そして、兄貴は……(4)

 

 

「俺は“兄ちゃん”しかいやだ」

「っ」

 

 俺の予想外の言葉に、一茶先輩は驚いたように目を見開いている。

 それはそうだろう。

 言った俺自身何を言っているんだろうと思っている。

 

 けれど、それは確かに俺の言葉で、俺の本心だ。

 

「兄ちゃんも、やくそく、してくれた。一緒にいるって。やくそくしてくれた」

 

 言葉ならあったじゃないか。

 温もりなら、与えてもらったじゃないか。

 

 ずっと、愛して貰っていたじゃないか。

 

「いっさ、せんぱい」

「ん?」

「俺は兄ちゃんを、好きな時も、嫌いな時も、ずっと愛してました。この気持ち、わかりますか?」

 

 俺の問いに一茶先輩は何も答えなかった。

 答えなかった事が、答えだった。

 

「一茶先輩も、好きです。でも、俺の、兄ちゃんは兄ちゃんだけです。俺は兄ちゃんの弟です。置いて行かれても、弟です。弟でいたいです。俺は兄ちゃんが大好きで、大嫌いです。おれの家族はこれからさきも、兄ちゃんだけ、です」

 

 吐き出すように言った俺はゴシゴシと目を擦った。

 何を泣いているのだろう。

 先輩に、なんて事を言っているのだろう。

 

 けれど、何だかとてもスッキリしている。

俺は涙を拭いながら、胸の中に巣食っていたモヤモヤが、いつの間にか無くなっているのに気がついた。

 

 そんな俺をしばらく黙って見ていた一茶先輩だが、突然「ああ、もう」と呻くように唸ると深く息を吐いた。

 そして、次の瞬間。

 

「あーあ、フラれちゃったか」

 

 と、先程までとは180度異なる、いつもの穏やかな雰囲気で言い放った先輩の声に、俺は一瞬にして心臓が跳ね上がるのを感じた。

 

 さっき、俺は勢いに任せてなんて事を言った?

 なにを一人だけ熱くなっているんだ?

 

「すみません!一茶先輩。変なことばっか、言って」

「いやいや、純君。やっぱり君はとっても可愛いね」

 

 穴があったら入りたい。

俺はニコニコと屈託なく笑う先輩に、本気で死にたくなった。容赦なく熱を持ち始めた顔は、今や見るに堪えない程、真っ赤で滑稽に違いない。

 

 そんな俺に一茶先輩はピッタリとくっついていた互いの体から少しだけ離れ、いつもの様にポンポンと俺の頭を撫でた。

それはいつもの先輩との距離で、いつもの先輩の手だった。

 

「純君、ほんとに、俺のモノになってよー」

「もう……ほんと、止めてください……」

 

 先輩の“いつもの”が、更に俺の羞恥を煽る。きっと、先輩は俺の事をとんだブラコン野郎だと思ったに違いない。

 今、向けられている笑みも相当生温かいものに違いないのだ。俺はそう思うと居ても立ってもいられなくなり、真っ赤に染まる顔をまたしても膝にうずめた。

 

 だから俺は気が付かなかった。

 

 

「さっきの言葉、君のお兄さんが聞いたら、きっと泣いて喜ぶだろうね」

 

 

 そう言った先輩の目が、しっかりと俺の部屋のドアを見ている事を。

 ドアの向こうにずっとあった人の気配がなくなっている事を。

 話すのに夢中で、今や赤くなるのを隠すのに必死になっていた俺は、全く、全く。

 

気付いていなかった。

 

 

 

 

 

————–

———-

——-

 

「それじゃあ、遅くまでおじゃましました」

「いや、こちらこそ。ほんとに、いろいろすみませんでした」

 

 やっと、俺の羞恥が治まった頃。

一茶先輩は家に来た時と同じような笑みを浮かべて「そろそろ、お暇しようかな」と申し出てきた。どうやら、その直前に来たメールで何らか呼び出しを食らったようだ。

 

 友達だろうか。

 まぁ、詮索はしないが。

 

そう思っていたら「中学の頃の友達が、何か呼んでるみたい」と聞いてもいない情報を公開して、一茶先輩はいそいそと帰る支度を始めた。

 

 俺はそれを眺めながら、一茶先輩に気付かれないように小さく溜息をついた。あぁ、何だか今日は無性に疲れた気がする。

 体も、心も。疲労困憊だ。

 

 俺が少しばかりげっそりした気持ちで先輩を玄関で見送っていると、靴を履いた先輩が思い出したように、俺に向かって振り返った。

 

「純君、俺はいつでも君だけの家族になる覚悟はあるからね。あれは本気だから、寂しくなったらいつでも俺のところにおいで」

「っ先輩、ほんとに勘弁して下さい!」

「本気なのにねぇ」

 

 

 なんて、どこか飄々とした雰囲気で言い放った一茶先輩は「じゃあ、また明日」と俺に手を振ると、口元に笑みを浮かべて玄関を出て行った。

 その姿が、なんとなく初めて先輩と出会った時の姿を彷彿とさせて、なにやら妙な気持になってしまった。

 

『大丈夫』

 

そう、答えも聞かずに去って言った、あの時の先輩の姿を。

俺はしばらく玄関に立ちつくしていると、深い息を吐いて壁に寄りかかった。

 

「夕飯、何にしようかな」

 

口を吐いて出てきた言葉の安穏さに、俺は思わず吹き出してしまった。

 

 

タイトルとURLをコピーしました