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第26話:思い出された恐怖
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現在、12時30分。
「白いの、浮いてなかったねー」
「何、その残念そうな声。浮いてなかったけどミルクティーなのに何故か麦茶みたいな色になってたじゃん」
「あれは白いのが浮く直前だったね。命拾いしたよ、野伏間君は」
「……仕事落ち着いたら絶対、掃除しよう」
「野伏間君の部屋めちゃくちゃ汚なかったもんねー」
「カイチョーにだけは言われたくない」
結論から言うと、野伏間君の飲みかけの紅茶からは白くて藻みたいなものは発見されなかった。
ただ、最早あの飲みかけの紅茶にミルクティーの影は微塵もなかったが。
白いのは浮いて居なかったものの、そのミルクティーの変わり果てた姿に絶叫した野伏間君は俺が今まで見た事のないような顔でカップの中身を、しばらく見つめていた。
だから、そんな戦闘不能の野伏間君に代わって、そのカップは俺が洗ってあげたのだ。
でも、そのカップを洗うキッチンも見るも無残な姿だった。
詳しくは言わないが、とりあえずゴミしかなかった。
あれぞまさしく、汚台所だ。
「やーい。汚台所ー」
「ソッチだって同じだったじゃん。カイチョーはゴキブリ見た事あるんでしょう?それよりマシ」
「ゴキブリ見た事ない人なんて早々居ないよ……」
そうだ。
その時発覚した衝撃の事実なのだが、野伏間君は生まれてから今までゴキブリを見た事がなかったのだ。
衝撃過ぎるだろ。
俺が汚台所を見て「ゴキブリ出そう」って呟いたら「あぁ。黒っぽい虫のこと?テレビで聞いた事はある」とか返してきましたからね。
このボンボンめ。
まぁ、あの部屋じゃ遅かれ早かれゴキブリ殿にお目にかかるのも、そう遠い未来ではないだろう。
その時は、また俺に泣いてすがればいいさ。
まぁ、俺はトロイのでゴキブリを仕留める確率は3割を切るのだがな。
「カイチョーの部屋だって、ゴミばっかだったじゃん。服は脱ぎ散らかしたままだし、ベットの周りには漫画ばっか。だからゴキブリなんて都市伝説みたいな虫が出るんだよ」
「ゴキブリは都市伝説ではありませんよ。全ての人の寝床はイコールゴキブリの寝床なのですよ。野伏間君。それに、俺の部屋は男子高校生の部屋のモデルルームみたいなものですよ」
俺は初めて訪れた自分の部屋を思い出し、自然とわき上がって来る笑みを堪えることができなかった。
ひとまず、自分の部屋がどこなのかわかっただけで大収穫なのに、俺の部屋にはまさかの「スラムダンク」の完全版が全巻取りそろえられていた。
他にも俺の好きな漫画は全部コンプリートされていたのだ。
これが笑わずにいられますか。
しかも、キッチンの戸棚の奥からは大量のカップ麺が隠されていた。
部屋に散らかっていた通販の雑誌からすると、漫画もカップ麺も全部お取り寄せしたものらしい。
学校にコンビニあるんだから、そこで買えばいいのに。
なんて思ったが、コンビニで取りそろえられているラインナップ以外にも様々な種類のカップ麺があったから、もしかしたらこの体の主は、相当なカップ麺通だったのかもしれない。
しかも全部、俺の好きなミソ味ばっかり。
理由がどうであるにせよ、グッジョブ過ぎる。
「でも意外だねぇ。カイチョーって、昔からあぁゆうの食べる人だったなんて知らなかった」
「あぁゆうの……カップ麺の事?」
「そーそ。それに、漫画もあんなにたくさんあってさ。漫画読んでるみたいな影、微塵も出さないし」
そう、どこか不満そうな顔で言ってくる野伏間君に俺はなんだか居たたまれない気分になってしまった。
別に秘密にしてたんじゃないよ!って言い逃れたいみたいな。
そんな気分だ。
「お、俺は昔っから普通に読んでたし、食べてたよー。………あー、えっと。それより野伏間君!貸した漫画、ちゃんと読んでね!」
「ん?あのバスケットのやつ?仕事ひと段落ついたらね」
「スラムダンク!男の子のバイブル的要素が全部詰まっている!努力・友情・勝利!返すのいつでもいいから、絶対読んで!」
そう。
俺は自分の汚れまくった部屋を出る時、野伏間君にスラムダンクを貸してあげた。どうせ部屋はお隣だし、いつでも貸し借りできるし。
あれは絶対、男なら読むべき漫画だ。
男の子の聖書だ。
決してエロイ意味ではない。
「絶対!ぜったい読んでよ!」
そんな感じで必死に読め読めと食い下がる俺に、野伏間君は「わかった、わかった」と俺の額をペチリと叩くと、昼休みで少しだけ人の入りの多いコンビニの前で足を止めた。
「コーヒー牛乳。買うんでしょ?」
「おーっ!いつの間にコンビニ!買う買うー!」
俺は勢いよくコンビニに飛び込むと、いつもの如く真っ先にコーヒー牛乳の置いてある冷蔵コーナーへ走った。
そんな俺に、店員君が笑って「いらっしゃいませ」って言ってくれた。
うん、今日も店員君は良い笑顔。
「へぇ。中、こんなになってんだ。ちゃんと入ったの初めてかも」
「野伏間君もったいなーい!こんなに品ぞろえのいいコンビニ、他に類をみないよ!絶対利用するべき!店員君もいい人だよー」
「店員君?」
「そ。若干18歳にして、このコンビニの店長を務める……店員君!」
俺は野伏間君を引っ張ってレジ前まで行くと、店員君を野伏間君に紹介してあげた。
店員君は突然現れた美形に、少し驚きながらも礼儀正しく頭を下げている。
やっぱ、いい人だ。
「あ、いつもご利用して頂いてありがとうございます。平山です」
「店員君。こっちは我が生徒会の誇るブラインドタッチの帝王、野伏間君です!あ、でもブラインドタッチの帝王って言っても手がエロイわけじゃないよ!」
「………うちのカイチョーがお世話になってますー。野伏間でーす」
俺はまたしても野伏間君に頭をはたかれながら紹介を終えると、野伏間君の美顔に見惚れる店員君に向かって大きく手を上げた。
そう、俺は店員君に言わねばならない事があるのだ。
「はい!文化祭当日!俺は学校内にあるコンビニの完全閉鎖を行います!教頭先生にも許可を取りました!」
「っへ!?閉鎖、ですか?」
「そうです!物流ストップです!」
予想外の俺の言葉に、店員君は目をシロクロさせると慌てながら「え、え?」と動揺し始めた。
そんな店員君に、野伏間君は「ごめんね、言葉足らずでー」とにこやかに店員君に微笑みかけると、またしても俺の頭をパコンと叩いて来た。
野伏間君め……俺にはあんな顔で笑ってくれないのに……。
ちょっと嫉妬しちゃったぜ、俺は。
「つまりですね。文化祭当日、コンビニさんが営業に1日だけ休んで貰う事で、俺達生徒の出す模擬店への売上へお客さんを一極集中させようって言う姑息な手口なんですよー」
「姑息って……!」
確かに姑息だけど、俺達学生の模擬店がプロの小売に敵うわけないから、これは常套手段なんだ!……確かに姑息だけど!
「うちの教師の方からそちらに話しが行くと思うので、平山君は何もご心配なく。あと、昨日は予算の件でうちの会長がお世話になったみたいで、本当にありがとうございます。すみませんねぇ、俺、寝てたみたいで」
「い、いえ!お手伝いできたみたいで良かったです。……文化祭当日ですね。わかりました……文化祭かぁ。懐かしいなぁ」
野伏間君の言葉に、どこか嬉しそうな、懐かしそうな表情を浮かべて頷く店員君に、またしても俺は手を上げて話しに割り込んだ。
「はい!と言う事で、店員君は文化祭の日、休みが確定しました!だから……」
「……はい?」
俺は手を上げたまま思いきり笑うと、目をシロクロさせる店員君の両手を掴み、グッとレジ越しに俺の方へ引っ張った。
そのせいで、店員君は若干苦しげな体制でレジの上へ上半身を固定する羽目になっていた。
「俺達のクラスで一緒に模擬店やろう!」
「えええっ!?」
「まだ模擬店になるかどうかもわかんないんだけど、俺は絶対模擬店やりたいって思っててね!今日のHRで決めるらしいから、その時絶対模擬店にしようって提案するつもりなんだ!」
「カイチョー、HR出る気?!」
「野伏間君、出ない気だったの!?」
俺は横で驚いたような目で俺を見てくる野伏間君に、逆に更に驚いた眼で見てやった。
クラスの出しモノの話し合いだぞ。
普通の授業とは訳が違う。
これに出ないで、どうやって俺の理想の模擬店案を提案すると言うのだ。
出なきゃ提案もプレゼンもできないだろうが。
「あのさー、カイチョー?俺達意外と今ピンチなんだよ?俺の方の仕事はこまごましてるけど簡単なのばっかだから、何とかなるけど、カイチョーのは明日までに出さないといけないヤツじゃん。そんな暇ないよ?」
もう。
そんな感じで疲れたようにため息をつく野伏間君に、俺は勢い込んで叫んだ。
いや、絶対HRには出るんだ。
絶対、出るんだ!
「俺の仕事!さっき終わったから!」
「っはぁ!?何言ってんの!?」
「昨日、寝ないで全部やった!今朝ちゃんと見なおしたけど、計算間違いも漢字間違いもなかった!だからHR一緒に出ようよ!お願い!」
「ちょっ!まっ……終わったって……ほんと?」
「終わったよ。あれ、決めるのに時間がかかるだけで、まとめるのはそんなに……いや、大変だったけど。腱鞘炎になるかと思ったけど……」
俺がかなり痛む手首をブンブン振りながら言うと、野伏間君は、どこか呆けたような表情で俺を見ていた。
にしても、あんなに手を動かしたのはいつぶりだろう。
よく頑張った、俺の手首。
「ほんとに……終わっちゃったんだ……凄い」
「ねー、ねー。出ていいでしょう?一緒に行こうよー」
「いや、終わってるなら……いいんだけど……ほんと?」
「しつこい!本当だよ!じゃあ証拠に部屋に帰ったら見せてあげるから!それで野伏間君が納得したらHR受けよう!」
「……う、うん」
ぼんやりした表情のまま頷いた野伏間君に俺は弾かれたようにガッツポーズをすると、こちらもぼんやりと何事か理解出来て居ない店員君の方に体を向けもう一度勧誘をかけた。
「模擬店するから、店員君は監修で俺達の接客とか見て!教えて!一緒に模擬店やろう!」
「えっ、で、でも……俺……」
「店員君はやりたくない!?文化祭!」
「しっ、したいです!」
俺の言葉に勢いよく頷いた店員君に、俺はパァァと気持ちが晴れて行くのを感じた。
だって、店員君、ずっと文化祭の話をする時羨ましそうな顔してたから。
懐かしそうな顔で、たまに「いいですね。たのしそうですね」なんて言うから。
文化祭の日、店員君もいろいろ楽しんでねって言った時も微妙な顔してたから。
店員君は“文化祭”をしたいんだと思ってたんだ。
コンビニ閉鎖もそこから思いついた。
店長である店員君が文化祭に参加する為にはどうしたらいいか考えたら、答えはコンビニ閉鎖しかなかったんだ。
「やってみたい、俺、高校の文化祭した事ないので。やってみたいです!」
「おっしゃ!じゃあ決まり!今日のHRで何するか決めてくるからさ。決まったら真っ先に教えるね!」
「はい!」
そう、満面の笑みで頷く店員君に、俺の隣からは苦笑の声が漏れる。
そんな小さく漏れた苦笑に俺が振り返ると、そこにはクツクツと小さな声で笑いをこらえる野伏間君の姿があった。
あらら、また野伏間君の笑いのスイッチが入ったのか。
「まったく……カイチョーは本当に思いつきばっかなんだから」
「思いつきが全てを面白くするんだ!やるなら面白くなきゃな!」
「……やっぱ、カイチョーは昔から変わらないや」
「変わらないっつーの。俺は、ずっとこうだっただろ?なぁ、野伏間ぁ?」
「そうだね。カイチョーはずっとこうだった」
どこか清々しい表情で笑う野伏間君に、俺は拳を突き出すとニヤリと笑ってやった。
その表情の何がおかしかったのかはわからないが、レジ越しに店員君がどこか驚いたような顔で俺を見ていた。
やるんだったら面白くねぇと。
面白い方が……楽しいだろ?
そんな気持ちで店員君を横目に見てやると、何故か店員君は顔を真っ赤に染め上げてしまった。
………へんなの。
「よし、じゃあカイチョー?帰ったら、終わった書類、見せてよ?それにミスが無かったら、HR一緒に行こうか?」
「おう!書類は全部………あ゛!!」
俺はそこまで言いかけて大変な事を思い出した。
そして、急激に背中から大量の汗が流れるのを感じる。
ヤバい、ヤバい。
やらかした。
俺は犯してはならない大きなミスを犯してしまったのだ。
「何?どうしたの?カイチョー……?まさか、やっぱり出来てないんじゃ……?」
「野伏間君!」
青くなる俺につられて、若干深刻な表情になる野伏間君に向かって俺は叫んだ。
「魔王様放置プレイ!!」
「………は?」
秋田壮介わすれてた。