263:怒髪夜空を衝く

きみとぼくの冒険。第9巻 第2章

 

 

【おまえはだれだ!】

 

私はびっくりしました。

そりゃあ、びっくりしましたよ。

だって、部屋の向こうから、とんでもない声が聞こえてきたのですから!

 

 

———-王子様、待ってー!今度はこっちで遊ぼうよ!

 

 

王子様!?

なんですって!なんですって!

 

ここは月です。月に居る王子様と言えば、月の王子様しかありえません。そして、月の王子様は、今、私の隣でふるえながら、扉を開けきれずにいる、この人じゃあありませんか!

 

———王子様!はやく扉をあけて!あの子、誰かと遊んでます!すごく、すごく楽しそうに!はやくいかないと!

 

そう、私が王子様をけしかけるように、王子様の周りをとびまわります。すると、王子様はやっとのことで、扉に手をかけ、どうしよう、どうしようと混乱しているようです。

王子様!勇気を出さないと!でないと!あの子は、

 

———夢の中のあなたに取られてしまいますよ!

 

私の言葉に、王子様はそのひとみをゆらりと揺らすと、一気に扉を開きました。

 

 

 

 

————-

———-

——

 

 俺は、皆の部屋を少しずつ開けていった。

 

 だって、こんなに広い場所で、一人は寂しかったから。だから、一つ一つ扉の鍵を壊していったんだ。

 そんなの、俺はこの世界のマスターだから、とても簡単だった。願うだけで、どんなに大きな南京錠だってすぐに壊せるんだから。

 

 けれど、外側の俺の体が成長するにつれ、一人だけ酷く邪魔な存在が居る事に気が付いた。邪魔で、邪魔で、仕方が無かったので、俺は、逆にソイツを狭くて暗い部屋に閉じ込める事にした。

 嫌だ嫌だと言うソイツを、無理やり、一番狭くて暗い部屋に押し込んだのだ。

 

———–お前なんか、あっちに行け!

 

『あの部屋は狭いし一人ぼっちになるから嫌だったね』と酒場のお客さんが話していたから知っていた筈だったのに、俺はそんなの知らないって腕を引っ張って、無理やりその部屋に閉じ込めた。

 

———–お前が居ると、俺は物凄く辛い思いをするから、もう出てこないで!

 

 扉の前で、マスターである俺がお願いすると、いやだ、いやだと泣き喚いていたソイツはピタリと大人しくなった。大人しくなって、体を小さく、小さくして『わかった』と頷いた。良かったってホッとした俺は、もう見ない事にして、楽しい気分でお店を始めた。

 

———–良かった。やっぱりアイツが居なくて正解じゃないか!

 

 アイツが居ないだけで、物凄く生きるのが楽になった気がした。でも、たまにどうしてるか気になって、部屋の前まで行ったりもした。

 すると、驚くべき事に、部屋の扉には俺が付けた訳ではない鍵穴がドアノブについていた。どうやら、逆に内側から鍵がかけられたらしい。

 

———–鍵なんて。俺、持ってないけど。

 

 俺は首を傾げてしまった。

 でも、こうなってしまっては、もう俺ですら鍵は開けられない。自分で閉じ込めたモノだったのに、もう自分では開ける事が出来なくなってしまったのだ。

 だって鍵がないんだから、仕方がない。でも、別に全然困らなかったから、もう俺は、こんな部屋がある事自体、忘れる事にした。

 

 だから“今”の“今”まで忘れていたのに。

 コイツが鍵を取り出すまでは。

 あぁ、あそこに居るのは。狭くて暗い部屋に、俺が閉じ込めていたのは――。

 

『っや、やめて、やめて!!』

 

 けれど、そんな俺の言葉なんて、あの月のような美しい男は何も気にした様子などなく、あっけなく鍵穴へと鍵を差し込んだ。容赦なんてこれっぽっちもなく、差し込んで、ぐるりとソレを回す。

 

 がちゃり。

 

 鍵が開く音の後、バタンと前と後ろから、扉が開け放たれる音がする。俺の後ろでも、何か騒がしい声が聞こえるが、もう俺はそれどころではなかった。

 インと交代するとか、しないとか。そんな事はどうでも良い。

 それより問題なのは。

 

「なんだ、これは」

 

 開け放たれた扉の中を見て、扉を開けた男の、ヒュッと息を呑む声が聞こえる。

 

 見られた。見られてしまった。よりにもよって、あの男に。

 そして、開けられた瞬間に、俺の中に湧き上がってくる激しい感情。それはもう、俺の気持ちの全てを圧迫して、もうその場に立っている事すら出来なかった。

 

『あぁっ、ああ。いやだ、いやだ……。見るな。見ないで。見苦しい。恥ずかしい。図々しい。傲慢で、自分勝手で、無知で、愚かで。穢い、穢い、穢い』

「……マスター。あれの、どこがそんなに穢いの?」

『穢い!穢い!ごめんなさい!ごめんなさいっ!』

 

 蹲って謝る。謝るしかない。こんな俺の身勝手な見苦しい欲望を、見られたのだから。

 けれど、そんな俺に対し、少年の優しい声が俺の耳元で聞こえてきた。どうやら、蹲る俺の背を撫でてくれているようで、寄り添ってくれるその体は、とても温かかった。

 

『…………』

「穢くない。穢くなんてないよ」

 

 あぁ、ファーとくっついた時は、何も温かさなんて感じなかったのに、どうしてだろう。

 

「穢くなんてないじゃないか。ねぇ、ウィズ」

 

 少年の問いかけに、返事はない。

 そりゃあ、そうだ。

 さぞかし、あの月のような男は不快になっただろう。だって、あの中には“居る”のだ。

 

「不愉快だ」

『っ!』

 

 不愉快。

 俺の耳に容赦なく聞こえて来た、その苛立ちを含んだ言葉に、俺の体は撥ねた。撥ねた肩を、少年の手がそれまで以上に力強く抱きしめてくれた。

 

「ほら、怖がらずに見てごらん。君の本心を。そして、アレを見たあの男の顔を見てごらんよ!アイツは不愉快でも、きっと君は愉快な気持ちになれるさ!」

『…………』

 

 こわい。顔を上げて見るなんて、怖くてできない。

 きっと、俺の閉じ込めた部屋には、俺の醜いモノが詰まってて、ソレを見てあの男の人は不愉快になったのだ。顔を歪めて、俺を軽蔑しているに決まっている。

 

「クソッ!クソクソクソクソッ!なんで、なんで、なんで!なんでだ!?どうしてだ!?」

『っ!』

 

 入られた!見ていなくてもわかる!今、あの男は俺の部屋に入った。容赦なく、勢いよく、ドスドスと。勝手に!

 

「あはは!嫉妬に狂った男の見苦しさって凄いね!傑作だよ!もっとやれ!ねぇ、見てみてよ!」

———アウト!

 

 温かい悪魔の笑い声が響き渡る。

 俺はその瞬間、あれだけ怖がって上げられなかった顔を勢いよく上げた。上げてしまった。上げざるを得なかった。

 

「なんで、俺が居るのに……そんな、偽物に抱きしめられているんだっ!アウト!」

 

 どうして、あの男はこんなに怒っているのか、俺は知りたくなったのだ。

 そうだ、俺は、彼の事が、知りたい。

 

 そう、思ってしまった。