「『おれが、インじゃなくって、ガッカリしてるくせに!おれが、ないて、めんどうだって思ってるくせに!おれの中にインがいるからウィズは、おれに笑ってくれたんだ!やさしくしてくれたんだ!そうじゃなかったら、ウィズは、おれのことなんて、どうでもいいんだっ!うぃずはっ、おれのこと、ちっとも分かってくれないっ!なんで、わかってくれないんだよ!?』」
「……そうだな。すまない。俺はちっとも分かってなかったな。初めて俺は、お前がこんな事を思っているなんて知ったよ」
初めて?そんな事ない、俺はずっと思ってた。ずっとずっと苦しくて、ずっとずっとウィズに対して、俺をアウトとして見てって思ってた。
思ってた?
俺は息ができないくらいの波の中に攫われながら、もがいた。もがき苦しんだ。息ができないから、頭もぼーっとする。もう、まともな考えなんて思いつかなくて、俺は俺と繋いでいた手を、これでもかという程、強い力で握りしめていた。
そして、それは俺の手を繋ぐ、もう一方の俺も同様で、俺達という俺は互いの手を痛い位握り締め続けた。
「『うるさいっ!言わなくてもわかってよ!うぃずは何でもしってるじゃないか!おれの事もわかってよ!しっててよ!』」
「……本当だな。その通りだ。俺も、そうなりたい。けれど、無理なんだ。俺はお前の思っているような、頭の良い、賢い男じゃない。馬鹿で、愚かで、弱い。ただの“ウィズ”だ」
ただのウィズ。
そう、目の前に居るのはウィズだ。オブじゃない。インに分からない事をたくさん教えてくれて、何でも知ってますよって澄ました顔をしていた、オブじゃない。
そっか。ウィズも、オブじゃないんだな。
「でも、言ってくれたお陰で、バカな俺もようやく分かったよ。俺は、俺が誰かを分からなかったせいで、アウト。お前を沢山傷付けてきたな。ひどい事をたくさん言ってきたな。辛い思いをたくさんさせて、がまんを強いてきたな……」
ウィズの声が震えている。
けど、目の前がぼやけてなにも見えない。未だに俺の片腕はウィズの、熱い熱い手で掴まれているし、俺のもう片方の手は……あれ?
「……そっか」
俺はその瞬間、それまで手を繋いでいた筈の片手を見た。そこには、きつく握り締められた拳があるだけで、誰とも手なんかつないじゃいない。
俺は拳を解くと、掌でゆっくりと胸に手を当てた。
「おかえり」
もうしばらく、帰ってくるには時間が掛かると思っていたけれど、案外あっさりと帰って来てくれた。俺の胸のしこりの一番は、やっぱりこれだったということだ。
「うぃず。きいて」
ウィズは何も答えない。ただ、掴まれていた俺の手が、いっそう力強く握り締められる。それがウィズからの答えだ。
「おれねぇ、だいすきだったの。みんなで、あのさかばで、おさけをのんで、おしゃべりして。うぃずがおしえてくれることを、めもして。うぃずが、おれにわらってくれる、あのまいにちが。だいすきだった。ほんとうに、だいすきで。なくしたく、なかったから。だから」
溺れる俺の元へ、最後の大きな波がくる。もう、ずっと息なんて出来なくて。体は何の抵抗もできないまま、攫われていく。くるしい、くるしい。
手を、伸ばしてもいいだろうか。誰からも手を取って貰えないかもしれないけれど、もがいていいだろうか。
———-ずっと!お前が“イン”だと思っていた!
あの時のウィズの苦しそうな言葉が頭を過る。
けれど、ウィズの気持ちなんて考えずに、それこそ、何も考えずに手を伸ばしたい。添えるだけじゃなくて、掴みたい。掴み取りたい。
俺はインじゃないけれど、アウトだけれど。いいかなあ。
「あのどき、おれを選んでぐれなかったことが、ぐやじいっ!」
その瞬間、俺は掴まれていた手を勢いよく引かれ、俺はこれでもかという程強い力で抱きしめられていた。
これはヴァイスのしてくれたような、心地の良い腕の中ではない。苦しい波の中から、一気に引き上げられるような、そんな容赦のない抱き締め方だった。
「いんの事ばっがりじゃなくて、あうとも大事にしてよっ!あうとって言いながらいんを見ないでよ!うぃずの幸福にひつようなのは、おれだって言っでよ!」
「うん、うん、うんっ」
こんなに他人の熱を近くに感じたのは初めてだ。もう、殆ど一つみたいに近くて、でも、これは“俺”じゃないから、ちゃんと暖かい。いや、温かいなんてものじゃない。
熱い。すごく、熱い。
つなみに攫われて冷たかった筈の体の温もりが、一気に戻ってくる。
「あうと、あうと、あうと。しんじてほしい」
耳元で、もう俺以上に声の震えるウィズの声が聞こえる。あぁ、ズルいなぁ。俺の酷い顔はしっかり見た癖に、自分の顔はこうして隠すんだから。
ウィズは、いっつもそう。ズルいよなあ。
俺は余りにも強く抱きしめられると、声すら出せなくなるのだと、この時初めて知った。だから、俺は返事の代わりにウィズの背に手を回す。回して、そしてきつく抱きしめた。
俺の幸福を、腕の中に収めるように。逃がさないように。
「おれは、あうとの居ない、せかいなど、たえられない」
そう、いつものウィズでは考えられないような、拙く、そして幼い、欲望の塊のような言葉に、俺は目を見開いた。
あれ。みんな、アウトの居ない世界を望んでいたのではないのか。
———–皆って誰!?俺は“みんな”って言葉には騙されないぞ!
本当だ。みんな。皆。みんなって、誰だ?
その皆は、俺にとって大事で大切で、大好きな“皆”か?
「あの、てちょうは、あうとにおくったのに。かってに、ほかのにんげんに、わたそうとするな。そんな、ひどいことは、もう、しないでくれ。ちゃんと、あうとが、うけとってくれ。たのむ。おねがいします」
———俺の傍に、居てくれ。
ウィズの吐き出された、切実な願いの塊が俺の元へと降ってきた。信じる、信じないの話ではない。これはもう、その通りとしか言いようがない。
ウィズの望みは言葉の通りだ。ストンと落ちて来た。
「うぃずって」
つなみは去った。
今はもう、足元に緩やかなさざ波があるのみ。あぁ、いつの間にか本当に“海”を作ってしまっていたようだ。これは、ウィズの見せてくれた、南部の、美しい海。天国と繋がっていると言われている、あの壮大で美しい、優しい海。
「うぃずって、さ」
俺はウィズの肩に押し付けられていた自身の顔を、無理やり上げた。以前はここで、頭を抑えつけられたけれど、ウィズもとっさの事で反応出来なかったのだろう。
俺はハッキリとウィズの顔を見つめて、そして尋ねていた。
「おれのこと、だいすきなの?」
そう、尋ねた時のウィズの顔と言ったら。ウィズはいつだって美しかったのに、この時ばかりは、涙と鼻水でいっぱいの、ぜんぜん綺麗じゃない顔のまま、怒ったように叫んでいた。
「いわなくてもっ、わかれ!おれは、おまえを……あいしてるんだ!」
そう言って、またしても顔を隠すように、俺はきつく抱きしめられていた。
そうか、ウィズは俺を愛しているのか。そうか、そうか。
俺はウィズの言葉を頭の中で反芻するように目を閉じると、良い事を聞いたなぁと心から「ふふ」と微笑んだ。