「アウトの中に入らせてくれない?」
「ん??」
俺の中に入る?それはどういう意味だろう。下世話な事を考えて申し訳ないが、情交的なソレしか思い浮かばない。
「それは、俺と……情交したいって事?」
「わお!ほんとにアウトって情緒の欠片もないね!別に僕としてはそういう入り方もやぶさかではないんだけれどね!安心して、違うよ!俺はあの小石頭とは違うからね!」
小石頭。確か、ウィズの事をそう言っていたようだが。
「まぁまぁ、あんな風が吹けば吹き飛ぶ理性しか持ち合わせていない小石の事は忘れて!僕が言いたいのは、キミの、この不可思議で想像もつかない」
「っ!」
ヴァイスの手が俺の下腹部に触れる。しかも今度は寝衣の上からではない。
寝衣の中にスルリと入り込んで来た。ひやりとしたヴァイスの冷たい手に、俺の背筋にゾゾゾと寒気が走った。
「この、キミのマナの世界に入らせてってこと」
「……入れるの?」
「キミが受け入れてさえくれれば。けれど、キミの“アウト”の意識が覚醒していたら、やっぱり部外者である僕は入れない。だから」
だから、
ヴァイスは一瞬俺から気まずそうに目を逸らした。
今日は本当に、ヴァイスの余り見ない、珍しい表情ばかり見れるものだ。
「キミがこの世界を完全に“諦めた”ら、入れる」
「俺が、諦めたら……」
「そして、僕はそのために、あの教会地下に、1冊の禁書を置いたよ。今頃、あの石頭が、ウィズが必死になって解読している筈だ」
そう言えば、ウィズは今週、ずっと仕事が忙しかったようだ。それは、きっとそのヴァイスの置いたという“禁書”のせいなのだろう。
禁書。どこかで聞いた事のあるような、ないような。やっぱり少しくらい現代教会史の授業も起きておくべきだった。
「その禁書には、今、僕がアウトに話した全てが記されている。そして、知ったウィズはきっと世界の淵に立つアウトを、崖底に突き落とすだろうと、そう思っているよ」
「……そっか」
よく分からないが。分からないなりに、分かるような気もする。
きっと、俺はもうすぐウィズに酷い事を言われるのだ。
そうしたら、俺はきっと――。
「世界を、諦めるんだろうな」
「僕は、それを知っててわざと禁書を置いた。ウィズにしか解読できないような難易度で。他の人間には決して読めないようにするために」
ヴァイスは目を伏せ、そう言うと、俺と目を合わせようとはしなくなった。そんなヴァイスがまたしても珍しくて、俺はもう何故だか楽しい気持ちになったのだった。
「ヴァイス?いいよ。気にしてない」
おかしいから、笑ってヴァイスの頬を両手で挟んだ。挟んで、さっき俺がヴァイスにされたみたいに、そっと顔を上げさせる。
「ヴァイス。いいから。俺がヴァイスのお気に入りであるように、俺にとってもヴァイスはお気に入りなんだ。何しても許しちゃうよ。気になるんでしょ。俺の中がどうなってるのか」
「アウト……」
「これで、少しでもヴァイスの“退屈”がしのげるなら、おいで」
そのまま俺はヴァイスの頬から手を離すと、先程とはやっぱり逆で、俺がヴァイスの顔をこの胸に抱きしめてあげた。
「アウト。君は自分のマナだけでなく、僕みたいな他人も受け入れるんだね」
長い時の中。後悔の根源も忘れて、ただひたすらに継承される記憶。
ヴァイスは“退屈”だったんだよな。寂しかったんだよな。
そのどちらも、今の俺なら解消してあげられる。
「僕ね、ずっと気になってたんだ。記憶を持たない人達って、どんな人たちなんだろうって、いつも僕は観察してた。共に生きた事もあったし、こないだみたいに望みを叶えて上げた事もあった。覚えてる?あの、キミの前のお気に入り」
———-僕が愛するのはマルコだけだっ!
俺の耳の奥に木霊するのは、あの彼の悲痛な叫び。あれはそのままウィズの叫びだ。現世ではなく、前世に幸福の在処を置いてきてしまった。
悲しい人達。
「覚えているよ」
「彼は、自分に前世がない事で、やっぱり苦しんでいた。望んでいた。忘れてしまった過去を。だから、僕が1つの扉を開けた。開けてしまったら……」
——-ありがとうございますっ。主人も、きっと喜ぶと思います。
黒い服を着た、目を赤くした女性。
もう、この世界に居ない愛おしい人を想って泣く、あの人の心は、誰が救うのだろう。
「今の今まで彼が作り上げてきた“彼”と、途中で扉を開けてしまったせいで現れた“彼”が反発し、交じり合えず、心を病んだ。病んで、壊れた」
「……どちらの“彼”にも、譲れない望みがあったんだね」
「うん。だから、普通はあんな風に後天的に扉を開いたら、高確率で心が壊れてしまう。ましてや、アウトのように複数のマナの残滓と共存するなんて論外!けれど、アウトはそれを難なくやってのけている。僕は知りたいんだ。君の気持ちを、心が、どうなっているのかを。たったそれだけ、それだけの気持ち」
ごめんね。
と、囁かれるように紡がれた謝罪を、俺は受け取らなかった。俺はヴァイスに謝罪されるような事はされていない。
俺がギリギリで、無様に縋りついているこの世界から、ヴァイスは俺の望む方法で突き落としてくれるのだ。俺は謝罪を受けるのではなく、心からの感謝を送るべきだろう。
「ウィズが付き落としてくれたら、俺はもう完全に諦められる。そしたら、俺は俺の中に居るインを探し出して“交代”できる」
「……アウト、僕もそこに一緒に居ていい?」
「もちろんさ!一緒に居よう!外の辛い事や悲しい事なんて知らない!勝手にしたらいい!勝手に幸福にでもなんでもなればいい!」
“アウト”はこの世界のお気に入りにはなれなかった!
だけど、少しでも居座りたくて、惨めに、バカみたいに、俺はこの世界で“お気に入り”を集めて並べて!
誰も選んじゃくれないもんだから、そうやって俺が選んできたけれど!
酒のラベルも!綺麗な羽も!手帳のカバーも!色砂も!香油も!射出砂の描画も!歌も!窓掛も!あの酒場も!
そして、ウィズも!
どれもこれも、全部一方通行だった!
バカだバカだバカだ!
なんてバカバカしい!世界が選んでくれないなら、俺だってこんな世界選ばない!俺のお気に入りになんてしてやらない!
「アウト。きっと分かっていても、キミは凄く傷つく事になるよ」
「いいよ。その方が、きっと思い切り飛べる。もう未練なんか残さず。俺は飛べる。なんたって、俺は」
鳥みたいには、飛べないんだから。