139:幸福を腕の中へ

 

 

『さぁ!今日こそ頷いてくれるだろう!ニア!せっかく田舎者の中でも、そのような麗しい容姿を持っているんだ!媚びる先が分からない程、君も愚かではない筈だ!』

 

 

 驚くほど頭の悪い台詞が、俺と、そしてフロムの耳に響き渡った。

 あぁ、帰省早々この声は頭に響く。勘弁してほしい。

 

『なぁ、ニア、いい加減に素直になったらどうだ?あんな粗悪な乱暴者と付き合っていては、お前に未来などないぞ!』

『……あー、もう。本当にうっとうしい』

『おい!ニア!なんだその失礼な態度は!ビロウ様に謝れ!』

『いやいい、アゲインスト。ニアは照れているだけだ。こうも公衆の面前で、何を素直になれよう筈もないからな』

『……もう、あったま痛い』

 

 町の中央広場で、一人の少女を囲む数人の若い男の集団。囲まれる少女の顔はよく見えないが、先程の会話からそれはハッキリしている。

そして、その事実は俺の隣を歩くフロムももちろん理解しているだろう。それを証明するように、隣から放たれる雰囲気に強烈な殺気が混じり始めていた。

 

『あのクソ共が……俺が居ないからってニアにちょっかいかけやがって』

 

 そう、隣で呟かれる殺気を帯びたフロムの言葉に、俺はどうしようもなく申し訳ない気分で頭を抱えるしかなかった。

 

『フロム、ごめん』

『いや、絶対許さん』

 

なにせ、あの頭の悪い集団の真ん中に立つ、口元に嫌な笑みを浮かべた若者。

名をビロウと言うのだが、アイツは俺の血縁者なのだ。しかも、従弟という、そこそこ近しい血縁者。

 

『アイツら、どうしてくれよう……!』

『煮るなり焼くなり好きにしなよ』

『言ったな!?その言葉に二言はないか?オブ!?』

 

しかも父方の従弟という事もあって、心底嫌なのだが、よく俺と顔が似てるなどと言われるのだからたまらない。しかも、一番最近その事を俺に言ってきたのは、まさかのインなのである。あぁ、最悪だ。最悪だ!

 

『待つんだ、ニア。ここでは皆が見ているから嫌なんだろう?さぁ、俺の屋敷に行こう』

『ちょっ!離してよ!?行かないし!勝手に私に触らないで!』

 

あぁ、まったく。あり得ない程恥ずかしい。身内の恥だ。

子供とは言え、嫌がる女性の体に無理やり触れるなど、貴族としてあるまじき行為。

恥ずかしくてとてもじゃないが、今すぐ走って役所に駆け込み、縁を切る為の事務手続きに入りたくて仕方がない。

 

『……いや、冗談抜きでだ!オブ!俺はアイツを1発、いや3発は殴って二度とニアにちょっかいをかけられないようにしないと気が済まん!いいんだな!?』

『どうぞ、どうぞ。申し訳なさ過ぎるから、その後の尻ぬぐいは、もちろん此方でさせてもらうよ』

 

 さぁ、どうぞ。

 そう、俺がフロムにあの馬鹿への向かう拳の道筋を右手で示した時だ。広場のゴタゴタの中に突っ込んでくる一人の人影が加わった。

 

『ニア!』

『お兄ちゃん!助けて!』

『おい、お前ら!ニアに何してんだ!』

 

 インだ。

俺は1週間ぶりに聞いたインの声に、先程まで身内の恥で死にそうだった心が一気に復活していくのを感じた。

 あぁ、今すぐインの元へ駆け出して『帰ってきたよ!』と両手で抱きしめたい。けれど、その衝動を実行に移せる程、状況は穏やかな流れではなかった。

 

『ちょっ!ビロウ!ニアから手を離せ!』

『クソッ、フロムもオブも居ないと思ったら、面倒なヤツが残ってたか』

 

 言うや否やインはニアとビロウの間に器用にスルリと割って入った。そのせいで、インとビロウの顔の距離が思わず絶叫しそうな程近づいてしまったではないか。帰って来て早々こんな場面を見せつけられる事になるなんて、正直不愉快だ。不愉快極まりない!

 

『お兄ちゃん!この人たち全然話が通じなくて怖い!話を聞いてると頭が痛くなるの!』

『ニア、もう大丈夫!兄ちゃんに任せろ!』

 

 インはニアを男達から隠すように両手を広げて立ちはだかると、ニアを後ろへと下がらせる。けれど、その脇から今度はアゲインストや他の若者達が一斉にインを指さして笑い始めた。

 

『おい!イン!お前みたいな弱っわいヤツに何が出来るってんだよ!』

『はははっ!お前フロムとオブが居なかったら何も出来ねぇくせに!』

『どうせオブが帰って来たら言いつけて助けてもらうんだろ!?女みたいに!』

 

 インへの聞き捨てならない揶揄にフロムではないが、そろそろ俺も腹に据えかねてきた。あぁ、もう見ていられない。

 

『アイツら、インになんて事を』

『あぁ、ニアにあんな事をして只じゃおかねぇよ』

 

隣に居るフロムも、インの登場に一瞬虚を突かれてしまったようだが、そろそろアイツらを追っ払ってもらう猛犬になって貰わなければ。

 1発や3発なんてケチな事は言わない。意識が飛ぶまで殴ってくれて構わないさ!いや、俺が直々に手を下してやろうじゃないか。

 

『……どけ、貧乏人。頭が高いんだよ』

『誰がどくもんか……!ビロウ!俺はちょうどお前に用があったんだよ!』

『お兄ちゃん?』

 

 すると、周りからの揶揄などインは一切気にした様子もなく、次の瞬間には、その顔に満面の喜色を湛えていた。何をどうしたらあの状態で笑顔を浮かべられるのか、俺には一切分からないし、何ならインの後ろに隠れていたニアも同様に戸惑いの声を上げている。

 

『ビロウ!俺、お前に聞きたい事があるんだけど!』

『なっ、なんだよ』

 

最早ニアとの間に割って入られたビロウですら、先程までの嫌な笑みを引っ込め戸惑いを露わにした。そのビロウの表情にインが何を思ったのかは分からない。しかし、次の瞬間に、インは既に近かったビロウとの距離を更に縮めた。何なら顔をこれでもかと言う程近づける有様。

 

いや、ある意味別の意味で全く見ていられなくなってしまった!一体何をしているんだ!インは!

 

『ねぇ!ビロウ!今の顔凄くオブみたいだった!もう一回やって!』

『はぁ!?』

『あっ!今の顔もオブっぽいよ!』

『っい、一体何なんだよ!お前は!?』

『だって!もう1週間もオブと会ってないから、オブの顔忘れちゃいそうなんだよ!だからビロウの顔を見て思い出そうと思って。あっ、あとさ!オブがいつ帰ってくるか知らない?ビロウはオブの従弟だろ?何か聞いてないか?』

『……お兄ちゃんったら』

『……イン、お前』

 

 引いている。完全にビロウが引いている。ビロウどころかアゲインスト含む周りの人間も全員が全員インに毒気を抜かれてしまっているようだ。

 

『オブ、早く行ってやれよ』

 

 そして、この状況に先程まで俺の隣で拳を握りしめていたフロムも同様にインの発言に完全に戦意を削がれていた表情で、俺を横目に見ていた。

挙句に何らかの感情を込めた掌で、俺の肩をポンと叩いてくるのだから堪らない。

 

 あぁ、堪らない!

 

『イン!』

 

 俺の声が広場中に響き渡る。

 あぁ、分かった。俺は完全に理解したさ。俺は賢いからな。

たった1週間。されど1週間。インのように物覚えの悪い人間は、たった1週間で俺の顔すら忘れてしまう可能性を秘めているのか。肝に銘じよう。これからは何があっても1週間以内で帰ってこなければ。

 

 そうでなければ、

 

『……っオブ!オブだ!おーい!オブー!』

『イン。ちょっと、コッチに来て』

『うん!』

 

 そうしなければ、そのうちインは俺の代わりにビロウを追いかけて行きかねない。今こうして俺に向かって駆けてくるインの、この何者にも代えがたい会心の笑みを、俺以外に向けさせてなるものか。

 

 けれど、ひとまず、だ。

 

『フロム。アイツら殴っててもいいけど、俺はちょっとインと色々と話さなきゃならない事が出来たから、尻ぬぐいは自分でやっておけよ』

『……あぁ。まぁ、その。控えめにな』

 

 そう、どこか苦笑するように漏れたフロムの言葉を、俺はハッキリと無視をした。

 ひとまず、俺はインという幸せをこの腕に閉じ込めておかなければ。

 

1週間ぶりに、会えた俺の、僕の、

 

 

 この暖かい幸福を。

 

 

 

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