14:6年1組同窓会のご案内

 

 

 

フリーアナウンサー。

平川 拓道の名を知ら者は老若男女問わず、居ないのではないだろうか。

 

 

≪幕末の日本において吉田松陰の思想は大きな影響を与えました≫

 

 

ヤスキは車に乗り込むと、おもむろにラジオから聞こえてきた聞きなれた声に苦笑した。

先程、テレビで「いってらっしゃい」と笑顔で見送られたその声と同じその声は、先程とは打って変わって真剣で、張りがあった。

歴史の偉人達の歩みや名言を伝えるそのラジオ番組は、年末のラジオ特番として恒例でもあった。

 

「いくらなんでも、働き過ぎじゃないかな」

 

あはは、と誰よりも笑ってクネクネと変なダンスで駆けまわり、よくわからない遊びを子供達に流行らせていたあの子供が、今や国民的なアナウンサーとして、メディアで見かけない日はないのだから、おかしなものである。

 

20代後半で所属していたKSDの看板アナウンサーとして活躍し、30歳と同時にフリ―のアナウンサーとして活躍の場を広げた彼は、今やニュースからバラエティ、教育番組に、ドキュメンタリー特番の総合司会、映画のナレーション役と幅広く活躍している。

こうしてラジオ番組にすら出ているところを見ると、彼の活躍の場はまだまだ広がりそうだ。

 

「そういえば、今度私立博物館であるピカソ展の音声ガイドナレーションも拓道君だって言ってたな」

 

彼はどれほど働く気だろうか。

ヤスキはおせっかいとは分かっていても、テレビの向こうで快活に笑う彼の体の心配をせずにはいられなかった。

まぁ、きっと拓道は過去の担任がこうして自分の体の心配を、出勤中の車の中でされている事など露ほども思っていないだろうが。

 

≪幕末の偉人として名を馳せた坂本竜馬の思想に大きな影響を与えた吉田松陰ですが、彼の教育者としての一面は現在の教育の祖として大切に息づいているのです≫

 

 

平川 拓道。

彼はその名の通り道を拓いた。

自分の道だけでなく、ヤスキの道もまたしかりである。

 

拓道を最初にアナウンサーとしてテレビで見かけた時、ヤスキは思わず悲鳴を上げそうになった。

いや、実際に上げた。

テレビの画面の中で、初々しくも彼特有の笑顔でテレビの中を彩る姿に、ヤスキは「やったー!」と飛び上がってしまったのだ。

 

変わらない笑顔に、アナウンサーとしては珍しい眼鏡姿。

ヤスキはテレビに映る拓道の姿に、またしてもこの子はきっともっと大きく成長するだろうという片鱗を見た。

 

そして、ヤスキの予想通り拓道はみるみるうちにアナウンサーとしては破格の出世をしていった。ウェットにとんだ言い回しと、当意即妙の立ち居振る舞いは視聴者に安心感を与え、共演者からの評判も良い。

そんな拓道が、アナウンサーとしてだけでなくメディア内で一つの地位を確立する出来事があった。

 

平川拓道は型にはまらない。

彼がKSDの看板アナウンサーとして活躍が絶頂期だった頃、一つの告白をした。

 

「私は同性愛者です」

 

メディアの前で、そう、ハッキリと言い切った会見はその年世間を騒がせた。

確かに、それまで熱愛報道の一つもまともにされてこなかった彼は、その時初めて彼の恋愛遍歴について触れられたのだ。

 

KSDには内緒での暴露だったらしく、一時期局内でも彼の起用されている番組の司会変更などが行われかけた事もあった。

 

しかし、結局は世間がアナウンサーとしての彼を求めた。

 

結局彼はオリコンの行った「好きな男性アナウンサーランキング」で5年連続1位を獲得し殿堂入りも果たし、今はフリ―のアナウンサーとして、縛られる事なく、あっちでもこっちでも見かけるようになった。

 

≪松陰が教え子たちに残した教えは、脈々と後の世に語り継がれています。こうして考えると“教育”というものがいかに重要かわかりますね。一人の人間に大きな岐路を与え、そしてその一人の岐路がやがて、日本全体を動かす波へと変わる事があるという。かくいう私も、アナウンサーを志す前は教師を目指していました。あ、小学校の先生です≫

 

あの暴露にはヤスキも目を見開いたものだ。

しかし、緊急で開かれた会見でも、拓道は凛として受け答えを行い、逆に記者会見の場を和ませるような、笑わせるような発言で会見は一つの番組として確立する程の完成度を治めた。

 

そんな彼の姿に、ヤスキは子供だった彼が行ったビデオレターの時の立ち居振る舞いを思い出し、そして少しだけ泣いてしまった。

 

どうやら、拓道が自分を同性愛者だと認識したのは小学生の頃と、比較的早かったという。

故に、ヤスキと共にあった1年間は既に彼の中でその事実は静かに彼の中に横たわっていたと言う事になる。

 

それを思うと、ヤスキはたまらなかった。

 

ADHDを疑われ、他人と違う自分に苦しんでいた彼は、更に自分が好意を向ける相手が他者とは圧倒的に異なる事にも、ひっそりと悩んでいたに違いない。

そう思うと、ヤスキは自分の教師としての未熟さを改めて突き付けられるような思いに駆られるのだ。

 

教師は神様でもなんでもないのだから、子供の全ての苦しみを救いあげてあげられるわけじゃない、なんて。

そんな考えに落ち着いてしまいそうになる事もあったが、テレビで活躍する拓道の姿を見ると、ヤスキの背筋は自然と伸びる。

“やらねば”と思わせられる。

 

そう、ヤスキは20年経った今も、拓道に自分の行く道への背中を押してもらっているのだ。

 

≪小学校と言えばですね、俺の初恋の相手が≫

 

学校に到着したヤスキは車のエンジンを切り、ふうと息を吐いた。

ラジオの音が切れ無音の世界が広がる。

 

そしてヤスキは運転席の日よけに挟まれている1枚のハガキに手を伸ばした。

 

「明後日かぁ……」

 

自然と漏れる笑みにヤスキはハガキの裏面に印刷された文字を静かに追う。

 

 

【王溝小学校 6年1組 同窓会(忘年会)のご案内】

 

 

差し出し人は、あのスーパー小学生こと、今や大学病院の心臓外科医として命の第一線に立つ伊藤忠孝からであった。

 

「まだ今年は、終わってない。しめくくるのは……この後だ」

 

ヤスキはハガキを日よけへと戻すと、車から降りめいっぱい背伸びをした。

 

 

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