そして、兄貴は……(3)

 

————-

———

——

 

 

 

「おじゃまします」

「どうぞ、俺、お茶持ってきますので。2階の一番手前の部屋が俺の部屋なので、勝手に入っちゃってて下さい」

「お構いなく」

 

 どうしてこうなった。

 俺は家の中を、どこか興味深気に見渡す一茶先輩に、その言葉が頭をついて離れなかった。

いつものように俺と一茶先輩は生徒会の雑務をこなし、少しばかりの雑談をする。

その中のどこに、一茶先輩が家を尋ねて来るという流れがあっただろうか。

 

 俺は一人キッチンでお菓子と麦茶を用意すると、ハァと小さく溜息をついた。

 

 俺が知り合いを家に連れてきた事は今まで一度もない。

 両親がまだ生きている時も、死んでしまってからも、俺が他人を家に入れる事は憚られるような気がして連れて来れなかった。

故に、俺はこの家に初めて他人を連れ込んだ事になる。

 

 別に両親に連れて来るなと言われたわけでも、ましてや兄貴に何か言われたわけでもない。

 

 兄貴だって、ああして知らぬ女を連れて来る。

 だったら、俺も学校の先輩を家に上げるくらい、どうってことないのかもしれない。

 

 俺は誰彼となくそう言い訳のような事を考えると、お茶とお菓子の乗った盆を持って自分の部屋へと向かった。

 俺が部屋の扉を開ける直前、部屋から先輩が「じゃあねー」と誰かに向かって言っている声が聞こえる。

 

 誰かに電話だろうか。

俺はぼんやりとそう思いながら片手で盆を支えて部屋の扉を開けた。

 

「あ、わざわざ、ごめんね。突然押し掛けて気を遣わせたね」

「いえ、気にしないでください」

 

 誰かに電話ですか。

 なんて聞かなくても分かった。

 先輩は楽しそうな顔で片手に携帯を持っていたから。

 

 俺の視線が携帯に向いていた事に気付いたのか、先輩はにっこりと笑って「中学の頃の友達にちょっとね」と言った。

 先輩の中学の知り合いと言えば、兄貴の同級生に当たる。誰だろうと少しだけ思考を巡らせてみたが、それはすぐに断念した。

 俺は帰宅部だったため、先輩の知り合いはほとんどいない。

 

 兄貴繋がりの先輩は怖くて近寄りがたかったし。

 

 相手が誰かなんて、わかるわけがない。

 

 

「そう言えば、兄貴の部屋から兄貴の卒業アルバムを探したかったんですけど、なんだか汚すぎて諦めました」

「そんなに気になられると、俺としては少し恥ずかしいかな」

「一茶先輩と、中学でも会えてたら良かったなぁ」

「純君は本当に可愛い事を言ってくれるね」

 

 

 そう言って、携帯を片手に俺の頭を撫でてる一茶先輩に、俺はきっと家庭でもこの人は良いお兄ちゃんなのだろうと勝手に想像を膨らませた。兄貴には頭なんか撫でるどころか殴られた事しかない。

 

「一茶先輩、兄弟は居ますか?」

「ん?俺?俺はね……一人っ子」

 

 そう言って笑う一茶先輩に俺は意外だなと思った。俺の反応もそう綺麗に表に出てしまっていたのだろう。一茶先輩は麦茶を取って「弟でも居るかと思った?」と尋ねてきた。

 

「一茶先輩、面倒見が凄く良さそうだから、きっと長男だって思ってました」

「長男は長男だよ?一人っ子長男」

「あ、俺も」

 

 長男です。

 なんて言いそうになって俺は慌てて口を閉じた。ハッキリ言ってしまえば、俺もあの兄貴も一人っ子長男だ。血の繋がりだけで考えるならば、だが。

 

 でも、俺は今のところまだ兄貴の“弟”だ。

 俺は自分に言い聞かせるように、静かに自分の手を見つめた。

 兄貴も俺を“弟”として扱ってくれるではないか。

 

 そんな俺に、また俺の頭には一茶先輩の手が触れていた。

 俺がゆっくりと顔を上げると、いつの間にか一茶先輩は俺の前から隣へ移動してきており、互いの肩が触れるか触れないかのところまで近寄っていた。

 

「純君、俺は君のお兄さんが羨ましい。君が居てくれた事で、きっとお兄さんはどれだけ救われたかしれない。俺にも君のような存在が欲しかったよ」

 

 先程までの声色とは少し異なる、どこか真剣な声で発せられたその言葉に俺は一茶先輩から目を離せなかった。いつも張り付いたように離れない一茶先輩の穏やかな笑顔は、そこにはなかった。

 

「一茶先輩……?」

「俺ね、養子なんだよ。今、一緒に住んでいるのは本当の家族じゃない。純君と同じだね」

 

 そう、隣で静かに口を開いた一茶先輩に、俺は息を呑んだ。一茶先輩が“仲間になりたい”と言っていたあの言葉が頭の中を木霊する。

 

 一茶先輩は俺の仲間になりたいと言ったわけではなかったのだ。

 一茶先輩こそ、自分の仲間が欲しかったのだ。

 

「俺が5歳の頃母が病気で死んだ。そして、10歳の頃には父が事故で死んだ。そんなふうに家族居なくなったり、問題が起こったりする度に俺はこう考えていた」

「…………」

「この覚束ない、心細い気持ちと全く同じ気持ちを共有できる人間は俺以外に居ないんだって。大袈裟だと思うかもしれないけれど、そう、俺はいつも考えていたよ」

 

 ポツポツと言葉を零れ落とすように放つ一茶先輩は、いつの間にか俺の肩に寄りかかっていた。

 

 あぁ、その気持ち、わかりますよ。

 俺も、ずっとそう言う想いを抱えて生きてきましたから。そう思った瞬間、いつも心の片隅に巣くっていた不安が少し軽くなったような気がした。

 

「きっと兄弟とか居れば、この気持ちも、少しはマシなのかなってよく思ってた。同じ状況で、同じ悲しみを共有できる他人というものが居る。それだけで、気持は楽になるだろうにって」

「そう、俺も思った事ありますよ。同じ、ですね」

 

 俺も肩に寄りかかってくる先輩に、自然と肩を寄せた。

 触れている部分が暖かくて仕方がない。

 

「ふふっ。俺達は仲間だね、純君」

 

 人はこのようにして互いの肩に寄りかかる事を、このように表現するかもしれない。

 

 “依存”だと。

 俺は一茶先輩の言葉を聞いてわかった。

 

 俺も、一茶先輩も。

 何かに、誰かに、依存したいのだ。

 支えて、共に、傍に、居て欲しいのだ。

 

 そう思った瞬間、俺はたまらない気持になった。今まで胸の中に押し殺していた不安が、一気に俺の体中を駆け巡った気がした。

 

「先輩、俺、ずっと不安でした。今、こうしている間も不安です。俺には兄貴しかもう居ないんです。けど、いつかきっと兄貴は俺の知らない世界を広げて、弟である俺を置いて、きっと自分の家族を作ると思います。それを考えると怖くて仕方ないです。本当の兄弟じゃない俺を、いつまで兄貴は“弟”と呼んでくれるのか。いつまで、家族と思ってくれるのか。もう、俺には兄貴しかいません。兄貴、だけなんです」

 

 肩を寄せながら、俺は膝に顔を伏せる。

 

 やばい、と思った。

 これは、あの時の気持と同じだ。

 兄貴だけ親戚に引き取られようとした時の、あの心細さと。

 

「純君はとても可愛いね。本当に、君のお兄さんが羨ましい」

「……きっと、兄貴はそう思ってくれてはいません」

 

 やばい、やばい、やばい。

 俺は言葉が震えるのを感じた。あの日から、俺は泣いた事なんてなかったのに。

 

 一茶先輩のせいだ。

 こんな風に、他人なのに寄りそって俺の“仲間”になってくれるから。

 

「どうして、そう思うの?」

「今はきっと家族だと思ってくれています。けど、兄貴はそのうち絶対俺を邪魔だと思う日が来る。好きな女の人が出来て、家族になったら、ぜったいに、俺は……俺は兄ちゃんに捨てられる。兄ちゃんからっ、置いて、いかれる……!」

 

 とうとう、俺は涙が出てきてしまった。

 俯いて居る為、一茶先輩には顔は見えないが、声でバレているだろう。

 

「純君、純君。ほら、泣かないで。今日は俺が君のお兄ちゃんだ。君が望むなら俺はずっと君のお兄ちゃんになってあげよう。ずっと俺は、君だけのお兄ちゃんで、君だけのモノだ。どこにも行かないし、ずっと純君だけの家族になれたら、俺も幸せだろうね」

 

 そう言って俺の肩に手をまわし、ポンポンと静かなリズムであやすように肩を叩く。

 耳元で囁くような、毒するような言葉が俺の体に響き渡る。

 

『ずっと、一緒』なんて。

『ずっと、俺だけのモノ』なんて。

 

 なんて甘い、熱い、気持の良い言葉だろう。

 

 ずっと、なんて保証は誰も出来ない。

 今ここにあるものが、明日にもそこにあるとは限らない。

 人はずっと同じ場所には立っていられない。

 兄貴も、一茶先輩も。

 

 そして、俺も。

 

 けれど、俺は言葉が欲しいのだ。

 ずっと傍に居るよと、ずっとお前だけの家族だ、と。

 言葉だけでも、欲しいと思ってしまう俺は、本当に弱くなってしまったと思う。

 

 愚かだとも、思う。

 

「お兄さんなんか止めておいて、俺にしない?俺は純君を愛せる。ずっと愛せる。ずっと純君だけだ。そうすれば……」

「そう、すれば?」

「きっと君は俺だけにさっきみたいな言葉をくれるだろう?」

 

 そう、どこか縋り付くようなその言葉に、俺は思わず笑ってしまった。

 これじゃ、まるで俺じゃないか。

 

「……っ一茶先輩は、依存できる相手なら、誰でもいいんですね」

 

 一茶先輩はずっと一人だった。

 だとすれば、その心細さを埋める術は他人にしかない。

 きっと、一茶先輩も俺にあり得ない“ずっと”を求めているのだ。

 

 俺もそうなのだろう。

 きっと、誰でもいいのかもしれない。

 

 

「そう、かもしれないね。俺はきっと誰でもいいんだ」

「…………」

「けれど、君が俺だけのモノになってくれるなら、俺も喜んで君だけのモノになるよ。俺達はとても似ている。似ているからこそ、ずっと傍に居れる筈だ」

 

 そう言って、大きくて優しい手が俺の頭を撫でる。

 俺に寄り添って、俺の欲しい言葉を次々とくれる。

 あぁ、この人となら。

 

 そう膝を抱えて目を瞑った瞬間、真っ暗だった視界の先に、懐かしい光景が広がった。

 

 

『心配すんな。大丈夫だ……大丈夫。俺達はずっと一緒だ』

 

 

 俺は顔を上げた。

 きっと顔は涙でぐちゃぐちゃで、きっと鼻水なんかも出ているに違いない。

 俺はみっともなくて不細工に違いない。

 

 俺はユラユラと揺れる視界に、一茶先輩を映した。

 

タイトルとURLをコピーしました