172:死の近い人

「アウト?キミは【前世の記憶がない=体内のマナ保有値が皆無】の理屈を本気で言葉のまま捕らえてたんだね」

「え?違うの?」

「違う……!」

 

 ベッドの脇からウィズが勢いよく口を挟む。その顔は最早呆れを通り越して、若干悲壮感に満ちた色を、その美しい瞳に浮かべている。

いや、違う。悲壮感ではないな。これは“可哀想なモノを見る目”である。

 

 俺と言う人物が、ウィズには最早“可哀想な子”になっているのだ。

 

「えっ、でも、俺。ほら、前世の記憶ないし」

「マナは記憶を保持するためだけのものではない。まったく……」

「そうだよー、アウト。さっきも言ったように、マナが人体の組織のありとあらゆるものを結合させているから、僕たちはこうして地上で形を保っていられるんだ。無いと死んじゃう……というより、そもそも生まれてこれないよ!」

「……そう、なんだ!」

 

 ヴァイスの言葉に、俺はなんだか妙に感動してしまった。思わず自分の掌を眺めてしまう。こうして俺の手が、手として形作られているのも、どうやらマナがきちんとある証拠らしい。

 

 そうか、俺にもちゃんとマナがあったのか!

 

「ただ、前世の記憶を残せるって事はその分、体の構成に必要な最低限度のマナ以上の余剰があるって事だからね。そのマナの保有値が何故、人によってこうも差があるのかは、まだ解明されていない。記憶の有無に関しても、ね。それは、まだこの石頭達が担当をする禁書庫の解読部隊が、解読まで至っていないからさ。あぁ!でもでも!彼らも頑張ってるんだ、アウト。どうか、この石頭を責めないでやっておくれ」

「違う!今発見されている禁書庫には、その辺りに関する記述のあるものがないんだ。きっと、そろそろ知の探索部隊が、新しい禁書庫を見つけ出す頃だろう。そしたら、俺もまたすぐに向かわされるさ」

「石頭、次こそはキミの知りたがっている、その辺りの情報が記載された本があるといいねぇ」

「……うるさい」

 

 そう、俺とはまるで異なる次元の話をペラペラと口にし始めた二人に、俺はなんだか、窓越しに神様の領域を眺めているような気分になった。

 神官とは、本当に神様の一端に触れる事が出来る“特別”な仕事だったんだなぁ。

 

「……凄いなぁ」

——–まるで魔法使いみたいだ。

 

 そう、俺は内心思っていただけのつもりが、どうやら口に出ていたようだ。

 

「……アウト」

「アウト」

 

 ヴァイスとウィズが二人して、困ったような顔で此方を見てくる。どうやら、俺に対する2人の印象が、どんどん下限なく急降下しているようだ。

 いや、別に悪くなっているという訳ではない。なんと言えばよいのか、対象年齢を急激に下げられている、と言った所だろうか。

 今となっては、もう幼子でも見るような目を向けられているのだから、非常に居心地が悪い。

 

「アウト。僕が余り言えたタマじゃないんだけど、君は今いくつだったかな?」

「先日、勝手に26歳になったそうだ」

「……勝手にって」

 

 未だにウィズは俺が、何も言わずに年を取ってしまった事を根に持ってくる。

どうやら、生誕日を祝ってやりたかったらしいが、いや、それこそ幼い子供でもあるまいし「俺の生誕日は来週だよ!26歳になるよ!」などと、誰が公言して回るだろうか。

さすがに、そんな26歳はナシだろう。

 

「……はぁ!でも、そっか!そっか!俺にもマナがあったんだ!」

 

 それにしても、俺にもマナがあったという事実からの衝撃が抜けきれない。

 俺はやはりどうしてもその事実に感動してしまって、無意味に体のいたるところを観察してしまう。

 

「ほんと、俺には何もないと思ってたのに……!」

「お前、まだそんな事を言っているのか」

 

  そう、未だ感動の隠せぬ俺の声や行動に、ウィズが少しだけ訝し気な様子で、俺の方を見てくる。

まぁ、神官にまでなってしまうウィズの事だ。その身に潤沢にマナが宿っている人間からすると、きっとこんな俺の驚きは、本当に理解できないだろう。

 

「ウィズには分かんないだろうなー!この気持ち!俺って本当にマナ無しの役立たずって言われてきたから、俺にもマナがあるって分かって……ちょっと嬉しいんだよ!」

「……役立たずって、お前。そんな事、誰に言われた」

 

 未だに感動の中、体の至る所に触れる俺に、ウィズの少しだけ低い声が響く。

あぁ、ウィズは本当に優しい。

今更そんな当たり前の事、怒るような事でもないだろうに。

 

「色んな人に、だよ。ま、実際役立たずだったし。俺は別に気にしてない」

「…………」

 

 そうなのだ。

 だって俺はマナを用いなければならない様々な事が、本当に何一つ出来なかったのだ。

普通の人が当たり前に出来る事が出来ない。それは、すなわち普通の人にとって、当たり前にある“マナ”という、不思議な凄い力が自身には備えられていないと思い込むのに十分だった。

 

 まぁ、勉強不足も十分にあるのだが。それは黙っておこう。

 

 

「だから、俺はウィズ達だけじゃなく、他の皆がやってる事が全部魔法みたいだって思って見てたよ」

 

 火を起こす事も、昇降機を動かす事も、射出砂を遠隔操作する事も、伝石で遠くの誰かと連絡を取り合う事も。

 

「ずっと、羨ましかったんだよなぁ」

 

 本当に、俺は何も出来ない。

 この生活のありとあらゆるものを自身のマナ保有値に頼り切ったこの世界で、マナの無い俺は本当に生きづらい事この上なかった。

 

「そうだ!ねぇ、なら俺も。練習したりすれば、マナを熱に変換して、熱結石を暖めたりするくらいは出来るようになるかな?こう、体を結合させている?マナをほんの、ほんの、ちょっと借りてさ!」

「それは絶対にするな」

「そうだね、絶対にしたらダメだね」

 

 思わず二人の口から飛び出してきた、強めの否定の言葉に、俺は思わず目を瞬かせた。

 しかも、“出来ない”ではない“するな”だ。

そう、俺がポカンとしたままベッド脇に立つ二人を見上げると、ヴァイスが困ったような表情を浮かべながら、顎に手を当て考え込むようなポーズを取った。

 

「今後の為に言っておくけどね、アウト。キミが体内に有しているマナのうち、君が君の為に使える余剰マナは、確かに殆どないんだよ。まさに、それこそが“マナがない”と一般的に言われる事象だ」

「ん?」

 

 急に真剣な目で俺を見て来たヴァイスに、俺はその言葉の真意が掴めず頷く事が出来なかった。

 

「えっと、分かりやすく言うと……アウト。キミは他の人より死にやすい!」

「え゛!?なんで!?」

 

 確かに急に分かりやすくなった!

 分かりやすくはなったが、逆に衝撃的な内容過ぎて、一切の情報がそぎ落とされてしまっているではないか!