「……メガネ、弁償します。ごめんなさい……」
「いやいや、いいよ。このくらい。代えのメガネもあるし」
「……でも」
そう、俺が引き下がらず口を開こうとすると、先生は俺が気にしないようにと言う配慮からか、スルリとした動作でかけていたメガネを取って胸ポケットにしまった。
その動作が、余りにも自然で流れるような動作だったため、俺はそえ以上メガネについて言及する事ができなかった。
うおおお、もう本当に申し訳ないぜ。
「いいから、いいから。それより、西山君は誰か先生に用だったのかな?」
「えっと……、あの、俺」
「ん?」
先生は俺と同じくらいの大きさで、目線も同じなのに、何故か俺は保育園の先生を前にする園児気分になっていた。
スゲェ、これが大人の余裕ってやつか。
「俺、えっと、ブラインドタッチがしたくて……だから、今、情報の先生を捜してるんです」
「情報の先生ですか……?」
「はい、情報の先生なら、俺にブラインドタッチの秘訣とか教えてくれるんじゃないかなって」
早く俺もブラインドタッチを駆使して、野伏間君みたくパソコンをバンバン叩きたいのだ。
そして、早く超デキる男、俺!みたいな感じになりたい。
頼れる男、俺!みたいな。
俺がブラインドタッチを駆使し、仕事をしている自分を想像して悦に浸っていると、先生は少しだけ不思議そうな顔をして俺を見ていた。
「えっと、情報の先生って言う固定の先生は居ないですが、一応私は数学と情報の両方の担当をしていますよ?それでもいいですか?」
「え!先生、情報の先生だったんですか!?」
おいおい、まさかの運命的な出会いを情報の先生と果たしてしまっていたぜ、俺。
そして出会い頭に、俺はその情報の先生のメガネを叩き割ってしまったぜ、俺。
何やってんだ、俺。
「先生!ごめんなさい!メガネ、本当にごめんなさい!弁償しますから俺にブラインドタッチを伝授してください!」
「いやいや、だからもうメガネは気にしなくてもいいからね。ほら、西山君。えっと、何だっけブラインドタッチ?が出来るようになりたいんだろう?」
「はい。俺、今パソコン打つのがスッゲー遅くて」
一本指打法なんです。
そう、俺が人差し指を立てて先生に言うと、先生はポカンとした表情で俺を見ていた。
うん、これ、完璧に「うわー、コイツないわー」って顔ですね、これは。
完璧、あきれ果てられてますね、はい。
先生のポカン顔に、俺はかなり居たたまれない気分になると、その気分を少しでも紛らわす為に、持っていたビニール袋を無意味にシャラシャラ動かした。
しかし、そんな俺を余所に、先生はやはり最初のような優しい聖母のような笑顔で俺を見つめると、小さく頷いていた。
え、何を一人で納得されたんですか、先生。
俺が馬鹿だと言う事を改めて納得なされたんですか!先生!
「西山君の話は……いろいろな人から聞いてましたし、集会でも何度か見た事がありましたが、実際に話してみると全然イメージと違いますね。キミは凄く素直でいい子みたいだ」
「っ!」
俺、先生の事スゲェ好き!
マジ、大好き!
そして先生マジ聖母!
男だけど!
「俺!先生について行く!」
「はい、丁度ここが私の部屋ですから、入ってください」
そう言って先生が手をかけたのは、先程俺がちょうど背中を打ちつけた扉だった。
あー、はいはい。
俺が此処でウロウロ邪魔をしていたから、先生は部屋には入れなかった感じですか。
マジすみません。
俺はそうもう一度、俺に背を向けて扉を開ける先生の後に続くと、チラリと扉の前に貼り付けられていたネームプレートに目をやった。
佐藤 忍
よし、佐藤先生か。
この先生は聖母だからきちんと覚えよう。
その他の先生は全員“先生”でいいか。
先生って便利だよね。
全員先生って呼べるからさ!
俺はボヤボヤと考えながら、佐藤先生の部屋へと足を踏み入れた。