149:酒飲み殺し再び

 

 

「おじゃましまーす」

「…………」

 

 どこか気まずそうな様子で店に入るバイの手を引っ張りながら、俺は無理やりに明るい声を出しながら店に入る。昨日を含め、たった2日間ここに来なかっただけなのに、俺にとっては酷く懐かしく感じられた。

 

「アウト」

 

 カウンターから俺達に気付いたウィズが、何とも言えない表情で此方を見ている。その瞬間、俺は理由の分からない後ろめたさに、またしても襲われた。

 一体これがどこから来る感情なのか、俺自身にも全く理解できないのだが、今はそんな事は言ってられない。

 

 俺はいつものカウンターの席に、約束通りトウが来ているのを確認する。そして、意外な事にその隣にはアボードまで居た。

 アボードはチラと俺とバイの方を見ると、何も言わずに酒を飲み続けている。

 

「ほーら、バイ座れ。さっさとズル休みを怒られて来い」

「ぐぅぅ、お兄ちゃん……」

「兄ちゃんじゃねぇっての」

 

 未だに俺の事を“お兄ちゃん”と呼ぶバイの背を、俺は容赦なく押してカウンターへと向かわせる。いつもなら大声で「テメェ!何ズル休みしてんだ!?あ゛ぁ!?」くらいは言ってきそうなアボードが、今は静かだ。それが逆に恐ろしい。

 

 そして、トウはトウで最早バイに何をどう言って良いのか分からないのだろう。先程から、酒に口を付けては、何かを誤魔化すように唇を噛み締めていた。

 

「えっと、兄貴……あの」

「俺からお前のずる休みに何か言うこたぁねぇよ。お前は俺の隊じゃねぇし」

「…………」

「お前は別に言う事があるヤツが居るだろ?コイツがどれだけお前を心配してたか分かるか?」

 

 そう言ってアボードがトウを親指で指さす。

 そんなアボードに対し「いや、アボード。いいんだ」と、トウは本当にいつもとは考えられないようなハッキリとしない口調でモゴモゴと呟くだけだった。

 そんな3人の淀んだ空間を横目に、俺はと言えばウィズの立つカウンターの内側へスルリと入り込むと、出来るだけいつも通りを意識して口を開いた。

 

「ウィズ、2日ぶり」

「そうだな。なぁ、アウト」

「ん?」

 

 ウィズに名を呼ばれ、後ろめたさを抱えていた俺は一瞬ギクリとした。

 一体何を言われるのだろう。俺は無意識のうちに自らの唇を手の甲で拭った。その行動の意味は、思わずやった俺自身も何でそうしたか、訳が分からなかった。

 

「具合でも悪いのか」

「は?」

 

 俺は、何も予想していなかった筈なのに、何故か予想外だと感じるウィズからの問いに呆けたような返事をする事しか出来なかった。そして、何故かホッとする胸に「はて?」と頭を傾げたが、いやしかし、なんだそんな事かと改めて胸を撫でおろした。

 

「元気だけど?」

「……本当だろうな?顔が赤いぞ」

「知ってるか?外ってな、ビックリする程寒いんだ。早く酒を飲んで温まらないと、それこそ具合が悪くなりそうだね」

 

 そう、どうにかいつもの俺を装いながらウィズの肩を叩く。そんな俺を、ウィズは未だに疑わし気な目で見ていたが、その目から俺はフイと顔を逸らした。

 逸らしたついでに、酒が美しく整然と並べられている棚を見やる。やっぱりいつ見ても美しい。圧巻だ。

 

「ウィズ、ここにはどんな酒でもあるよな?」

「……あぁ、だいたいは、あるだろうな。どうした、何か飲みたい酒でもあるのか」

 

 ウィズの言葉に、俺は一瞬大きく息を吸い込むと、それを勢いよく吐き出すように言った。

 

「ゼツラン酒の最高級酒ポルフペトラエアを1本貰おう!」

「は?」

「1本まるまるだ。そして、それは全部俺の!他のヤツには飲ませない!」

「……アウト。お前一体どうした?」

 

 俺の余りの無謀な発言に、ウィズが面白い程表情を歪ませた。

“酒飲み殺し”の異名を持つ、その酒。アルコールも値段も驚くほど高いその酒を、まさか、俺が1本まるまる購入するとは思えないだろう。

 いつの間にか奥で淀んだ空気を醸し出していた、あの3人の視線も、いつの間にか大声を上げる俺へと向けられていた。

 

「金の事なら心配するな!ちゃんと一括で支払えるように下ろして来たんだ!」

 

 俺はテーブルの上に投げ捨てるように1枚の金貨を放り投げると「さぁ!酒を!」と、ウィズに向かって右手を差し出した。そんな俺に、ウィズはやっぱり信じられないとでも言うように、金貨と俺の顔を交互に見比べるのみ。

 

「アウト、お前……一体何をする気だ」

「何って?ここは酒場だろ?酒を飲むつもりさ」

 

 俺のなんてことない返事に、ウィズの眉間に更に深い皺が寄せられる。

 

「そうじゃない。アウト、なにか様子が変だ。お前、本当に体調が悪いんじゃないか?」

 

 そう言ってソッと俺の手を取ろうとウィズが腕を伸ばしてくる。そんなウィズに、俺は不自然な程に、その両手を大仰に広げ、出来るだけ声を張りながら言う。

 今、ウィズに手を、俺の体を触らせる訳にはいかない。触られたらすぐにバレてしまうからだ。

 

 今、俺の体は炎が出そうな程、熱いのだ。

 熱くて熱くて。寒くて寒くて。

 頭が痛くて痛くて。

 立っているのが、やっとのなのだ。

 

 

「何言ってるんだよ、ウィズ。ほら、俺を見ろよ。絶好調だろ?」

「……頼む、アウト。俺にも分かるように説明してくれないか」

「他にどう説明すればいいんだよ。酒を飲みたいから酒をくれと、俺は言ってるだけだろ?なぁ、お願いだよ。ウィズ。今日だけは、頼む」

———怒らないで見ててよ。

 

 明らかに俺の事を心配してくれているウィズに、俺は必死に目で訴えた。

 ウィズならきっと、俺が何をするつもりなのかは分からなくても、きっと俺のこの気持ちは分かってくれる筈だ。

 

 俺はこれから愚かな事をする。愚かな飲み方をして、きっと、今よりも、もっとウィズを心配させる。けれど、そうでもしなきゃ、俺はきっと乗り越えられない。

 

「お願い、ウィズ」

「っ」

 

 最早、縋るように言うしかない。

すると、一瞬だけ息を呑んだウィズが、その次には「まったく」と吐き捨てるように言うと、いつもの戸棚ではない、奥の鍵付きの棚から1本の酒を取り出した。

 

「ほら」

「…………ありがとう!」

 

 それは正真正銘、昨日の朝まで寮の水場に置いてあった、ゼツラン酒の最高級酒ポルフペトラエアの酒瓶だった。

ウィズから受け取ったその酒は、俺の手の中でズシリとある質量で、その存在感を示している。あぁ、さすが一本の重みが違う。これは重い。

 

 アルコール度数も、値段も、最高級に高い酒。

 酒飲み殺し。

 俺は、これを今から飲む。