259:家出と癇癪

 

 

       〇

 

 

 

『インっ!おい!こら!インっ!?』

 

 俺はエプロンを投げ捨て、入口へと勢いよく駆け出した。けれど、外には大勢のお客さんが居たようで、インはその人込みの中へスルリと入り込むと、一気にその姿を消してしまった。

 

『クソッ!さすが、森育ちの野生児!獣の子供かよ!』

 

 俺が店の入り口で頭を本気で掻きむしっていると、隣から「アウト?」と誰かを呼ぶ声が聞こえた。

 あぁ、聞き慣れない声だ。けれど、何故かこの静かで落ち着いた声は、俺の好みではある。

 

『すみませんが、今日はお店はお休みです。入口にそう、札を下ろしていた筈だったんですけどね』

「……いや」

 

 俺は、チラと扉に掛けられている“ほんじつはおやすみです”の札に目をやりながら、若干の恨みがましさを込めて、初めて見る客2人に伝える。

 一人は美し過ぎる程、美しい、まるで夜に浮かぶ月のような男。その男は、俺の言葉に一瞬傷ついたような表情を浮かべると「すまない」と、顔を俯かせた。

 

「えへへ。ごめんねー」

 

 そして、もう一人はインと同じくらいの年頃だろうか。何がおかしいのか、ニコニコと楽し過ぎる程に楽し気な笑みを浮かべ、此方を見てくる少年の姿があった。

 

『まったく、貴方達のせいで、うちの従業員が家出をしてしまったじゃないですか!どうしてくれるんです!?』

 

 あぁ、まったくこの二人が店の扉さえ開けなければ、今頃、俺はインと完全に“マスター”の座を交換できたのに。

 そう考えると、どうしても不機嫌にならざるを得ない。新規の客である事は間違いなさそうだが、なにせこの二人は、俺の言霊を無視したのだ。

 

 まったく強制するつもりはないが、最低限のルールは守って欲しいものである。

 

「アウト、お前……」

『そして、さっきから貴方!なんなんですか!?アウトアウトって!俺はこの店のマスターです。俺を“誰か”と勘違いしてませんか?』

 

 アウト。

 一体誰だソイツは。なんだかその名は聞くだけで腹が立つので、余り耳に入れたくない。俺はゾクゾクと背筋に走る寒気を無視し、ともかくインを探す事にした。店の前に居る多くの客には申し訳ないが、やっぱり今日はお店はお休みだ。

 

『みなさん!すみません!今日はお店はお休みです!また明日、開けますから!今日は帰ってくださいねー!』

 

 俺が叫べば、皆一様に残念そうな表情を浮かべるも、それぞれ自分達の居るべき場所へと帰っていく。そう、彼らには彼らの居場所がきちんとあるのだ。

 だからきっと、インも自分の居場所に戻ったに違いない。

 

『インのヤツ、絶対に逃がさない』

 

 もう、俺は早くインと交代しなければならないのだから。でなければ、この背中の寒気は一向に取れる気配がない。それどころか、どんどん強くなる始末。

 

「ねぇねぇ。君、マスターだっけ?君はこれから、さっき走って行った子を探しに行くの?」

『ええ。彼はうちの従業員なんですけど、そろそろ彼に代替わりしたくて。なのに、嫌だなんだと癇癪を起して家出してしまった。まったく、困った子だよ!』

「家出、ねぇ」

 

 俺の言葉に、少年は意味深な笑みで此方を見つめてくる。なんだろう。この子、姿カタチは“子供”なのに、インと違って全然幼さがない。なんというか、長い長い時の流れを感じる子だ。

 

「ねぇ。どうしてキミは店の代替わりをしようとしてるの?見たところ、まだキミだって若い。代替わりというには早すぎる気もするけど」

 

 少年に問われ、俺は酒場の扉に鍵をかけながら考えた。確かに、何故俺は、インと交代しなければならないのだろう。

 

———-お前を誰も望んでいないからだ!

 

 考えて、頭の中に響く言葉に耳を傾ける。あぁ、そうそう。そうだった。

 

『俺が望まれていないからです。インがマスターをした方が、みんな喜ぶ』

「っ!そんな事を誰が言った!?」

 

 俺は店にガチャリと鍵をかけると、その鍵をポケットに仕舞った。仕舞った瞬間、何故か隣で俺の言葉を聞いていた美しい男に、勢いよく肩を掴まれる。

 あぁ、至近距離に美し過ぎる顔があるのは、なんだか落ち着かない。とても、とても落ち着かない。

 

『……誰がって、えっと』

 

———アイツがそう言った!インに会いたいって!そう言ったんだ!

 

『あいつが、言った。インがいいって。インに会いたいからって。俺じゃ、幸福に出来ないから。インしか、アイツは幸福にできない』

「……アウト、ちがう。それは違う」

『だから、俺はアウトじゃないって言ってるでしょう?もう、しつこい人だな』

 

 俺は肩を掴んでいた美しい男の手を払いのけると、インを探す為に辺りを見渡した。

 

『……俺なんか、要らないんだ』

 

 そう、そうだ。アイツが言ったんだ。俺なんかいらないって。インはどこだって。だから、俺はもう、彼方へは行きたくないんだ。

 だって、また酷い事を言われたら嫌だし。望まれていない世界に居なきゃいけないなんて、それこそゾッとする。

 

 あぁ、そうか。だから“ゾクゾク”なのか。

 

「あーあ!アウトが完全に拗ねてるよ!こりゃあもう完全に閉ざされたね!お前のせいだ!小石頭!」

「うるさいっ!そうだ!俺のせいだ!俺が悪い!クソクソクソクソッ」

 

 隣で大人と子供が喧嘩をしている。けれど、見た目と俺の目に見える中身が逆転しているように見えるのは気のせいだろうか。

 まぁ、そんなのはどうでも良い事か。

 

『さて、俺はやる事があるので、失礼します。お店は明日からインが開けると思いますので、また来てください』

「待て!?」

『はぁ!?さっきから何なんですか!?貴方!しつこい!』

 

 俺は背を向けたそばから肩に手をかけて無理やり自分の方へと引き寄せてくる男に、いい加減ウンザリしてしまった。

 この人は一体何なのだろうか。この世界の住人に、こんな図々しくて他人の話を聞かない、身勝手で迷惑な人間は、他には居ない。

 

 あぁ、居やしないだろうさ!こんな迷惑極まりない男!

 

「しつこい!だって!ふふっ。その通りだよ!もっと言ってやれ!」

「しつこくて結構!お前、インを探すと言ったな?!当てはあるのか!」

 

 男は何故か必死に俺に追いすがってくるのを止めない。当てはあるのか?だって。笑わせてくれる。曲がりなりにも、俺はこの店の、この世界のマスターなんだ。

 

『ありますよ!俺はまだ交代する予定とは言え、マスターですよ!家出したって、ここは俺の中なんだから、すぐに見つけられる!』

 

 言いながら、俺は少しだけ胸を張ってやった。ふふんと。この身勝手な男にも、この世界では俺に敵う者は居ないのだと見せつけてやらねば。

 俺は心の中で“皆”に『ごめん』と謝ると、頭の中で全てを真っ白にするイメージを作った。目を開けたままだと、どうもイメージし辛いので、一旦目を閉じる。

 

 あぁ、もう。せっかく、皆の話を聞きながら作った”世界”だったのに。

 

 

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