4:大好きな人とお揃いの傘

 

 

「あれっ!?傘がない!」

 

 啓次郎は傘立てに置いた筈の、自身の傘が忽然と姿を消しているのに大きく首を傾げた。確か、今日は母親に言われて傘を持って来たつもりだったのだが。

 

「あれ?これって前の雨の時の……きおく?あれれ?」

 

 考えれば考える程に、今朝、髪の毛の爆発した母親に「傘を持って行きなさい」と言われた記憶が、今朝のモノなのか、それとも過去の別の雨の日の事なのか分からなくなってきた。

 

「今日じゃ、なかったかも……」

 

 啓次郎は自分の傘が誰かに盗られたなどとは露程も思う事はなく、傘立てに自身の傘がない状況を「そもそも持って来ていなかったモノ」として、完全に脳内で処理をした。

 

「こうちゃんが教室に居なくて良かったなー」

 

 そう、ちょうど先程、孝太が傘を持って来ていなかったら大変だ、と啓次郎は孝太の教室まで走ったのだ。けれど、その教室には既に孝太の姿はなかった。

 

 でも、むしろそれで良かった。

なにせ「俺の傘に入って行きなよ!」と意気揚々と宣言して、実は傘を持って来ていませんでした、なんて余りにも格好がつかないではないか。

 

「でも、どうしよ」

 

 傘立ての前から外を見ると、外は激しい雨。

 少し弱まるまで待つべきか。

 

「待てない!!」

 

 しかし、次の瞬間には、啓次郎は雨を楽しむ小学生や子犬の如く、勢いよく校庭へと飛び出した。飛び出した瞬間、大量の雨粒が、啓次郎の制服や髪の毛を濡らす。数歩駆けただけで、啓次郎の靴の中は、既にぐちゅぐちゅだ。

 

「あはははっ!シャワーみたいだ!」

 

 こんなに雨に濡れるなんて何年ぶりだろう。

 雨の中を飛び跳ねるように駆ける啓次郎に、傘をさして帰路につく学生達の視線がチラチラと向けられる。

 

 しかし、啓次郎はそんな視線一切気にしちゃいなかった。なにせ、啓次郎は雨に濡れる今も、楽しくてしょうがなかったのだ。

 

「うひょー!めちゃめちゃ強いなー!!あはははっ!」

 

 そうやって、啓次郎が校庭を全力で駆け抜けていると、前方に、啓次郎の大好きな後ろ姿があるのを発見した。すると、この雨の中にも関わらず、その大好きな後ろ姿の彼は、クルリと啓次郎の方へと振り返った。

 

「啓次郎」

 

 呼ばれる自身の名前。

 啓次郎はその瞬間、大雨の中にも関わらず一気に太陽が顔を覗かせたような気分に陥った。

 

「こうちゃん!」

「おいっ!?お前傘は……やっぱり無かったか」

 

 そうやって、焦ったような、怒ったような顔を向けてくる孝太に、啓次郎は少しばかり焦った。まずい、このままではこうちゃんに気を遣わせてしまう!と。

 

「持って来てたと思ったけど!なんか、勘違いだったみたい!」

「訳わかんねぇ事言ってねぇで、さっさとコッチに来い」

 

 そう、嘘ではないし、本当の事なので、啓次郎は笑って答えた。すると、孝太の隣から、今度は聞き慣れたドスの利いた声が響く。

 

「……雑餉隈、あんた私に嘘ついたの?」

「っ!上白垣さん!」

「啓次郎、さっさと傘に入れ」

「こうちゃん……!」

「このウソつき」

「ううっ、ウソじゃない!ウソじゃないんだよ!あの時は本当に持って来てるって思ってたんだ!」

「……この傘、返すわ」

「ダメダメダメダメ!絶対ダメ!」

「啓次郎!」

 

 啓次郎は雫に差し出されそうになる、自身の手渡した折り畳み傘を前に大いに両手を振った。こんな大雨の中を、女の子から傘を奪って自分がさすなど、啓次郎には一切考えられなかった。それに、先程から傘に入れと言ってくれる孝太もそうだ。

 男二人が一本の傘に入ったら、確実に孝太が今よりも濡れてしまう。

 

 だから――、

 

「二人共じゃーねー!また明日―!!」

 

 啓次郎は逃げるが勝ちとばかりに、二人の傍から駆け出した。足には自信があるし、この雨だ。あの二人の事がなくとも、正直一気に走って帰らねば、さすがに風邪を引いてしまう。5月とはいえ、この勢いで降りつける雨に、啓次郎は少しばかり寒さを覚えてきた所なのだ。

 

「おいっ!啓次郎!待てっ!」

 

 後ろから、啓次郎の大好きな孝太が、自分を呼ぶ声がする。

 啓次郎は一瞬、本能的に足を止めてしまいそうになるのを堪えながら、ただ、孝太のさしていた傘を思い出し、フワフワと足が浮足立つような気持ちを抑え切れなかった。

 

——–啓次郎。

 

 そう、格好良く孝太が振り返った時に、チラリと見えた傘。

 

「ふふふっ!」

 

 啓次郎は抑え切れずに、ピタリと足を止めた。大丈夫だ。二人からはもう大分距離を取っている。

そう、啓次郎はクルリと振り返ると、二人に向かって大きく手を振った。否、二人ではない。孝太に対して、だ。

ついでに、人間には存在しない筈の尻尾も、心の中でおおいに振りまくった。

 

「こうちゃーん!その傘、俺とおそろーい!」

 

 まさか、孝太と自分が、自然にお揃いの傘を持っているなんて思ってもみなかった。しかし、あれは見間違いなどではない。傘の内側に青空のプリントがされているアレは、どこをどう見ても、啓次郎の持っているお気に入りの傘と、まるきり“お揃い”だった。

 

 青空が、外側ではなく、内側にプリントされているのがいい。雨なのに、青空と虹と雲が頭の上にあるなんて、なんて凄いんだ!と、傘なんて気にした事がなかったのに、一目ぼれをして父親に強請って買ってもらったのだ。

 

「あははっ!こうちゃんとお揃い!うれしーー!」

 

啓次郎は、孝太が大好きだ。格好良いし、優しいし、男の中の男だ。目標中の目標であり、啓次郎は孝太のように、格好良い男になりたかった。というか、もう大好き過ぎて、たまに“会下孝太”そのものになりたいと思う事も、ままある。

 

「じゃーねー!!」

 

啓次郎は手を振りながらピョンピョンとその場で数度跳ねると、そのまま校門を飛び出して家まで走った。

 

 格好良いこうちゃんとお揃いがあるなんて、なんて素敵なんだろう。

 元々、お気に入りだった傘が、もっともっとお気に入りになってしまった。

 

「ふふふー!今日は良い日だなー!」

 

 啓次郎は完全に濡れネズミになりながら、けれど、啓次郎の心は既に晴れ渡り、虹までかかっていた。

 まるで、あの傘のような天気に、啓次郎だけはなっていたのだ。

 

「今度、雨の日一緒に出掛けようって誘おう!」

 

 もちろん晴れの日も良いが、雨の日も、また良い。

 お揃いの傘で出かけたら、それはきっと晴れの日と同じくらい楽しいはずだ。

 

 啓次郎はそのまま自慢の足で、一気に家路につくと「アンタ傘は!?」と目を丸くする母親に、啓次郎もまた目を丸くしたのであった。

 

 

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