261:あの部屋

 

『あれ?あれれ?』

 

 ガチャガチャガチャ。

 いくらドアノブを捻っても、扉が開く事はない。これは明らかに“内側”から鍵が掛けられている。そして、よく見ればドアノブには鍵穴まであるではないか!

 

 なぜ、急にこんなモノが。あれ。ここは俺の中な筈なのに。

 

『なんで?どうして?』

『だから!自分の真名も認めないヤツの言う事は、俺は効かないよ!』

『そ、そんな……』

 

 俺は余りにも予想外な展開に、ノブから手を離し、頭を抱えた。まさか、真名を認めないってだけで、ここまで自分を掌握できなくなるとは。

 

「ねぇ、マスター?キミが真名を認めたら、その扉も開ける事が出来るんじゃない?」

 

 頭を抱える俺に、隣で俺の様子をずっと見ていた少年がポンと俺の肩に手を置いて、そんな事を言ってくる。

 真名を認める?そんな事、出来る訳がない。そんな事をしたら――。

 

『そんな事をしたら、俺がマスターでこの世界に定着してしまう。そしたら、インと交代出来なくなる……それは、ダメだ』

「どうして?」

 

 どうして?だって。少年の問いに、俺は何度も同じ事を口にしなければならない事に、ウンザリした。俺だって、そう何度も何度も自分の存在意義の無さを、口に出したくはない。

 

『もう、それはいいだろ。それより鍵だ。インの部屋の鍵を探した方が早い。無理やり引きずりだして、無理にでも交代させる』

「アウト、聞いてくれ」

『俺はアウトじゃないって言ってるだろ!?うるさいんだよ!?お前!』

 

 さっきから何度も俺の事を“アウト”と呼ぶこの男。身勝手なのも、変に付きまとってくるのも構わないが、それだけは許さない。

 俺は“マスター”だ。アウトなどでは決してない!

 

『俺に、触るな!』

「っ!」

 

 俺は手に触れてこようとする、美しい男の手を勢いよく払いのけると、インの部屋の鍵穴に目を向けた。隣で男がどんな顔をしているかなんて気にしない。

俺だって払いのけた時に、この男の手が当たって痛かった。俺だって、俺だって。

 

———痛かったんだ!

 

 頭の中で響く激しい言葉に、俺はズキリと頭が痛むのを感じた。この、どこから響いてくるか分からない声は、とても今、近くに聞こえる。

 一体何なのだろう、この声は。俺はこの声に突き動かされて、ここまで来たけれど。

 

 この声は、一体。

 

———-ウィズが酷い事を言うんだ!だから、もう俺は戻りたくない!もう傷つきたくない!あんな世界嫌いだ!大嫌い!

 

『……ウィズ?』

 

 俺は痛む掌を見下ろしながら、先程自分の口から出て来た名前にも、確かそんなのがあったな、と他人事のように思った。

 

「なぁ。アウト、アウト……どうしたら、許してくれる?」

『……鍵を探さないと』

 

 隣から問われる言葉を、俺は無視する。アウトじゃないと言っているのに。もう、この男の事も、俺は嫌いになる事にした。俺の嫌がる事をするヤツは、みんな嫌い。大嫌い。

 

 ともかく、今はこのどこから聞こえているのか分からない声に従おう。そうでないと、背中のゾクゾクが良くならないから。

 

 インの部屋。鍵穴があるという事は、鍵がある。俺の持っているこの店の鍵で開くだろうか。一応、ポケットから取り出してみる。

 

『イン、今から鍵で開けるからな』

『この部屋の鍵は、マスターじゃ開けられないよ!開けれるものなら開けてみな!』

『クソッ!』

 

 本能的に分かる。この鍵では開かない、と。けれど、俺の持っている鍵はコレだけなのだ。この1つだけ。だったら、無駄だと分かっていても、入れてみるしかない。

 

 そう、俺がインの部屋の鍵穴に、酒場の鍵を差し込もうとした時だった。

 

『それじゃあ、開かない』

『え?』

 

 声が、聞こえた。

 それは、それまで一緒に居た2人とは、全く違う声。ただ、その声も、あの美しい男の声同様に、夜空に浮かぶ月のように、静かな声だった。

 俺が声のする方を振り返ると、そこにはインと同い年くらいの男の子が居た。けれど、どう頑張ってもインみたいに子供子供した風体ではない。

 

 子供と大人の狭間で、ずっと閉じ込められているような。そんな神秘的な様相をした、不思議な美しさを持った男の子だ。

 

「お前……」

「ありゃ、家出から帰って来たのかい?」

『帰らない、そんな居心地の悪い場所。もう、帰るものか』

 

 家出。あぁ、この子も家出少年だったのか。それなら、彼の“家”はどこだろう。明らかに、俺の世界の人間ではない彼に、本能的に俺は悟った。

 

『キミが、オブ?』

『……どいて。開けるから』

 

 俺の問いに、少年は答えない。それどころか、俺などまるで眼中にはないようだった。彼が見ているのは、閉ざされた扉のみ。

 

『開けるって言ったって……鍵がない』

 

 俺の呟きに答えるように、少年は自身のズボンのポケットから何かを取り出した。取り出されたソレは鍵かと思いきや、全然、鍵ではなかった。

 ポケットから出てきたモノ、それは。

 

『懐中、時計?』

 

 それのどこが鍵だと言うのだろう。俺が不思議な気分で、その懐中時計を眺めていると、少年はチラと視線を扉ではない場所へと移した。

 そして、やっぱりその視線の先にあるのは“俺”ではない。

 

『お前が開けるべき部屋は、ここじゃないだろ』

——–ウィズ。

 

 また、ウィズだ。少年の口から出て来た、懐かしくも、温かく、そして傷の痛むような熱さを帯びたその名に、俺の心が跳ねる。

 ウィズが、開けるべき、扉だと?

 

『なにを、言って……』

 

 少年はそれだけ言って、インの部屋のちょうど向かい側の部屋を指さすと、すぐに自分はインの部屋の前へと向き直った。

 

 待て、あの向かいの部屋は、一体誰の部屋だ?

 俺に把握できていない部屋などない。だって、俺が全部開けてきたから。だから、あの部屋だって分かる。あの、部屋は。

 

 

 あの部屋は!