「ちょっと、待って。えっと、きちんと説明してくれる?ヴァイス」
「僕は今しがた歌い終わったばかりで、喉が疲れちゃったから……ここは本職である、この石頭に任せる!お願いします。石頭先生」
「……誰が、石頭先生だ」
そう、ヴァイスに大いに説明義務を投げ出されたウィズは、彼の真骨頂とも言える溜息を、今日もまた出し惜しみなく吐き出してみせた。
そして、おもむろに俺のベッドの脇へと腰かけると、そのまま下半身にだけかけていた毛布を剥ぎ取ってしまった。
「少し手が冷えているが、我慢しろ」
「えっ」
剥ぎ取ったかと思うと、ウィズはその白くて美しい右手で俺の腹部の寝衣をたくしあげると、もう片方の手で俺の臍あたりに自身の手を触れてきた。
「……ひ、っん」
触れられた瞬間、余りにヒヤリとした掌に思わず声が出てしまった。背筋に何か痺れるような感覚が一瞬で駆け抜けたようだ。
「……だから、言っただろう!?冷えている、と!変な声を出すな!?」
「ご、ごめんって!」
そんなに怒らなくたって良いだろうに。
ウィズは俺の腹に掌を当てたまま、俺の方など見ずに、何かを確認するかのように腹の上を這わせる。こんな所、正直今まで誰からも触られた事がない為、変な気分だ。背筋がゾクゾクする。
「…………」
けれど、また声でも出そうものならウィズから怒られてしまうので、俺は必死で目を閉じて我慢した。
ただ呼吸だけは、いつもの律動を崩してしまうのは多目に見て欲しい。
「っは」
「…………」
下腹に触っているという事は、マナの確認をしているのだろう。
これは治療の一環だ。いくら下半身に非常に近いからと言っても、さすがに俺はそこまで恥知らずではない。
もし、万が一の事があれば、それはもしかしたら吐物汚物の件よりも、精神的に危ないかもしれない。
「っふ」
「…………」
別の何かに集中しなければ。
集中して、その、そういう感情を外へと逃がすより他ない。そう、俺が必死で自身の呼吸の律動に集中していると、次の瞬間、ウィズの掌がそれまで触っていた場所ではない、どこか奥まで這う気配を感じた。
「ねぇ、僕は一体何を見せられているのかな?交接の前戯?僕にそんな趣味はないんだけどなぁ」
「…………」
「それにさ、石頭。お前そんなに念入りに触らなくても、既に分かってるだろ筈だよね?」
「…………」
「アウトの声に当てられたね。石頭。やっぱり、キミは石の癖に理性が思ったよりも軽いよ。風が吹けば飛ぶ小石かい?この小石頭」
「あ゛ぁ?」
ヴァイスが登場時同様、絶好調にウィズを責め立てる。
その瞬間、スッと離れて行った掌に、俺は少しだけ残念な気持ちになってしまった。ウィズの手は、最初はとても冷たかったが、次第に暖かく、そして気持ち良かったのだ。
いや、気持ち良かったからこそ危なかったのかもしれない。ここは助かったと思っておこう。
「お前も!?変な顔をするな!アウト!」
「変な、顔!?しっ、失礼な!なんだよ!?急に!」
何故か非常に不愉快そうな表情でウィズがそんな事を言うものだから、俺は思わず奥歯をギリと噛み締めた。
「ぐぅ」
しかし、いくら失礼だとしても、こんな美しい男に言われてしまえば、容姿については何も反論など出来ない。俺の容姿は何の変哲もないと思っていたが、どうやらウィズによれば「変な顔」だったらしい。
あぁ、これから表を歩く時は、顔を布で隠して出歩きたい気分である。
「ほらほら、アウトは変な顔なんかじゃないよー。この石頭が、いやらしいだけだよ。見てごらん、彼の耳を。まるで、熟れに熟れ切った果実のように真っ赤だろ?本当の本当にいやらしいやつだ!アウトは早くここから出ないと、悪い神官に食われっぐふ!」
「おい、お前。この飲んだくれ、それ以上口にしてみろ。今後一切お前に流してやる酒は無いものと思え」
「ごめふぁさ」
俺が自身の容姿への客観性を失いかけている間、隣ではウィズとヴァイスがいつものように仲良くはしゃぎ合っていた。あぁ、ちょうど今。ウィズの片手がヴァイスの顔を鷲掴みにしたところである。
「はぁっ、まったく。おい、俺の見立てだけでは不安がある。飲んだくれ、お前も確認してくれ」
「ハイハイ、まったく。人使いがあらいよ、まったく」
そう言って、先程までウィズが触れていた下腹の辺りに、ヴァイスが触れる。しかし、何故だか、ヴァイスが触れても俺は妙な気分になる事は、全くなかった。
「あー、これは、これは。もう完全に“ナイ”ね」
「やっぱりそうか」
目の前でウィズとヴァイスが何故か深刻そうな顔で向きあっている。あれ、もしかして俺は、なかなかに危ない奴なのか?
俺が若干、専門家達の醸し出す不穏な空気に、心臓が嫌な音を鳴らすのを感じた。
もしかして、俺は悪い病気だったりするのだろうか。
「アウト、お前に大量に流し込まれた、この飲んだくれのマナは、もう一切体に余剰分として残されていない」
「……うん?」
「……普通、マナの余剰分というのは、先程触れた下腹部辺りに貯蔵されている。そこに器があるからだ。そして、その余剰マナの有無が前世の記憶の保持や、外界に放出させ、お前の言う魔法のような効果を発動させる一因だ。普通なら、若いうちはその余剰分を使用しても、またすぐに回復する。けれど、お前には、そもそも余剰マナを溜めておく、器がない」
「へぇ」
まぁ、前世の記憶もマナも無いと、散々言われてきたのだ。
そもそも、そういうモノではないのか。
というか、前世の記憶がない人間は大なり小なり、その器がないからこそ記憶を保てていないのだと思っていたが、違うのだろうか。
「お前……分かっていないな。これが、どれほど危険な事か」
「え?それってなんか危ないの!?」
「危険極まりない!俺はお前がよく今まで無事に生き延びてこられたものだと、心底驚いているし、安堵してもいる。けれどそれ以上に、お前に対して戦々恐々とし始めた!」
ウィズは眉間に深い皺を寄せ、頭痛でもするのか、酷く辛そうな表情で自身のこめかみを抑えつけた。
「大丈夫か?ウィズ」
「大丈夫かと聞きたいのは俺の方だ!アウト!」
ウィズは俺をベッドへと勢いよく肩を押し寝かしつけると、上から覆いかぶさるように、両手を顔の脇へとついた。
背中には柔らかいベッド。眼前には美し過ぎる、辛そうに表情を歪めた男の顔。これは一体どんな状態だ。
「前世の記憶を持たない人間でさえ、器すら持たない人間など聞いた事がない!器が無ければマナを少しも溜める事が出来ないんだ!だとすれば、お前は病気や怪我、まして昨日のような事があった際に、自身の生命維持に必要とされるマナを使うしかなくなる!もちろん、それを日常生活で使うなんてあり得ない愚行だ!そんな愚かな事をすれば、やり続ければ、今のお前ならば、もう分かるだろう!?崩死する!お前は少しの怪我や、体調不良ですら、そのまま命の危機に直結するような奴なんだ!」
「そ、そっか」
言われてみれば、確かにウィズやヴァイスが言わんとせん事は理解できる。確かに、日常の微かな利便性の為に、自分の命を賭けるなんて、それは確かに愚行中の愚行だろう。
まぁ、この話を聞いていなければ、その愚行を何の躊躇いもなくやっていたかもしれないので、二人には感謝しなければ。
俺が「これからも部屋の熱結石にはアボードの用意してくれる“まっち”が必要だなぁ」なんて、そんな事を考えていると、その俺の様子にウィズは何を思ったのか、辛そうに歪められていた表情が、更に深さを増した。