23:愚かな自分

 

 

 

 

その日、平川拓道は夢を見た。

 

 

 

何故、それをすぐに夢だと理解できたのか。

夢の中には“自分”が居た。

 

しかも、そこに居たのは、

 

『おっちゃん、なんか見よくとイライラすっちゃけど!』

 

12歳の、平川拓道だった。

 

「何ば言いよっとか、このクソガキ。その台詞はコッチの台詞た!」

 

32歳の拓道は、突然目の前に現れた20年前の、小憎たらしい自分を前に眉をしかめた。

こんな顔、付き合いの長い忠孝や家族以外には、あまり見せない彼の珍しい表情だった。

 

『ぼー!ぼーん!っほー!』

 

しかし、そんな32歳の拓道を前に12歳の彼は無駄に鼻の穴を広げ、ここ一番の相手を小馬鹿にしたような表情を浮かべおまけに舌まで出してきた。

こんな馬鹿そうな子供が自分の過去の姿など。

拓道は子供の自分の姿を見ながら頭を抱えた。

 

よくこんな馬鹿で阿呆で下品な子供の事をヤスキは今まで忘れずに、しかも再会後も優しく受け入れてくれたものだ。

 

『何か言えっち!こんオッサンが!』

「ウゼェ!どっか行けし!お前ば見よくと、こっちは色々恥ずかしくなってくるっちゃけんな!そげんかこつばっかしよくと、ヤスキ先生から嫌われっぞ!」

 

32歳の彼が子供の自分にそう言い放った瞬間。

それまで、変顔で拓道を馬鹿にしていた子供の彼はカッと目を見開き、そのまま大人の拓道の足のスネを思い切り蹴飛ばした。

思わぬ自分からの攻撃に、拓道は一瞬息をするのを忘れ、そのまま足を抱えて蹲った。

 

「っつぅー…、なんばすっとか!こんクソガキが!」

『お前がクソた!クソ!ハゲ!オヤジ!男好き!キモイっちゃん!お前!』

 

そう、彼の語彙力での精一杯の罵声を子供の拓道は大人の自分に言い放つ。

思わぬ攻撃と、罵声に大人の彼はキレる寸前だった。

どうせ相手は夢の中の自分だ。

 

ボコボコにしたところで、誰も迷惑すまい。

そう、彼が拳を握りしめた時だ。

 

『ヤスキ先生はオレんこつ好きやもん!オレん事、いつも見てくれよるもん!先生はオレん事が一番好きっちゃん!』

 

クラスの中で一番好きっちゃん!

 

そう、必死に拓道に叫んでくる子供の自分に拓道は更に眉間の皺を濃くした。

そうなのだ。

この頃の自分は愚かにも、こんな浅ましい事を平気で思っていたのだ。

だからこそ、毎日死ぬほど楽しく学校へと向かっていた。

 

先生にとっては自分が一番の存在なのだと。

 

何の根拠もない事を、信じて疑わなかった。

 

「そげんか訳あるか!先生は先生ぞ!お前ばっか見よるわけじゃなかった!大勢の中の一人た!そげんか馬鹿んごた事ば思いよるけん、お前はいちいち傷つかやんやったとぞ!馬鹿か!」

 

大人の彼が叫ぶその言葉に、子供の拓道は口をへの字に歪めながら、眼鏡の奥の目にうっすらの涙の膜を張らせていた。

しかし、その台詞は子供の拓道だけではなく大人の自分すら容赦なく傷つけた。

 

こんな愚かだった自分の姿など、もう見ていられない。

そう、拓道が子供に向かって背を向けようとした時だ。

 

『そげんかこつばっ、言いよるお前がっ!本当にヤスキ先生ば幸せにしきるとか!?お前んごたやつに、ヤスキ先生ば取られたくなか!ヤスキ先生以外も好きになったクセに!ヤスキ先生以外ともエロかこつもしてきたクセに!お前んごたヤツじゃ絶対ダメばい!めぐみ先生の結婚式ごたこともしてやられん!お前じゃダメばい!ヤスキ先生がかわいそか!』

「――っ!」

 

目を真っ赤に腫らせながら叫ぶ子供の自分。

ヤスキしか知らず、純粋で、綺麗で、まっすぐで。

ただひたすらにヤスキだけを求めて走っていた自分。

 

そんな自分からの言葉だからこそ、拓道は二の句が告げなくなった。

確かにそうだ。

自分の言う通り、愚かな幼い自分は真っ直ぐ故に傷を負ってきた。

しかし、多くの経験をし、他の男の味を知った自分は、最早この頃の自分ではない。

 

ずるく、卑怯になった。

まっすぐにヤスキを幸せにする術すら持ち合わせていない。

ヤスキの平穏や日常や、可能性ある幸せな未来を潰す事しかできない歪んだ自分は、本当にヤスキを幸せになどできるのであろうか。

 

「……黙れ、クソガキ」

 

『黙らん!オレやったら絶対にヤスキ先生ば幸せにしきる!お前はどっか行け!消えろ!お前んごた腰ぬけの汚なかヤツ、オレじゃなか!ヤスキ先生ば返せ!返せ!』

 

「……黙れ、黙れ、黙れ」

 

本当に、自分は、ヤスキを。

(ヤスキ先生を幸せにする覚悟をしてちょうだい)

幸せになど、できるのだろうか。

 

『ヤスキ先生は俺が幸せにするっちゃん!』

「黙れ!!!」

 

拓道は強く握りしめた拳を握りしめたまま、喚き散らす子供に向かって勢いよく振り上げた。

その時だった。

 

『やめてください!』

 

子供の拓道を庇う様に一人の若い男が現れた。

その男は、拓道は良く知る彼よりも随分若く、そしてとても懐かしい顔をしていた。

 

『ヤズキぜんぜぇぇ』

『あぁ、ほらほら。泣かないで。拓道君、ほら』

 

ヤスキ先生。

そう、幼い自分が呼ぶ男こそ、まさに20年前の、まだ24歳だった頃の野澤ヤスキ、その人だった。

24歳のヤスキはみっともない程に鼻水や涙を流す拓道を優しく抱きしめると、『よしよし』といいながら子供の頭を撫でた。

32歳の拓道は、突然現れた自分よりも若いヤスキの姿に息を呑んでいた。

 

「ヤスキ……先生……、ヤスキ先生!」

『やずぎぜんぜぇぇ!やずぎぜんぜぇぇ!』

 

大人の拓道が必死にヤスキの名を呼ぶが、同時に発せられた子供特有の高い泣き喚き声に全てかき消されてしまった。

故に、若いヤスキの目線は子供の拓道から離れる事はなかった。

 

ヤスキ先生がこちらを見てくれない。

 

ただ、それだけの事が大人の拓道の心を酷く締めつけた。

それはもう、息の仕方すら忘れてしまいそうな程に。

 

『やずぎぜん生、は、オレんごど、好ぎやんね?いじばん、好きやんね?』

 

眼鏡の下からとめどなく涙をこぼしながら、若いヤスキに問いかける子供の姿に大人の彼は呼吸が荒くなるのを感じた。

一体どこまで愚かなのだろうか。

そんな事、絶対イエスなんて答えてくれる筈がない。

はぐらかされるに決まっている。

 

ヤスキは教師で、拓道はイチ生徒でしかない。

大勢の中の、一人でしかないのに。

 

そう、大人の拓道が表情を歪めた時。

 

 

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