20:一世一代

 

 

 

『……拓道君はきっと、先生の事なんか……すぐ忘れるよ』

 

 

 

そう言ってどこか傷ついたような顔のヤスキに、拓道は後悔した。

自分が我儘を言うと、ヤスキをとても辛い気持ちにさせるのだと気付いた。

 

(オレ、先生ん事、絶対忘れんとにな)

 

拓道の中で、それだけは絶対だった。

この絶対は、何があっても絶対で。

絶対に自分はヤスキの事を忘れたりはしない。

そう、12歳の彼は確信していた。

 

(じゃあ、先生は?)

 

けれど、ヤスキはこれからも自分ではないたくさんの生徒に勉強を教えたり、優しくしたりするのだろう。

拓道自身がしてもらったように。

 

そして、自分はきっと多くの生徒の中の一人として忘れ去られてしまう。

 

(そげんかと、嫌やん)

 

そう思うと拓道はたまらなかった。

その場にジッとはしていられない衝動に駆られる。

暴れ回って、駆けだして、先生も一緒に中学校に来てと叫びたくなる。

 

(……でも、それはダメやんね)

 

だからと言って想いのままに拓道がヤスキにそれをぶつければ、またヤスキを傷つけてしまう。

 

だから拓道は卒業式の日、めいっぱい笑う事にした。

卒業式では、きっと皆泣くだろう。

ヤスキも泣くだろう。

 

だから拓道は大声で笑ってやった。

そうすれば、卒業式に笑っていた変な奴だとヤスキに覚えていてもらえる。

そう、信じて。

 

拓道は笑った。大いに、笑ってやった。

そして、最後の最後に言ったのだ。

 

『オレ、せんせーん事、一生わすれんち思うっちゃん!』

 

(だから、おねがい。ヤスキ先生)

 

オレん事も、忘れんでね。

 

 

 

 

 

 

————

——–

—-

 

「っはぁ、っはぁ……っはぁ!」

 

ヤスキは走った。ただ、ただ足を前へと動かして。

走りながら、いろんな事を思いだした。

20年前の、彼と居た日々の事を。

 

『せんせーい!壁ドンさしてー!』

 

自分の事は、去年の事も、今年の事も、昨日の事だって、すぐに忘れてしまうのに。

あの彼と過ごした鮮やかな日々だけは、今も色褪せずにヤスキの中にある。

 

『ヤスキ先生、ごめんね』

 

ヤスキは思った。

この子のことは、きっと一生忘れないだろう、と。

それは自分の一方的な想いだとばかり思っていた。

 

『オレ、せんせーん事、一生わすれんち思うっちゃん!』

 

けれど、どうやらそれは違ったようで。

 

『俺は、また、先生を好きになってしまう』

 

12歳の彼も、24歳だった自分も、きっと既にあの時から――。

 

「っはぁ!っはぁ!」

 

ヤスキは詰まるような呼吸に息を切らせると、やっと目の前に現れた彼の居る部屋の扉の前に到着した。

そして、ヤスキは躊躇う事なく、その扉を開く。

 

「っお、遅く……な、りま、したっ」

 

ヤスキは呼吸もままならないまま、とりあえずそれだけ言うと、その場に崩れおちるように座り込んだ。

44歳。もう若くはない。

こんなに全力疾走をしたのはいつ振りだろか。

 

ヤスキが余りの酸素薄な状態で、ぼんやりそんな事を思っていると、会場のざわめきがヤスキの耳にも届いて来た。

あの携帯越しに聞こえてきた拓道の告白を聞いた後だ、無理もない。

 

ヤスキとしてもあの告白は予想外で、衝撃で、驚愕で。

そしたら、いつの間にか泣いていた。

また、拓道が自身の聡さと優しさで傷を作ってしまっていた事に対して、どうしようもない気持ちになった。

 

また、そんな生き方ばかりして。

そう言って、たしなめて抱きしめてやりたかった。

もう彼は小さな子供ではないけれど、彼の笑って傷を負う生き方には、いつも小学生の彼が隠れている。

 

ヤスキはその小学生の彼を見つけてあげなければならない。

見つけて手を繋いであげなければならない。

抱きしめてあげなければならない。

 

「っふ、はっ……はぁ」

 

ヤスキが少しだけ整った息に、俯いていた顔を上げようとした時だ。

 

「……ヤスキ、先生」

「っ!」

 

声が聞こえた。

懐かしい、けれどもあの時とは全く違う、大人の彼の声が。

けれど、その声色はあの時のまま。

“ヤスキ先生”なんて。

名前を呼んで貰えただけで、何でこんなに嬉しいのだろうか。

 

切ないのだろうか。

 

「……はい、どうしましたか。拓道君」

 

ヤスキはゆっくりと顔を上げて、そう返事をした。

見上げた先には、拓道が忠孝と並んで正座をして、こちらを見ていた。

 

「先生やん……」

 

その瞬間、拓道はヤスキの姿に、ただ、ただ目を見開いていた。

 

そんな彼の姿にヤスキは20年前の彼を、そこに見た気がした。

初めて眼鏡をかけて、ヤスキを見た瞬間の彼を。

そして、拓道はあの時のように言った。

 

「先生ち、今は、こんか顔ったい……」

 

そう、目を瞬かせながら言葉を放つ彼は、何も変わっていなかった。

もちろん、姿かたちは立派に成長している。

けれど、結局のところ、何も変わらない拓道の姿がヤスキには愉快で仕方が無かった。

 

「っはは、どうですか。老けたでしょう。先生、もう44歳です」

「……あぁ、凄か。やっぱ、凄かね。先生」

 

拓道はどこか感動したようにそう呟くと、口元を手で押さえて吐きだすように言った。

 

「やっぱ、えらい、綺麗か」

 

拓道から出た感想染みたその言葉に、隣に座っていた忠孝は優しげな顔で苦笑した。

そう、この顔だ。

 

拓道は、いつもこの顔でヤスキの事を想いながら、過去のヤスキを振り返っていた。

優しくて、凄くて、綺麗で、大好きな、ヤスキ先生。

そう、拓道はいつも言っていた。

そして、今、拓道は本物のヤスキを前に、いつもと同じように、いや、それ以上に満たされた表情で言葉を紡ぐ。

 

結局のところ、忠孝の考えは甘かったのである。

今のヤスキに再会してどうこうなる話ではなく、最早、拓道のヤスキへの想いはそんな次元ではなかったのだ。

 

「ふはっ、拓道君……キミは本当に変わった子だね。面白い事ばかり言う」

「なんで?どこが面白か?本当の事やん。あぁ……先生やん」

 

会えない、会わない。

そう騒いでいた人間は、今やどこにもおらず、拓道はただ嬉しそうな表情でヤスキに近づいて行った。

そして、座りこむヤスキの前に目線を揃えるように座ると、拓道の右手がヤスキの右手をしっかりと握りしめた。

 

「先生、俺、今アナウンサーしよるとばい。知っとった?」

 

そう、どこか先生に語りかける小学生のような拓道の姿に、ヤスキは思わず微笑んでいた。

『ヤスキせんせー!』

そう言って駆けてくる拓道の姿が、そのまま今ここにあるようだった。

 

 

「もちろん、知ってるよ。毎朝、キミのニュースを見て学校へ行ってるからね」

「毎朝?それ、嬉しかね。でも、本当はさ、俺、先生のごとなりたかったけん、小学校の先生になろうと思ったとよ」

「そう言えば、そう、昔テレビで言ってたね。興味本位でテレビ局のインターンシップに参加したのが、アナウンサーを目指すきっかけだったんだって」

「そうそう。インターンシップに参加した時さ、先生と、めぐみ先生のビデオレターば作った時ば思い出してかららね。あんとき、先生いっぱい笑いよったけん。俺、また先生ば笑わせられるこつばしたかなぁち思ったと」

「……そう。先生、テレビでいつも笑ってるよ。拓道君は本当に面白いから」

 

 

そう言って、ヤスキは一つ一つ、丁寧に拓道の話に頷いた。

拓道は話せば話す程に伝えたい事が溢れてくるのか、ヤスキの手を必死に握りしめながら話し続けた。

まるで、もうどこにも行かないで、とでも言うように。

 

「先生、先生……ヤスキ先生」

「ん?どうしたの?拓道君」

 

そのうち、拓道はヤスキの名を何度も呼ぶと、苦しげな表情でもう片方の手もヤスキの手に乗せた。

その手は微かだが、震えていた。

 

「ヤスキ先生……、あの、俺、今から、えらい先生の嫌がる事ば言うと思うっちゃん」

「そうなの?」

「うん、やけんね。お願いやっけん、先生」

 

拓道はそこまで言うと、今まで笑顔だった顔を少しだけ歪ませて、吐きだすように言った。

 

「はーっち、言わんでね」

 

その言葉に、ヤスキは右手に置かれていた拓道の手から離すと、そのまま拓道の頭をグシャグシャと撫でてやった。

本当は抱きしめてあげたかったけれど、それはまだ早い。

その代わり、ヤスキはめいっぱい笑って言ってやった。

 

「言わない。きっと拓道君が何を言っても、先生はあははって笑うよ」

「本当ね?嘘やない?」

「嘘じゃない」

 

ヤスキはそう言って優しく微笑むと、頭に乗せていた自らの手を、そのまま拓道の手へと乗せた。

今度はヤスキが拓道の手を握りしめる番だった。

 

(さぁ、がんばれ。平川 拓道)

見えない溜息を作るのは、いつも自分自身だ。

 

そんなヤスキに、拓道はジッとヤスキの目を見つめると、そのまま少しだけ目を閉じた。

目の前に浮かぶ言葉を選ばずに済むように。

選ばず、思った事をそのまま、言えるように。

矛盾しても、おかしくても、ただ、想いの丈をぶつける。

 

それが、今の拓道に出来る全てだった。

 

 

「ヤスキ先生が好きです」

 

 

「ずっと、好きでした。小学生の頃から、ずっと」

 

 

「先生は真っ当だから、俺みたいなのとは違って、ずっと綺麗に生きてると思う。俺みたいなのから好きになられても、迷惑で気持ち悪いと思うけど」

 

 

「先生、ヤスキ先生。俺、本当は、貴方に会ったらいけなかったのに」

 

 

「でも、こうして会ってしまったから。もう、俺は、もう」

 

 

「きっと、俺はこれから貴方の人生をめちゃくちゃにしてしまう」

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい。ヤスキ先生」

 

 

 

「俺は貴方が好きです。大好きです」

 

 

 

そう、全てを吐きだすように言いきった拓道にヤスキは約束通り「あははっ」と大いに笑った。

笑いながら、けれど、ヤスキは同時に泣いていた。

そして、泣き笑いながらヤスキは拓道を抱きしめて、そして言った。

 

「キミにめちゃくちゃにされる人生なんて、とても楽しそうですね。大歓迎です」

 

 

平川 拓道。

32歳。

彼はその瞬間、感激の余り何もできず、まさかの気絶したのであった。

 

 

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