6:強制送還

 

『う、おお』

 

あれよあれよと言う間に体全体を大人の防寒具に身に纏わされた拓道は、自分の体から微かに薫るヤスキの匂いに、静かに興奮した。

そんな拓道の興奮を余所に、拓道にランドセルを背負わせると、拓道の手を引き己の家から出た。

 

『せんせー?なんで家から出ると?なんで鍵ば締めると?』

『今から先生が拓道君を家まで送るからです』

『ええええええ!!嫌やん!嫌!俺は先生のインフルエンザば倒しにきたとばい!看病しに来たと!先生ば寂しか想いさせんごつ!なとに、なんね!それ!』

 

そう、ヤスキの隣で喚く拓道にヤスキはズキズキと痛む頭に、眉を寄せた。

あぁ、頭が痛い、フラフラする。

今年のインフルエンザが、こんなにも苦しいなんて思わなかった。

 

『拓道君……お願いだから……先生の言う事を聞いて?先生ね、拓道君に、こんな苦しい思いをしてほしくないんだよ』

 

そう言いながら拓道の小さな手を引いてカンカンと外階段を下りる。

拓道が上がって来た時より足音は多く、けれど、勢いは全くなくなったその足音は、ただただ拓道の心をしぼませた。

 

『先生のインフルエンザなら、オレ、移りたか』

『そんな事言わないで。お願いだから。ねぇ、拓道君』

 

ヤスキはできるだけ顔を拓道へと向けないように気がけながら、しかししっかりと拓道の誠意には応えようとした。

大人のくせに、教師のくせに、自分の体調管理すらまともにできず授業に穴をあけてしまった自分。

そんな不甲斐ない自分に泣いた1日に、まさか、拓道に会えるなんて。

 

わざわざ電車に乗って、一人で寂しい思いをしているであろうヤスキを想ってやって来た、この男の子が可愛くない訳が無い。

だからこそ、もし自分のせいでこの元気の塊が病に伏せるような事になっては、もうヤスキは立つ瀬がない上に、自分で自分が許せなくなるだろう。

 

ヤスキは自分の車の後部座席に拓道を押しこむように乗せると、自分もすぐに運転席に乗り込んだ。

後には黙りこくる拓道。

ヤスキはすぐにエンジンをかけ暖房がきくようにすると、バックミラー越しに後で俯く拓道を見た。

 

『拓道君、ありがとうね。先生、嬉しかったよ。だから、一緒におうちに帰ろうね』

『……先生とおりたか』

『先生、治ったらすぐに学校に行くから』

『来週まで、先生来れんとやろ?』

『……んー、わからないなぁ』

 

そう、誤魔化してはみるものの、確かに水曜日の今日に8度の熱ならば、どんなに早く熱が引こうとも、今週はもう学校には行けない。

それを分かっているかのように拓道の頭はどんどん項垂れていく。

 

うなだれながら小さな、小さな声で拓道は呟いた。

 

『先生が居らん学校とか、つまらんけん。俺もインフルエンザになりたかよ』

 

その言葉に、ヤスキはもう少しで泣きそうだった。

弱ると、涙腺も緩くなる。

ちょっとしたことで泣いてしまう。

 

それが今まさに起こりそうだった。

 

『……先生とちゅーばしたら、オレもインフルエンザになれるやか』

『拓道君……』

 

ヤスキは少しずつ温まっていく車の中で、しめていたシートベルトを外すと、運転席の背もたれを倒し、後に居る拓道に向かって手を伸ばした。

移るかもしれない、近づいてはいけない。

 

そう思っても、その手は止められなかった。

 

ヤスキは拓道の後頭部に手を回すと、彼の顎を自らの肩に寄せるように抱き寄せた。

そして、ゆっくりとした手つきで拓道の頭を撫でる。

 

『拓道君、先生から一つお願いしていい?』

『……なんね?』

 

拓道は突然体中に感じるヤスキの高い体温に、自らの顔の熱がどんどん上がっていくのを感じた。

無論、それは風邪でもインフルエンザでもなく、ただの好きな人と居る時に起こる自然現象だった。

 

『来週ね、長縄大会があるでしょう?先生、それ、どうしても6年1組が優勝したいんだよ。ぜったい、どうしても』

『優勝?』

『そう。でも、先生こんなんだから、みんなに練習しよう、頑張ろうって言えない。だから、お願い。拓道君』

『…………』

『長縄大会、優勝できるようにして』

 

そう、囁くようなヤスキの言葉に、拓道は本能的に頷いてしまっていた。

そして、頷いた瞬間『ずるかね』と内心思った。

好きな人の頼み事を断わる事など、猪突猛進、一心不乱の拓道にはできっこなかった。

 

ヤスキが『優勝して』と言ったら、もう。

拓道は長縄大会で6年1組を優勝させるしかい。

 

『わかった』

『ありがとう、拓道君。キミはやっぱり優しい子だ』

 

そう言って体を離したヤスキは、マスクをしているせいでどんな顔をしているのかよくわからない。

けれど、拓道にはハッキリとヤスキがいつもの微笑みを浮かべているのが分かった。

好きな人の事だから、すぐに分かるのだ。

 

 

『じゃあ先生、来週は絶対に学校きてばい』

 

 

来んやったら、また来るけん。

 

そう言って口を尖らせる拓道に、ヤスキはたまらず笑ってしまった。

 

 

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