そして、兄貴は……(2)

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「純君?どうしたんだい、ぼーっとして」

「っす、すみません!」

 

 

 俺の通う高校。

 地元の公立高校。

 ここはこの地域一帯では名のある私立よりも偏差値が高い事で有名な進学校だ。

 

 そんな地元じゃそこそこ名の通る高校で俺は現在、生徒会に所属している。

 生徒会執行部、書記。

 そんな肩書を持つ俺は毎日放課後は生徒会室で雑務に追われている。

それは俺だけでなく、周りの生徒会役員も皆そうで、次回の生徒会会議の資料作りやそれに係るデータ整理等、各々忙しそうに動き回っている。

 

 その中で、俺だけ資料を作っていた手が止まってしまっていたようだ。そんな俺に今しがた声をかけてくれた人物、それは

 

「あ、一茶先輩。すみません、なんでもないです」

 

 一之瀬 一茶。

 うちの高校の生徒会長である。

 

「何でもないなんて事はないだろう?顔色が悪いよ」

「すみません、いろいろと下らない事ばかり考えてしまって……本当に大丈夫ですから」

 

 そう、俺が手元にあるプリント類をまとめて笑うと、一茶先輩は俺の隣の席に座ると、ジッと俺の顔を見つめてきた。

 

 一茶先輩は頭がいい。

 それに、スポーツも万能だ。

 そして極め付けが、顔も良い。

 

 兄貴のように染めて痛みまくった髪ではなく、艶のある黒髪。

 優しげな雰囲気は誰に対しても壁を作らず、そして皆に平等に笑顔を向ける。

かつ、下を引っ張る力を持ち合わせているため、付いて行く方は安心して後に続ける。

 

 生徒会長として、ここまで適任な人材は、そうそう居ないだろう。

 兄貴とは大違いの人。

 本当に兄貴と同い年なのかと疑いたくなる。

 

 そして、ふと俺は思った。

 こう、どうして俺は何でもかんでも兄貴と比べてしまうのだろう。

 

 兄貴はクソ野郎なのだから、比べれば誰だって兄貴よりは“良い人”になっているのはわかりきっているのに。兄貴なんて一茶先輩の足元にも及ばないのに。

 

「すみません、一茶先輩」

(兄貴なんかと比べてしまって)

 

「本当にどうしたんだい?キミがそんなにぼんやりしているのは珍しいから、俺も気になるよ」

「いやいや、先輩!顔近いですって!」

 

 いつもの柔らかい笑顔をたたえる顔に、にんまりとした何かを企むような笑みを浮かべる一茶先輩。一茶先輩は何故か、俺が入学した時からずっとこうして俺の面倒を見てくれる。

 こうして俺が生徒会なんて言う自分では身の丈に合っていないと思っているモノに属しているのも、元はと言えば一茶先輩の誘いがあったからだ。

 

 そんな一茶先輩と俺が初めて会ったのは、まさに俺がこの学校に入学した日、つまりは入学式の日だった。

 

 高校の入学式。

 俺には俺の入学式を身に来てくれる保護者は居ないので、どこに行くにも何かと一人だった。

 

 入学式の前日『保護者として入学式に出てやろう』なんて兄貴が笑って俺に言ってきたが、俺の高校名を聞いた途端、兄貴は顔を歪ませた。

『今日、やっぱ仕事あっから無理だわ』と、入学式の朝に何気なく兄貴に言われた瞬間、兄貴は本気で入学式に来るつもりだったのかと驚いたのをよく覚えている。

 

 こんな明らかに不良の金髪少年が学校に来たら、俺は一発で今後の高校生活の平穏さを失うところだった。

 なので、兄貴が『来ない』という判断をしてくれて本当に助かったと思った。

 

 とまぁ、そんなわけで俺は仲の良い友達も、保護者もな居ない入学式で、一人ぼんやりと窓の外の桜を眺めていた。

 式自体は終了し、クラスのHRも終わった。

 故に、もう皆それぞれ友達や保護者と学校を後にしている中、それでも俺はなんとなく家に帰ろうとは思えなかった。

 

 ここで、俺は3年間過ごすのか、と思うと何とも妙な気持だった。

 兄貴は働いている。

 俺は学生としてまだ社会を知らない。

 

 俺は兄貴の弟として知らぬ間に庇護されているのだ。

 

 いつ、また一人になるとも知れぬ不安の中、俺だけがこうして学生と言う身分でぬるま湯に浸かっている。そう思うと、あの家に帰るのもなんだか躊躇われたのだ。

 

 そんな時、偶然俺の横を通りかかって声をかけてくれたのが、一茶先輩だった。

 

『大丈夫』

 

 そう、一言だった。

 何が、とは聞けなかった。

 一茶先輩は笑顔で、俺を見て手を振って去っていった。去り際に柔らかく撫でられた頭に、俺は呆然とする事しかできなかった。

 

 一茶先輩は不思議だった。

 大丈夫?と聞いているのか、それとも、大丈夫だよという声かけだったのか。

 返事を聞かないという事は多分後者なのだろうが、一茶先輩は俺が大丈夫でない事をもう鼻から知っていたという事だ。

 

 それから、一茶先輩は何かと学校で俺に声をかけてくれた。

 一茶先輩は何も聞かない、追及して来ない。

 ただ、どこかその目は俺の不安も望みもわかっているような、そんな目で俺を見て来る。

 

 それが、俺には心地よかった。

 

「純君は、いつも寂しそうだね」

「いえ、別に寂しいなんて……」

 

 いつの間に二人だけになっていた生徒会室。

 俺は次の生徒会会議の資料をパチパチとホッチキスで留めて行く。

 

「純君、俺はね常々、君の仲間になりたいと思っているんだよ」

「仲間、ですか」

「そう、仲間。キミの家庭の事情は知っているよ。ご両親の事とか、それにお兄さんの事も。今はお兄さんと二人で住んでるんだってね」

「……一茶先輩、どうしてそれを」

 

 俺は先輩がさも当たり前のように言ってくる俺の家庭事情に、少しだけドキリとした。

 俺は学校で家の事は何も言っていない筈。

 すると、一茶先輩は俺を安心させるように俺の頭を撫でると小さく告げた。

 

「知らないかもしれないけど、純君と俺の家近所なんだよ。こういう家庭の噂は、知らぬ間に周りには広まっているものさ」

「近所って……でも、先輩中学は違いますよね?」

「え?純君と同じ中学だけど。もしかして知らなかった?」

「えっ、う、嘘だ!中学の時の生徒会には先輩居なかったじゃないですか!」

「いやいや、俺は中学の頃は生徒会なんてやるような人間じゃなかったからね。俺はいわゆる高校デビューってやつなんだよ」

 

 そう言ってフワフワと笑う一茶先輩に、俺は驚く事しかできなかった。

 高校デビューって。

 この顔良し、性格良し、スタイル良しな一茶先輩が高校デビューって。

 

「先輩、中学の時はダサかったなんて想像できません!」

「そっち?」

「って事はうちの兄貴と同じ時の卒業生って事ですよね!?帰ったら兄貴の卒業アルバム見てみます!」

 

 俺達の中学は3年周期で荒れる生徒が大量に発生する時代があると言われている。

俺達が学校に居た時は、俺の一つ上。

つまり兄貴達の時代が素行が荒れた時代だと言われていた。

 

 そんな時代にこんな良い先輩が居たとは。

 

「うちの兄貴が迷惑をかけたりしてないといいんですけど。何もされませんでしたか?うちの兄貴、クソですから」

「っははは、クソは良いね。ううん、俺は別になんともなかったよ。むしろ君のお兄さんが居たお陰で、何かと楽しかった」

「えぇ、そうなんですか。信じられない」

 

 楽しかったと言ってクスクス笑う一茶先輩に、俺はなんだか妙にグルグルしていた自分の思考が落ち着いて行くのを感じた。

 やっぱり、一茶先輩と話すのは落ち着く。

 

「俺、どうせ兄貴が居るなら一茶先輩みたいな兄貴が良かったな」

 

 俺がポツリと呟くと、一茶先輩はなんとも形容しがたい表情で俺を見ていた。

 一茶先輩はさっき、俺の仲間になりたいと言ってくれた。

 

 こうして、安心をくれる相手が俺の兄貴ならば、俺はこんなにも毎日怯えなくて済むのではないだろうか。

 いつの日か離れていく事はわかっていても、毎朝、毎朝、ずっと俺は兄貴とその彼女を見つめてどす黒い感情に苛まれずに済むのではないだろうか。

 

 そう、俺が思った時だった。

 

「純君、今日は帰りに、君の家に行きたいな」

「ええっ!何ですかいきなり」

「今日は俺が純君のお兄さんになろう!」

「いやいやいや。兄貴、今日、早番だって言ってたから夕方には帰ってるかも。兄貴と会っちゃうかもしれませんよ?」

 

 

 俺は突然提示された一茶先輩からのお宅訪問に焦るばかりだった。

何せ、自分から高校デビューというのだから一茶先輩の中学時代は今とは大分異なるだろう。

中学時代、いろいろと問題ばかり起こしていた不良の自宅に来るのは一茶先輩的に如何なものなのだろう。

 

 俺だったら絶対に近寄りたくもないのだが。

 

「純君の部屋に居れば問題ないだろう。そんなに互いにプライベートがないような生活はしていないだろう?」

「いや、そうですけど……」

「じゃあ決まりだ。もう今日は遅いし仕事は明日に回して、今日は純君の家のお宅訪問としようじゃないか」

 

 そう言うや否や、一茶先輩は俺の手元にあった書類をさくさく片付けるとそのまま俺の腕を引いて生徒会室を出た。

「もう今日は皆も遅いから各自仕事は見切りつけて上がるようにね」といつもの穏やかな笑みを周りに撒き散らしながら歩く一茶先輩は、その笑顔に似合わず俺の腕を引く手はかなり力強かった。

 

 あぁ、こんな強引なところは兄貴と少しだけ似ているかもしれない。

 

 なんて無意識に考えてしまった俺は、一茶先輩の背中を見ながら静かに溜息をついた。

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