125:不条理な条理

 

 

「ごめん、ぼんやりしてた」

「お前は会話の途中に急にぼんやりするのか?」

「い、いやぁ」

 

 今度こそ、訝し気な表情をハッキリとその顔に覗かせながら、ウィズが軽く息を吐いた。自然と俺の肩を掴んでいた手も離れていく。

 

「なぁ、アウト」

「ん」

 

 ウィズはふと俺から視線を外しながら、静かに俺の名を呼んだ。ウィズの視線の先には、通りの一角から続々と出てくる黒装束の人々。きっと、あの角の向こうに、亡くなった人の住んでいた家があるのだろう。

 

「何かある時は、言ってくれないか?」

「何かって?」

「その何かが分かれば、俺は苦労してないんだがな」

「確かに」

 

 言っていて、おかしな気分になった。

ウィズは俺の事を心配してくれているらしい。そういえばこないだも酒に酔いながら、俺が自覚もないままとんでもない事に巻き込まれてしまうのでは?なんていう謎の心配をしていた。

 

 ウィズの心配が一体どこから来るものなのかは分からないが、俺自身先程の奇妙な感覚が何なのか分かっていないのだ。

 “何か”あるのかさえ、自分でも分からない。

 

「俺は確かに常人よりも知識はあるし、他人の機微には聡い方だと思う。お前に言わせるところの行間が読める、というヤツだろう。けれど、だからってそんな事は大した事ではない。俺は言う程何も分かっていないんだ。今だってお前が何を考えているかなんて、欠片も分からなかった」

 

 ウィズの言葉は、そう、ウィズの言葉なのに、なんだか俺の言いそうな言葉で聞きながら不思議な気分になった。そこには、何でも分かってますって顔でスンとした、いつものウィズの顔は無かった。

 

 眉間に皺を寄せ、どこかもどかしさをその身一杯に宿してしまった子供のような顔をしている。

 

「言ってくれなければ、分からないんだ。俺も」

「ウィズ……」

 

 言ってくれなければ分からない。

その俺の専売特許のような台詞が今やウィズに取られていた。あぁ、言われる方はこんな気持ちなのか。ならば、俺もウィズのように出来うる限りの言葉で伝えたい。

 伝えたいけど、けれど。

 

「ごめん、ウィズ。俺もよく分からないんだ」

「分からない、とは」

「なんか、あの葬礼に参列した人たちを見てたら、何か思い出しそうで」

「思い出しそうで、何も思い出せないかった、と」

「そう、確かにあの店でオラフを注文して、そして鳥に取られた事は覚えているんだ。けど、なんだかその間の記憶がぽっかり抜けてるような気がして。誰かと話したような気がするんだけど」

 

 俺は一体ウィズに何を言っているのだろう。腕を組み、言いながら自分で何が何だか分からなくなる。結局、俺は一体何をどうしたかったんだろう。

 

「アウト。お前、何か変な事に巻き込まれていないだろうな?」

「変な事って?」

「それが分かれば俺は苦労しないんだがな」

「確かに」

 

 俺の先程と全くおなじ返事に気が抜けたのだろう。ウィズは今度こそ深い溜息を吐くと、俺の頭にポンと手を乗せた。髪が濡れていないかの確認にしては、今は機会がおかしくないだろうか。

 

「記憶がそうもゴッソリ抜け落ちるなんて、いくらメモを取っていても追いつかないだろう。仕方がない。出来る限り俺が傍に居て、アウトの代わりに覚えておいてやるしかなさそうだな」

「っ!そうして!」

 

 俺は急に振って来た願ったり叶ったりなウィズの提案に、思わず勢いよく頷いてしまった。

 

 あぁ、なんて事だろう!

「心配性だなぁ、大丈夫だよ。ウィズ」なんて軽く返してやろうと思ったのに、俺の口はまるきり違う言葉をウィズに放つ。一緒に居て俺の代わりに俺が忘れてしまった事を覚えていてくれるなんて、それはとても素敵じゃないか!

 

——-なんたって、それはウィズがずっと俺の傍に居てくれるという約束そのものだ!

 

 その喜びや、計り知れず。

俺は、その瞬間。先程までのモヤモヤした霧の中を歩くような気分は一切消えて無くなっている事に気付いた。その代わり、俺の中に確かに空いていたぽっかりとした記憶の穴についても、この瞬間を持って気にするのを止めてしまった。

 

「……少しは自分でしっかりしようとは思わないのか」

「ウィズが覚えててくれるならいいじゃん!」

「まったく……あぁ、まったく!お前という奴は!」

 

 その瞬間、俺の頭の上に乗せられていたウィズの手が俺の頭をギリギリと握り締めてきた。その痛み、まるでアボードたるや。

 

「いだだだだ!ちょっ!やめっ!ウィズ痛い痛い!」

「こちらの気も知らずに!呑気な顔で嬉しそうにしてくれる!」

「ごめんってば!」

 

 人々が往来闊歩する昼間の大通り。通りを足早に歩いていく通行人達から振り返って見られる程、俺達二人は大騒ぎしながら笑い合っていた。

 

 笑いながら、俺は思う。

 これは、世界の在り方そのものだ。ひとつ通りの向こうでは、大切な人を亡くし悲しみに暮れる誰かが居る。そのすぐ近くで、俺は大切に思える人と笑い合っている。これが世界の至る所で起こっている、見る人によっては“不条理”とも思われる世界の条理。

 

 これがこの世界だ。