10:SOS信号発信

 

 

「…………あ」

 

 

 

 その男はパキリと型の良いスーツに身を包み、どこか厳しいスッとした表情で此方へ向かって歩いてきた。と、立ち居振る舞いも美しく、見目も整った相手に対して庄司が思い浮かべた相手は、何故か山戸 宮古であった。

 

 何故、あの男を見て山戸宮古を思い出すのか。

 それは、やはり目だ。

あの、意思の強そうな、何者にも自分の意思を曲げさせぬという断固とした決意のようなものが、あの男の目からは窺い知る事ができる。

 

 だからだ。あの男を見た瞬間、庄司は宮古を思い出した。

 しかも、記憶の糸を光のように駆け巡る電子信号は、そこでは止まらなかった。

 

——-どこかで、見たような。

 

 そう宮古が眉を顰めた時だ。向こうから“此方”に向かって来ていた相手の目が、やはりハッキリと庄司を捕らえていた。

いや、庄司が最初に思った“此方”は決して庄司の方を指す訳ではなかった。“此方”とは事務所の中を指す“此方”だった筈なのに。

 

なのに、どうしてだろう。

男は何故、どうして庄司の前で立ち止まりその口元に形の良い笑みを浮かべているのだろう。

 

「お疲れ様です。橘 庄司さん」

「えっ?」

 

 名を呼ばれた。

ただ、庄司は知らぬ男に名前を呼ばれて驚いている訳ではない。庄司が驚いている原因。

 

その声に圧倒的に聞き覚えがあったからだ。

 

「急にすみません。僕は赤坂営業所の営業部で部長をしております。山戸 降聡と申します。ちょうど、出られる前に会えて良かった」

「…………あ、あ、え」

「橘さん?どうされました?」

 

 庄司は余りの衝撃に、社会人として外面を取り繕うのすら忘れてしまった。出来なかった。何故なら、それは、つい先日宮古の家で、あの風呂場で聞いた声と、全く同じだったからだ。

 

———何々!?何事だ!?どうした伊中!?

———えっ!あっ!伊中の友達か!ごめんごめん!伊中があんまり大声を出すもんだから、つい。

 

 あぁ、見た目があの時ははっきりと“お父さん”だから最初に気付けなかった。

 

彼は、この男は、この御方は。

 

「日比谷部長からお話は聞かれていますか?ちょうど今うちの営業所の人員が足りていなくて、もしよろしければ、籍はこちらに残したままで良いので、助っ人という形でうちの事務所に来て頂けないかなと思って。」

「…………」

「日比谷部長からはお断りされたのですが、伺ったら橘さんのご自宅は赤坂駅の近くと聞いて。うちの方が通いやすいんじゃないですか?」

 

 ツラツラツラツラ。

 目の前の男は営業特有の外堀を埋めるやり方、そして相手へのメリット、そして最終的には庄司自身が助っ人を願い出たくなるような言葉を流れるように語ってくる。

 

 けれど庄司にはそのどれもが耳に入ってこない。

 

 だって彼は、彼は。

 宮古の、伊中の。

 

「この通りです。お願いしますよ。橘さん。私を助けると思って」

——–頼む、この通りだ。おねがいします。庄司。

 

「っ!!」

 

 2日前、ベッドの上で切なそうな顔で庄司に迫ってきた男と酷似するこの、目の前の男。そして、それは将来の宮古の顔に相違ないのだ。

 宮古は徐々に顔に集まる熱を抑え切れないまま、叫ぶように答えていた。

 

 

「俺は日々谷部長の元で働きたいので!!!」

「っへ?」

「それでは!俺は外回りがありますので!失礼します!!」

 

 庄司は顔を隠すように俯くと、山戸降聡と名乗る宮古の父親の隣を勢いよく通り過ぎていった。

 あぁ、家での顔と外の顔は全く違うと言ったものだが、実際にそうだった。あの風呂場での気付くべきだったのだ。この男は確かに部長会議で、よく庄司の事務所にも顔を出していたというのに。

 

 

「っくそ!!これからどうすんだ!」

 

 

 まさか、まさか。

これから、ずっと彼だけを見つめる筈だったのに。余計なモノは目に入れずに行く筈だったのに。

その相手の父親が、同じ会社で、しかも立場としては上司だったとは。

 

こんな事で世間の狭さなど知りたくなかったのに。

ひとまず、願ったりの助っ人異動を、こうもあの日比谷の言う通り断らざるを得なくなってしまった事実に庄司は、自身の拳を握り締めるしかなかった。

 

『どうすんだ!?オイどうすんだよ!俺!』

『転職か!?転職サイトへ登録を視野に入れろ!?』

『みやこが何とかしてくれるよ!』

 

最早脳内の会議は混沌を極め、何も建設的な意見は出てこない。

庄司は師走の街中を目頭を抑えながら歩くと、ポケットから自身のプライベート用の携帯を取り出した。

 

授業中かもしれない、もしかしたら、寝ているかも。

なんて宮古の状況を慮る余裕など、今の庄司には無かった。今はともかく宮古の声を聞き、小学生の自分の言うように助けを求めるしかないのだ。

 

電子音が鳴る。電子音が鳴る。

 

3つ目の電子音が鳴り終わらない瞬間に、聞こえてきた声に庄司は叫んでいた。

 

 

「『宮古!助けてくれ!』」

 

 

庄司の懇願とSOSは、こうして年末の慌ただしい雑踏の中へと消えていったのであった。

 

 

 

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