先生に治してもらわないといけません。

けれど、何度病院に行っても拓道の病気は治りません。

あぁ、そうだ。病院の先生がダメなら学校の先生に拓道を治してもらいましょう。

そうすれば、きっと拓道の病気も治るはずです。

 

私の名前は里田めぐみです。5年1組の担任の先生です。

拓道君のお母さんから拓道君の病気を治してくださいと頼まれました。

困りました。拓道君は全然授業を聞いてくれません。

どんなに怒っても、周りの子のようにできません。はぁ、本当に困りました。

ある日、私は「もうすぐ6年生になるのに、どうしてできないの」と拓道君に言いましたが、拓道君は「なんで6年生だとできないといけないの」と言い返してきました。

もう、私はどうしたらいいのかわかりません。

だから、拓道君が6年生になる時は違う先生に担任の先生をしてもらいましょう。

 

ぼくの名前はのざわヤスキです。6年1組の担任の先生です。

めぐみ先生から1組の担任を貰いました。そして、めぐみ先生から「拓道君は病気だから治してあげてね」と言われました。困りました。治して欲しいと言われましたが、拓道君は病気ではありません。

ぼくは先生だけど、病気でないものを治す事はできません。

拓道君はただの元気な男の子です。ぼくに壁ドンをしてきたり、ストーカーごっこをしてきます。ちょっとめんどうくさいです。

拓道君は目が悪くて、うるさくて、元気で、面白い、ただの男の子です。

拓道君は病気ではありませでした。

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夕刻。

日も落ち切った誰も居ない職員室で、ヤスキはある作文を前に心臓の鼓動が重く鳴り響くのを聞いた。

 

大きな字でマスいっぱいに書かれた作文用紙。

何度も、何度も読み返す。紙に穴が開くのではというくらい。

目を通しながらヤスキはいつの間にか拳を握りしめていた。

 

拓道は確かにヤスキに『なりきるものはいくつでもいいのか?』と尋ねてきた。

そして、その質問の示す通り、拓道は複数のモノになりきっていた。

そう、彼はなりきったのだ。

 

自分の周囲の大人達に。

 

『(……まさか、こんな)』

 

教科書に載せられていたこの作文の題材は“消しゴム”だった。

故に、他の生徒もそうだがヤスキ自身が子供だった頃に同じテーマで作文を書いた時も、それに倣って身近なモノになりきった。

 

それが、まさか“ヤスキ自身”になりきられるとは。

それはヤスキにとっても予想外の事であったし、作文を読んだ時の、この胸の締めつけられるような苦しい感覚は、どうしたって消す事ができない。

 

拓道はずっと、ずっと分かっていたのだ。

周りの大人達が自分に向けてくる、溜息を含んだ同情や苛立ちに。

そして、彼自身はソレらに気付いていないフリをして笑顔で踊り、駆けまわり、そして苦しんでいた。

 

母親から『どうして分かってくれないの』と肩をゆすられ。

担任の教師から『どうして他の子みたいにできないの』と困惑され。

 

そして、拓道も同じ想いを抱えながら、その小さな体で生きてきた。

どうして自分は上手くできないのだろう、と。

どうして周りの子のようにできないのだろう、と。

理由も分からず、一番苦しんだのは彼自身に違いないのだ。

 

平川拓道は聡い子だ。

母親の事も、教師の事も、きっと周りのクラスメイトが自分という人間に対して抱いている感情を感じとってしまう。

その聡さが、彼の心を傷つける。

 

いつか、拓道は言った。

『はーっち言わんでね』と。

それは、はぁ、と言う溜息によって沢山傷付いてきた、彼の心の叫びだった。

 

ヤスキは教育とは“見”守る事だと思っている。

教師は生徒達を見る事によって、彼らの成長の妨げになるものから守ってあげないといけないのだ。

だから、教師は生徒達をきちんと見ていてあげなければならない。

親だって、近所の大人だって。

子供は大人が皆で“見”守らなければならないのに。

 

同じくらい、いや、それ以上に子供は大人を見ている。

あのまっすぐな目で、キラキラと輝く目で。

 

(ヤスキせんせー!俺、男ん先生が良かったけん、先生が担任でうれしか!)

(あははっちならよかよ!)

(じゃあ、やってみるけん!先生見よってよ!)

 

ヤスキは手に作文用紙を持ったまま、静かに目を閉じると、瞼の向こうで駆けまわる拓道の背に向かって名前を呼んだ。

 

平川 拓道君。

 

キミは、とても。

 

 

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