2:好きな女の子にかす傘

 

 

 その日、五時限目の途中から酷い雨が降り始めた。

 

「サイアク……」

 

 上白垣 雫は窓に叩きつける大粒の雨を見ながら、溜息と共に殺意を吐き出した。天気予報では雨なんて言っていなかった気がする。

 それに、今朝はこんなにも雨が降るような素振り、欠片も空は見せていなかったではないか。それなのに、この変わりよう。

こんなのあんまりだ。

 

そして、何より。

 

「栞……あのクソゲーマーが」

 

 雫は、自身の双子の姉妹の顔を思い浮かべ、教科書の入った鞄を勢いよく机の上に叩きつけた。鞄の中には、雫が常に常備している筈の折り畳みの傘が、忽然とその姿を消していた。出した覚えなどない。

 

証拠などないが、絶対に栞の仕業だ、と雫は確信していた。

 

——雫。コレ借りてくわよ。

 

 そう言われ、雫のモノが返ってきた試しは一度だってない。正直、姉妹でなければ窃盗犯として、何度警察に突き出そうと思ったかしれないのだ。

 

 そんな雫の鞄から、折り畳み傘が消えた。

 だとすれば、これまでの人生の全てが証拠のようなモノである。

 そんな雫の殺意とキレっぷりに、チラチラと雫の様子を窺っていた周囲の男子生徒達は、手に持っていた折り畳み傘を手にスススと、雫から一定の距離を取った。

 

「あの女、帰ったら絶対にぶっ飛ばす」

 

 男子生徒達は一様に思った。

 美人は怒ると人一倍恐ろしい、と。

 そうやって、自身の持つ折り畳み傘を捧げる勇者が一人、また一人と静かに辞退をしていく中、一人の少年が、無謀にも雫の前へと飛び出した。

 

「上白垣さーん!傘忘れたの!?傘忘れたの!?」

 

 雑餉隈 啓次郎。

 その少年は自身の軽い髪の毛を雨の湿気などものともせず、フワフワと靡かせながら、満面の笑みで雫の前に駆け寄ってきた。

 

「だったら何よ?殺すわよ。雑餉隈」

「傘忘れたか聞いただけで!?」

 

 イチイチうるさい。

 イチイチ全力。

 イチイチ楽しそう。

 

 雫は目の前で大仰極まりないリアクションを取る啓次郎を前に、自分が雨如き、傘如きで腹を立てているのが、急に馬鹿らしくなった。

 もういい、走って帰ればいいのだ。そして、濡れた体で栞のベッドに飛び込んでやる。

 

 そう、雫が机に叩きつけた鞄を肩にかけた時だった。

 

「はい!上白垣さん!」

「なによ」

「折り畳み傘だよ!」

「そんなの見りゃわかるわよ」

「これ、使って!」

 

 そう言って、当たり前のように差し出された紺色の折り畳み傘に、雫は微かに眉間に皺を寄せた。

 

「コレを私に貸して。アンタはどうすんのよ」

「俺?俺は、もう一本普通の傘があるよ!」

「本当でしょうね?」

「うん!今朝、母ちゃんが持ってけって言ってくれたから!うちの母ちゃん天パが凄いから、髪の毛のうねりでその日、雨かどうかが分かるんだよ!」

「へ、へぇ……」

「うん!母ちゃんボンバー天パだから!今朝も凄かったよー!もう爆発してたもん!」

 

 正直、ただの男の良い格好しいだと思っていた雫は、満面の笑みを浮かべ、一切の嘘偽りもない瞳で語られる雑餉隈の母親の髪の毛事情に、思わず感心してしまった。

そんな、天気予報すら察知できない空気の湿気を感じ取る天パとは、一体どんなモノだろう。一度、お目にかかりたいものだ。

 

「あっ!もしかして、大きい普通の傘が良い?俺のお気に入りの傘なんだけど、そっちを貸そうか!それがいいよね!雨、酷いし!」

「別に、コッチでいいわ」

「でも、でも!それだと小さいから肩とかバックとか濡れちゃうよ!?」

「あぁ、もういちいちウルサ……これでいいって言ってんでしょ」

 

 言いながら、雫はさすがにこれはモノを借りる態度ではないな、と反省した。いくら相手がやかましい阿呆男でも、ありがたい事には変わりないのだ。

 

「コレでいいわ。助かった。……ありがとね」

「うひょう!上白垣さんにお礼言われた!ありがとうって言ってくれてありがとう!」

 

 何故か、傘を借りた雫が感謝をされた。

 雫は先程まで、腹の中に渦巻いていた大いなる苛立ちと殺意が、一気にしぼむのを感じると、肩にかけた鞄と手渡された折り畳み傘を手に、スルリと啓次郎に背を向けた。

 

「じゃ、また明日ね。傘、明日返すから」

「いつでもいいよー!じゃーねー!」

 

 そうやって大きく手を振ってくる啓次郎に、雫は自然と自身の口元に笑みが浮かぶのを止められなかった。

 

「……ふふ。ボンバー天パ」

 

 一体どんな天パなのだろう。

そんな事を思い浮かべながら、雫に浮かべられたその笑みを目撃したのは、先程まで雫に対して恐れ慄き距離を取っていた男子生徒達のみである。雫を笑顔にした当の本人は、既に自分の机に戻り、教科書やら何やらを鞄に詰めている。

 

 余韻など、彼の中には皆無の事象なのであった。

 

「こうちゃん、傘持って来てるかなー?教室、行ってみよー!」

 

 御機嫌に口にされる啓次郎の言葉は、もし相手が傘を持っていなかったら、一緒に家まで送ってあげられる!という、雨へのワクワクで華やかに彩られていた。

 

 

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