『ニアに赤ちゃんが出来たら、俺、頑張って育てるよ!任せてよフロム!』
『なんでだよ!?俺とニアの子供だろ!?俺とニアが育てるに決まってるだろ!?』
『二人じゃ赤ちゃんの面倒なんてみれないよ。俺はニアで慣れてるし。フロムは乱暴だから、きっと赤ちゃんの相手は無理だよ』
『いやいやいやいや!だいたい、インの家には来ないからな!俺とニアの家に子供は来るんだ!』
『……え』
その瞬間、それまで笑顔だったインの表情がサッと引きつるのを俺は見た。この顔はアレだ。
フロムがニアを都の首都へと連れて行くと言った時の顔だ。
そして、俺がいつも『行ってきます』と言ってインを置いて首都へと向かう時の顔。
『だってそうだろ?アフター姉さんだって縁組したら、家から出ただろ?ニアだって同じだ。俺と縁組したら、インの家からは出るんだ。そして俺と二人で暮らすんだよ』
『……そ、そうだね。で、でも』
『でも、なんだよ?』
『ニア、俺が居なくて大丈夫かな。俺が居なくてやっていけるのかな』
戸惑いながら、けれど必死に呟くインに、フロムは明らかに不愉快そうな表情を浮かべる。いつの頃からか、フロムはインのこういった態度に酷く苛立ちを見せるようになった。いくら兄とは言え、もう子供ではなくなったフロムにとって、インのこういった子供の頃のままの態度は、腹が立つのだろう。
『やってけるに決まってんだろ。もうニアだっていつまでもおにいちゃんおにいちゃんじゃない。お前じゃなくて、俺が居るんだからな。お前こそ、早く妹離れしろよ』
『…………そっか』
静かに俯きながら返された言葉に。フロムもやや言い過ぎたと感じたのか、バツの悪そうな顔で後ろ髪を掻く。
インとニアは本当に仲の良い兄妹だ。昔からそう。それに対する嫉妬も相成り、思わず強い口ぶりになってしまった事は言わずもがなだ。
『…………オブ』
そして、チラリと向けられた俺への、フロムからの視線。埋め合わせを頼む。そう言いたいのだろう。
もちろん、そうするつもりだ。インをこんな顔のままに、俺がさせる訳ない。と、俺がインに向かって声を掛けようとした時だ。
『あー!暑いな!ほんと暑い!もうすぐ秋なのにね!今年は疾風が少ないといいなあ!』
インが何かを振り払うように腕を天高く伸ばし、川の水を一蹴りした。キラキラとした水飛沫が俺の視界を美しく舞う。あぁ、綺麗だ。
俺がぼんやりとそんな事を思っていると、あろうことか、インは最初に俺が心配していた事を、何気なく、そりゃあ豪快にやってのけた。
『もう、服なんか着てらんなよ!』
そう、服を脱いで、豪快に上半身を露わにしてきたのである。そして、その瞬間露わになった上半身。
あぁ、やってしまった。
インの体には大量の赤い跡があった。
しかも、イン自身は見る事が出来ない背中に集中して出来上がった、その大量の赤い跡に、フロムの視線が一気に集中する。
次いで向けられるのは、もちろん俺に対する鋭い視線。
『オブ!?お前なぁっ!ここまでやるなら!お前がちゃんと……!』
『あぁ。もう、うるさいな』
『っへ、何!?フロム、どしたの?』
『お前もだよ!お前もだ!イン!なんなんだよ!お前ら!?』
真っ赤な顔でフロムは言い放つと、もうそこからは何も言えなくなったのか『クソッ』と悪態をいて、勢いよく服を脱いだ。そして、発展途上ながら、鍛え抜かれた男の肉体を抱え、フロムは川へと飛び込んでいく。
あぁ、申し訳ない事をした。色々と、どうしようもない熱を持て余す時期だろうに。
『なんなんだよ!フロム!俺も水浴びする!オブは?』
そう、大きな目に最大限の親愛を込めて向けてくるインに、俺は静かに首を振った。俺は此処にいる。否、居るしかない。今は、ここでしばらくジッとしているより他なさそうだ。
『そっか!じゃあ、来たくなったらいつでもおいでよ!気持ち良いよ!』
『うん』
力無く頷くしかない俺に、インは勢いよく川の中へと駆け出していった。その背中には無数の赤い跡。昨日、施したそれらの跡に、俺は何を思ったら良いのか分からなかった。
あぁ、歪だ。歪で可笑しい。不安定だ。
インは今とてつもなく、足場の悪い所を舞うように立っている。俺には、それが、とても美しく見えて仕方がない。
大人になり、変化していく俺達の全ての中で、インだけは、まだ“此処に”留まろうとしている。それを外へと引っ張って連れていくのは俺の手でありたい。
ただ、俺だってまだ此処に居たいのだ。大人と言う、未来という未知へと向かう事が、手放しで楽しみだとは、もう思えないから。
子供の時のように、無邪気に未来を想い笑うのが難しいから。
『あつ』
汗が流れる。額を、腕を、背中を、幾重にも流れていく。そして、ある一筋、背中に流れた汗が、ある一カ所を通り過ぎた時、俺はヒリと走った痛みに、眉を寄せた。
『いたい』
背中の傷。付いたばかり、いや、インに付けられたばかりのその傷の放つ痛みに、俺は顔を腕の中に埋めた。痛みのせいで、引きかけていた熱がまた波のように戻ってきた。
あぁ、イン。イン。
もう、君のせいで、俺は、僕は、頭がおかしくなりそうだ。