———
幕間2:更にコンビニにて
———
「なぁ、哲氏。バカってのはなぁ、別に相手をけなす意味で使うばっかじゃねぇって知ってるか」
「はぁ?突然なんですか、了さん」
哲氏は一人黙々と商品の棚入れを行っていると、その傍で堂々と雑誌を立ち読みする相手を見上げて眉を潜めた。
今度は先程とは別の雑誌を読み始めている。
「そんな事より了さん。他の店舗への商品の仕出しは終わったんですか?こんなところで油売ってて会社からコッチに苦情の電話とかかかってきたら、俺困りますよ」
ただでさえ今月分の支払いで上からイロイロ言われてるんですから。
そう溜息をつきながら、18歳の哲氏のこぼす中堅サラリーマンのような愚痴に、了は雑誌に目を向けたまま小さく笑った。
「いいから、聞けって。お前もどうせ、この時間は暇だろ。俺が一人寂しい苦労性のお前の話し相手になってやるっつってんだから、素直に返事でもしてろ」
「………もう、勝手にしてください」
そうやって疲れたように返事をよこす哲氏に、了はチラリと横目で哲氏が本気で嫌がってはいない事を確認すると、雑誌に目を通しながら意気揚々と口を開いた。
了の手に持たれている雑誌は、いよいよ物語も佳境に入った柔道漫画のページがめくられている。
「俺はよ、別にお前の言う、ここの生徒会長をバカにしたわけじゃねぇんだ」
「さっき、ハッキリバカだって言ったじゃないですか」
「だーかーら。そのバカっつー言葉も使い方よりけりじゃ褒め言葉になんだろうが」
了はそう、言葉に笑いを含みながら読んでいる柔道漫画のページを更にまた読み進める。
「バカが褒め言葉になる時……?それってどういう時ですか?」
そんな了の背中を、哲氏はふと棚入れをする手を止め見上げて見た。
そこには、いつもの見慣れたガッシリとした背中の了が立っている。
仕事に不真面目なところはあるが、この了と言う男の体つき、特に背中の力強さは哲氏にとっては少しばかり羨ましいモノがあった。
「俺は高校の頃、基本的にはいつも成績はトップクラスだった。全国模試だって100位までには必ず入ってた。そんな俺も、中学まではバカって言われてた」
「えっ!?了さん、頭よかったんですか!?ちょっ、意外なんですけど!」
「そこを素で驚くわけか、お前は、本当に失礼なヤツだな」
「それ、了さんだけには言われたくないです」
哲氏はそう冷静に切り返しながら、思いがけず知る事になった了と言う男の高校時代に、少しばかり興味を覚えた。
このガッシリした大人の背中にも、確かに自分が途中で諦めざるを得なかった高校時代を過ごした時期があったのだ。
そう思うと、なんだか少し不思議な気がした。
「で、そんな頭の良かった了さんは、どうして中学時代はバカなんて言われてたんですか?中学時代は頭が悪かったんですか?」
「んな訳あるか、俺は中学の頃から頭脳明晰なお子様だったよ。けど俺はバカだった」
了はまた漫画のページをスルリと1枚めくる。
そこには主人公とライバルの因縁の対決が臨場感あふれるカットで描かれていた。
「柔道バカ。俺はずっと中学までそう呼ばれてきた」
「柔道、バカ……。そう言えば了さん、柔道やってたって言ってましたもんね」
「そーそ。中学で足故障しちまって辞めたけどな。ま、ここで言いたいのはそう言う事なじゃなくて……」
哲氏は了の広い背中を眺めながら、了の言葉の続きを待つ。
この不真面目な大人の背中にも、自分より倍の長さの人生を生きてきたであろうその間、自分には考えられないような困難が降りかかってきた事もあったのだろうか。
そんな事を考えながら。
「バカっつーのは使われ方によっては褒め言葉になるって事だ。1個の事をとことん集中してやれるヤツの事を、人はバカと呼ぶ。バカの集中力は普通のヤツの予想を遥かに超えるからな」
「……そう、かもしれませんね」
「だからな、バカの隣は楽しいぞー?集中した時、何しでかすかわかんねぇからな」
ついに主人公がライバルに一本つけた瞬間、了は漫画から顔を上げた。
ここで、どうやら次週に続くと言う事らしい。
「だから、俺はバカって言葉は、褒め言葉でしか使わねぇ。だからさ」
「了さん?」
背後から聞こえる哲氏の訝しむような声に、了はそのまま雑誌を棚に放り投げると、クルリと哲氏の方を見てニヤリと笑った。
「ここの生徒会長も、きっとスゲェバカだよ。コーヒー牛乳好きの生徒会長なんて、バカって相場が決まってんだからな」
そう言って笑う了の顔が、何かを懐かしむような、本当に楽しそうな表情をするものだから、哲氏もいつの間にか笑っていた。
彼の思い出している過去が、一体どんなものかはわからないが、哲氏はいつか聞けたらいいなと、心の片隅で小さく思ったのであった。