第7話:クララが立った

 

 

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第7話:クララが立った

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おおおおお。

 

ハイジの喜びを、俺は少しだけわかった気がした。

 

 

『クララが、クララが立った!』

 

あの時、足の不自由だったクララが自らの足で立ちあがった瞬間、きっとハイジは今の俺と同じような、妙な達成感と喜びに満ち満ちていたに違いない。

 

野伏間君が……!

野伏間君が飲んだ!

コーヒー牛乳を飲んだ!

 

俺は目の前で、カタカタとパソコンを打つ傍ら、カチャリと音を立ててカップを口へと持っていく野伏間君に、ある種小さな感動を覚えていた。

 

あぁ、やっぱりそうか。

そうだったのか。

 

野伏間君は、俺の買ってきたコーヒー牛乳を飲んでくれた。

ティーカップに注がれた、コーヒー牛乳を。

 

野伏間君は多分お金持ちだ。

理由はなんとなく。

 

とりあえず、彼はどう見ても一般庶民ではないであろう雰囲気が漂っていたから、俺はなんとなくそう思ったんだ。

 

だから、こうして俺のように紙パックのまま何か飲むと言う経験を、今までにする事がなかったに違いない。

だから、俺は紙パックに入ったコーヒー牛乳を、ティーカップに注ぎ、野伏間君の手元に置いた。

 

すると、ほら御覧なさい。

野伏間君もぐんぐん飲んでくれていますよ。

 

「野伏間君。コーヒー牛乳、おいしいね」

 

「……あんまい。ちょー安っぽい甘さ。よくこんなん買ってきたねぇ」

 

そんな憎まれ口を叩きながらも、カップに進む手が止まっていないのを見ると、どうやらお気に召したらしい。

おおおー、嬉しいぜ。

 

コーヒー牛乳仲間がこんなお金持ちに増えるとは思いもよらなかった。

 

 

「野伏間くーん」

 

「あー、もう……。何?」

 

コーヒー牛乳効果か、何なのか。

野伏間君は今度はきちんと俺の方を見て返事をしてくれた。

 

そんな野伏間君をいいことに、俺は野伏間君の席の後ろへ回り込むと、何やら表とグラフのようなモノが書かれたパソコンの画面を指差した。

 

「そうゆうのってどうやって作るの?」

 

「エクセル」

 

「エクセルかー。昔、情報でちょっとなら習ったよ。そのマスさ、セルって言うんだろ?知ってる、知ってる」

 

「………そー、そ。ほんと、今日のカイチョー変だよー。なんか、おバカさんになっちったみたいだねぇ」

 

 

なんだか先程よりは柔らかい声色で野伏間君にそう言われて、俺は少しだけ調子に乗って口を開き続けた。

 

だってさ、何て言うかさ。

俺はもっと、野伏間君と話さないといけないような気がしたんだよね。

やっぱ俺、生徒会長だからかね。

 

「そう言うパソコンのエクセルとかってさ。やっぱ先生とかに頼んだら教えてくれるかな」

 

「カイチョーまさか習う気ぃ?」

 

「うん。俺も野伏間君みたく、タタタタッターン!ってパソコン打ちたい」

 

最後のターン!はもちろんエンターキー押した時の音。

決定!みたいな感じで勢いよく打ちこみたいね。

 

そう、俺が空中でパソコンを叩くイメージトレーニングをしていると、その姿を野伏間君はパソコンから手を離して、背もたれに体を預けながら見てきた。

何て言うか、その顔は本当に疲れてるんだなぁって表情だったから、俺はまたしても申し訳ない気持ちになってしまった。

 

 

「変なの。昨日まであんなに仕事なんか絶対しねぇ!とか言ってたのにさー」

 

「……仕事するよ。俺、生徒会長でいたいもん」

 

「にしては、見事に役立たずだけどね」

 

「そうなんだよ。このままじゃ、俺の存在意義がなくなっちゃうわけよ。どーにかしないと、俺、秋田壮介にリコールされる。アイツ怖いね。ミドリちゃん再来な」

 

「はっ!?秋田壮介?!」

 

俺が何の気なしにそう言うと、ゆったりと椅子に体を預けていた野伏間君がガバリと体を起して俺を凝視してきた。

なになに、なんすか。

 

もしかして、秋田壮介の名前って口に出したらいけない感じなんですか。

名前を言ってはいけないあの人ってノリなんですか。

 

「カイチョー!やっぱ、さっき秋田に会ってたの!?」

 

「……う、うん。さっき風紀委員の会室で。めっちゃ、怒られた……怖かったー」

 

「ちょっ、怖かったって……何か風紀を敵に回すような事……言ってないよね!?昨日に引き続き今日まで何か問題、起こしてないよね!?」

 

言いながら俺の肩を掴んでガクガク揺さぶる野伏間君に、俺はくわえていたストローを、とっさに口から離した。

危うく喉に刺さるところだったわ。

 

「う、うん……。何も喧嘩とかしてない。余計な事も言ってない。でも、スゲェ一方的に怒られた。怖かった!」

 

「……そう、良かった……。今でさえ仕事のしわ寄せが風紀に一番寄ってるからさ……向こうの気に障るような事言ったら、アイツら本気で俺らの事リコールしにかかってきちゃうからね……ほんとに、何も言ってないね?カイチョー」

 

野伏間君はたたみかけるように俺にそう言うと、ついでに疑り深い視線を俺に一斉射出してきた。

うん、俺、何も言ってないよ。

 

お前に生徒会長の座は渡さないぞ、としか言ってない。

うん、よく考えたら、これって宣戦布告みたいに聞こえなくもないが、俺は別にそんなつもりで言ったんじゃないから宣戦布告じゃないよね!?

 

「ナニモイッテナイヨ」

 

「………本当に?」

 

「……ウン」

 

「……………」

 

ジーッ。

野伏間君の鋭い視線に、俺はダラダラと汗を流しながらコクコク頷いた。

 

いやっ。

今日は俺も十分怒られたから、もう怒られるのいや。

俺だって今日は死んだばかりで疲れてるのっ。

 

至近距離で俺を見つめてくる野伏間君に、俺は頭がクラクラするのを抑えられずにいると、野伏間君は諦めたように大きくため息をついた。

 

 

「まぁ、カイチョーが秋田んとこ行って何も言わないわけないか。元はと言えば俺が行かせちゃったんだし……」

 

「ナニモイッテナイヨ」

 

「……今さら何言ったって、アイツらが生徒会へリコールの準備をしてるのは変わらないもんねぇ」

 

そう、野伏間君は目の下にあるクマを自らの細い指でなぞると、少しだけ諦めたような表情を浮かべ、先程から全く変わっていないパソコンの画面に目を向けた。

そこには「体育部の予算案」と書かれた文字と大量の数字が打ち込まれている。

なんか頭良さそうだ。

 

「今度の城嶋祭がヤマ……かな……」

 

「……へ?」

 

 

ポソリと呟かれてたその言葉に、俺はパソコンの画面から野伏間君へと視線を戻す。

すると、野伏間君も俺を見ていたようで、瞬間的に俺は彼と目がガッチリ合ってしまうのを避けられなかった。

 

うおー、美形の至近距離ってなんか心臓にワリーな、おい。

 

「今度の、文化祭。そこで俺らの仕事はこれまで以上に増える……。そこで、関係各所に致命的な仕事のミスや遅れが生じたら、俺らは奴らにリコールのいいきっかけを与えてしまう事になる。生徒会を存続させる為には、まず城嶋祭を……無事、終わらせないと……」

 

「そっか……そーか」

 

「だから、カイチョー……もし、本気で生徒会を終わらせたくないなら……カイチョーも……頑張んないと、ね」

 

野伏間君はそう言って一気に背伸びをすると、少しだけスッキリしたような表情でまたパソコンに手を伸ばした。

あぁ、なんか、この生徒会のすべき目標ってやつが見えてきた気がする。

 

とりあえず、城嶋祭……なんつーの?文化祭、なのか。

それを、無事に成功させないといけない。

それがリコール回避の絶対条件。

 

でもさ、それよりもまず……

 

 

「ねー、野伏間君」

 

「なーにぃ」

 

「お腹すかない?」

 

「食べてる暇なんかないよーだ」

 

野伏間君は最初みたいにそっけなく俺に言う。

けど、これは最初みたいにイライラを含んでるわけじゃないから……

 

なんかいい。

 

そっけないけど、怒ってないから。

そっけないけど、なんか冷たくないから。

 

なんか、いい。

 

「だいじょーぶ。カップ麺は作業しながらでも食べられるように作ってあるからさ!お腹すいたら何にも集中できないよ」

 

ちなみに、俺はよくゲームしながら食ってました。

更にちなみに、そのゲームはエロイやつではありません。

 

勇者が悪い奴をめった刺しにする健全なRPGです。

 

「……カップ麺……」

 

「だいじょぶ。すぐできるから。おいしーよー」

 

「………ふーん。そー」

 

チラリと俺の方を見て小さく頷いた野伏間君に、俺は勢いよく立ちあがると袋のまま足元に置いていたカップ麺を取り出した。

多分、野伏間君、カップ麺も食べた事なさそうな気がするから、パッケージだけでも見せておこう。

 

「俺がこっちのミソ味で、野伏間君はこっちの醤油。おいしーぞ」

 

「………はぁ。じゃあ、早く作ってよ!カイチョー!俺、昨日からほとんど何も食べてないんだからさぁ」

 

「うお!?昨日からか……!それは成長期あるまじき体への虐待だな!待ってろ!すぐできるから!」

 

まさかの断食発言に俺は取り出していたカップ麺を素早く袋へしまうと、慌てて給湯室へと足を向けた。

早く湯をわかさねぇとな。

 

野伏間君もそうだが、俺だって最強にお腹すいてるから。

ま、俺は死ぬ直前までガッツリお菓子とか食ってたけど。

 

俺は耐え性もなくキュウキュウ自己主張を続ける俺の腹を手のひらでさすると、給湯室への扉へ手をかけた。

 

 

しかし。

 

その手は、突然生徒会室の扉を開いた来訪者によって全てのタイミングを逸してしまう事となる。

 

 

がたん!

 

「秀!いるかー!!?」

 

 

そう、けたたましい大声を張り上げて現れた来訪者。

思わず振り返る俺。

 

突然現れた来訪者は、自身のかける分厚く太いビン底メガネの奥から俺を見つめると、瞬間的にキラキラと顔を輝かせ始めた。

 

そんな相手に俺は思った。

 

 

なに、あのモジャモジャ。

 

 

 

 

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