9:赤坂からの引抜依頼

 

 

        〇

 

 

 橘 庄司はソワついていた。

 何にか。

 

 まぁ、様々な変化の生じさせたあの目まぐるしい週末に、だ。

 

 いや、しかし、だからと言って日常は何も変わらず、何でもない顔をしてやってくるものだ。そう、どんなに庄司の身に何か凄まじい事が起こったとて、月曜日になれば変わらず仕事には向かわなければならない。

 

 あぁ、大人というのは本当に面倒な生き物だ。

 

「橘くーん。ちょっとー」

「なんですが。日比谷部長。また俺に無理難題ですか」

「ちょっ、橘くん。君ねぇ、まるで私が普段からドラえもんのように君を頼る、怠惰なのび太君のように表現するのは止めたまえ」

 

 いやに面倒な返しをしてくる日比谷に、庄司はハッキリ言って苛立ちを覚えた。というか、この日比谷のこの飄々とした態度。これは基本的に庄司を苛つかせる事しかしない。

 

「用が無いのなら、俺午後から予定あるんで準備していいですか?」

「いや!あるから!用もないのに、そんな粘着質な彼女でもあるまいし、橘君を呼ばないよ!」

「……はぁ」

 

 庄司は怪訝な顔で日比谷を見る。この日比谷という男、独身貴族を謳歌し過ぎており、正直実年齢よりかなりテンションが若い。確か年齢は50歳やそこらだったと思うが、やはり腰を落ち着けてこなかったからだろう。

 

 良く言えば若く、悪いく言えば落ち着きがなかった。

 

「今朝の部長会議で、赤坂の方の営業部から嫌なお願いが来てね」

「はい、部長が対応してください」

「ちがう!そういう厄介な仕事とかじゃなくってだね!今向こうの営業部が、産休と育休で人員が3欠してるから、こっちの1課から人を1人寄越せって言ってきたんだ!しかも、名指しでだよ!?図々しいにも程がある!」

「はぁ」

 

 庄司は形半分で聞いていたせいで、日比谷の言葉をテキトーに流しながら頷いた。

 

 ——-へぇ、赤坂営業所ってそんなに欠員出てたのか。事務所が違うので、把握していなかった。

 

「向こうの部長!アイツ合併後の外様で部長職にこないだ就いたばかりの若造の癖に、言う事はいっちょ前だから腹立つんだよ!」

「喧嘩なら他所でやってください。上司の揉め事を部下にまで波及させないのであればご自由にどうぞ」

「橘君!キミ何を他人事を気取ってるんだ!赤坂営業所の部長が指名してきたのは、他でもないキミなんだよ!?もう好成績を納めてるウチに、優秀な人材を置いておく必要はないでしょうとか言ってきて!まったく油断も隙もあったもんじゃない!」

「ん?」

 

 日比谷のどうでも良い愚痴かと思っていた話に、ようやく自分が絡んできた。その事に、庄司はやっと首を傾げると、苛立ちを露わにする日比谷に目をやった。

 

「俺、異動するんですか?」

「違うよ!助っ人だ!籍はこっちでいいからって向こうは言ってるけど、あれはなし崩しに橘君を引っ張る為の罠だよ!大丈夫、私がはっきりと断っておいたからね」

 

 日比谷の「やってやったよ」という顔に、庄司は手を顎に当て思案した。

 

「いや、俺、家が赤坂なんで、むしろそっちに移れるなら移りたいんですけど」

「はぁ!?何言ってるんだい!キミは私の部下だよ!あ、もしアッチの部長が君の直接引き抜き営業を掛けてきてもハッキリと断るんだよ。“私は日々谷部長の元で働きたいので”ってね!」

「……は」

 

 思わず漏れた鼻での笑いに、庄司はまるで日比谷の言う事など聞いてやるかと心の底から思った。日比谷は悪い上司ではもちろんない。実際優秀ではあるのだが、ともかく人使いが荒い。

 いや、庄司使いが荒いのだ。

 それこそ庄司をドラえもんのように頼ってくるのだから堪らない。

 

「じゃ、俺。色々やる事あるので。これで失礼します」

「橘君!わかってるね!彼に会っても、滅多な事は言わないようにー!」

「は」

 

 日比谷に背を向け歩き出した庄司は、今度はハッキリと鼻で笑った。もし赤坂営業所が自分に営業をかけてきたなら、それこそ「是非お願いします」と言ってやろうと心の底から思ったのだ。

 

 しかも、自分を優秀な人材と評してくれているという所が既に、なんだか気分が良いではないか。

庄司は一旦オフィスに戻り、そして午後の営業に向けて一通り準備をした。午後は数件の相手先を回ったら今日は特にやる事はない。年末で師走のせいか、妙に慌ただしい事務所だが、ともかく“今日”は早目に切り上げようと思っている。

 

なにせ、午前中からずっと宮古からの「今日お前何時に終わる」という連絡が鬼のように来ているのだ。まだまだ色々と整理の必要な宮古との関係だが、こうして会おうと言われると、必死に仕事を片付けてしまうのだから、庄司自身整理する程、最早感情は乱れていないのだ。

 

「ただ……未成年」

 

 それだけがどこまで行っても宮古の脳裏を過る。しかし、爆誕した小学生の庄司がすぐに『みやこがなんとかするさ』とあっけらかんと言い始める為、最早考えるのを放棄しかけている。

 

「とりあえず、仕事終わらせるか」

 

 そう、事務所のエントランスで庄司が背筋を伸ばすと、逆に外からこの事務所に入ってくる一人の男を庄司はハッキリとその目で捉えた。いや、捉えたし、庄司自身も捕らえられたとでも言うのだろうか。

 

 

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