※夢の中へ、夢の中へ

 

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※夢の中へ。夢の中へ

(野伏間 太一の夢の中での独白)

 

 

 

 

 

 

薄れる意識の中。

俺は自分の体が誰かによって優しく抱きしめられるのを感じた。

 

それは暖かかった。

優しかった。

力強かった。

 

だから俺は自然とその体に自分の全てを投げ出した。

 

あぁ、なんて安心する温もりだろう。

 

俺は鼻孔を霞める微かな懐かしい匂いに、また頬を涙が流れるのを感じた。

 

 

頼れる体。

 

だけど、それと同時にそれは。

 

 

 

凄く、頼りなくもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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懐かしい場所で、俺は一人だった

俺は重い体を抱えて立っていた。

 

 

 

 

朝から、体がダルいなぁと思っていたのは確かだった。

 

散らかった部屋、凍るように冷たい空気。

布団にくるまる事が、唯一の防寒で。

 

あれだけ完全だった暖房器具も、今じゃ予算削減の為にヒーター一つだけ。

 

本当は1階の給油室まで行けば、ヒーターの灯油は給油できるんだけど。

此処に来て、俺は本当に一人じゃ何も出来ないなぁと思い知らされた。

 

給油ってどうすればいいんだっけ。

 

わからないまま、ヒーターの灯油は空っぽになって部屋は11月の冷気に包まれるようになった。

 

寒いし、どうすればいいかわからないし。

でも、カイチョーのお陰か毎日生徒会室に泊り込みをしなくても良い位には仕事も落ち着いた。

だから、最近は毎晩毎晩一人、寒い部屋に帰る事になってた。

隣の部屋の住人であるカイチョーに手を振り部屋に入る。

 

そこからは、何もない俺だけの空間。

 

徹夜なんて、辛いし、きついし、次の日ダルイし。

本当に大嫌いだったけど、こうやって一人部屋に帰るようになってからは、カイチョーと一緒に慌ただしく生徒会室で寝泊まりしていた事が凄く懐かしく思えた。

 

徹夜は嫌い。

辛いし。

きついし。

次の日ダルイし。

 

でも、本当に嫌いだったのは。

 

 

たった一人で生徒会室に居る、自分の姿だった。

 

 

だから、最近ではカイチョーとたまに会話をしながら仕事をするのが凄く楽しくて、安心できて。

もっと生徒会室に居たいと思えた。

部屋があったかいのもあるけど、それよりもカイチョーと仕事をするのが楽しくて。

カイチョーとなら、徹夜の仕事もなんか楽しくて。

 

そう。

 

二人で生徒会室に籠っていると、凄く昔の事を思い出すのだ。

 

 

そこまで考えた時、重かった俺の体にドスンと何かがぶつかってくるのを感じた。

俺が不意にその衝撃の走った方に振り返る。

 

すると、そこには。

 

 

『おい、のぶすま!今日もおむかえ遅いんだろ!いっしょにへや抜け出してたんけんしようぜ!』

 

『にしやまくん……』

 

 

4歳の小さな、小さな彼が居た。

彼は、今と変わらぬその強気な目で、俺を見据えてくる。

 

 

『たんけんとか行きたくない』

 

『何でだよ!どうせ、おまえのとこも俺のとこもいっつもおむかえおそいじゃん!テレビ見ててもつまんねーじゃん!あんなものはこどもの見るもんだ!』

 

『テレビもつまんないけど、たんけんもつまんない』

 

 

俺の口から自然と漏れる、気のない返事。

ついでに、プイとそっぽを向く俺は、なんとまぁ……

 

……面倒臭いガキだろう。

 

本当に、昔の俺は不貞腐れたガキだった。

 

つまんない。

つまんない。

 

その言葉が口癖のようになってしまっていた。

何をやってもつまらない。

満たされない。

 

上にたくさんの兄弟と、従兄妹達が居て。

跡継ぎも、どの役職も一族の中では飽和状態。

本家が大きな資産家だと言っても、俺の父もたくさん居る兄弟のうちの一人に過ぎない。

 

故、俺は分家の中の、更にそのまた下の存在。

 

優秀な人材にならねば見向きもされない家庭環境から、兄も姉も親からの英才教育がすさまじかった。

 

それが、野伏間という家系の常だ。

 

そんな大家族の一番末っ子として生まれた俺は、いつもほったらかしだった。

両親にとっては本当に思わぬ子供だったらしい。

作るつもりのなかった子供。

 

それが、俺。

 

 

そうなれば、仕事に追われる親の手は自然と俺になど向かず。

 

城嶋学園の幼等部に4歳のころから預けられる俺のお迎えはいつも遅かった。

無論、迎えに来るのも親じゃない。

昔から仕えていたお手伝いさんの、仕事がやっと終わった6時過ぎが俺の決まったお迎えの時間だったのだ。

 

他の幼児が4時には親のお迎えが来て帰ってしまう中、俺はいつも家からも社会からも取り残されたような気分で毎日を過ごしていた。

 

つまんない。

つまんない。

 

でも、本当につまらないのは、

 

誰からも相手にされない自分自身。

自分はつまらなない、何の価値もない人間なのだ。

 

だから、誰からも相手にされない。

だから、毎日、つまらない。

満たされない。

 

 

 

 

いつしか俺はそんな風に思うようになっていた。

 

 

 

 

そんな俺の隣に、何故かいつも居たのが。

 

 

 

『なぁ、行こうぜー!』

 

『やだ。また、こないだみたいにおこられるもん』

 

 

この、西山 秀という同じ年の男の子だった。

 

 

『だーっ!あのとけいのはりがまっすぐなるまでお迎え来ないじゃん!暇だろうが!』

 

『ひまでいいもん』

 

 

小さな彼は幼等部でいつも一緒に居残りをする西山家の子供。

 

西山 秀。

 

彼の家も何故かお迎えが遅かった。

 

何故か。

園長先生や保育士の大人が話しているのを聞くところによれば、彼の家は「放任主義」だかららしい。

 

西山家は破天荒な事で有名だ。

子供の俺でも知っていたくらい。

 

 

だから、なんとなくいつも居残りしていても俺は別に不思議とは思わなかった。

 

彼は毎日、毎日俺に絡んで来た。

暇だからだと思うが、彼はいつも偉そうに、しかし絶対に一人で何かしようとはしなかった。

 

いつも、いつも俺は巻き添えを食らうばかり。

 

 

『おれ、今あたまいたいもん。だからたんけんとか、いやだ』

 

 

ほんと、カイチョー。

俺、今ほんとに頭痛いんだって。

だから、かんべんして。

 

そんな気持ちで俺はカイチョーに言ったけど、小さな彼は一瞬だけ目を大きく見開くと、すぐに笑顔になった。

 

 

『あたま!あたまがいたいのはびょうきじゃねぇのか!?』

 

『だから、きょうはジッとしてる』

 

『あたまがなおるように、でんせつの薬を見つけにいこうぜ!』

 

『えぇ!?』

 

 

カイチョーは俺の手を掴むと、そのまま幼等部の敷地から駈け出した。

そう、この俺を掴む手はいつも強引だった。

いつも二人でいろんな所へ駆けて行った。

 

 

駆けだして、駆けだして。

 

 

 

 

次の瞬間

 

俺達は少しだけ大きくなった。

背中には、ランドセル。

 

俺の隣には真剣な顔のカイチョー。

少しだけ成長した彼は、無理やり俺の肩を組むと、俺の耳にコソコソと耳打ちをしてきた。

 

 

『おい、野伏間。花火をやるぜ』

 

『はぁ、いきなり何だよ』

 

 

また何か言い始めた。

まったく、いっつも変な事ばっかし考えて。

 

俺は面倒臭そうな顔でカイチョーの言葉に受け答えていたが、内心は少しだけワクワクしていた。

こうやってカイチョーが笑いながら俺に耳打ちして来る時は、たいてい何かやらかす前だったから。

 

カイチョーは何かする時は、絶対に最初に俺に話してくる。

そして「なぁ、やろうぜ!」と当たり前のように俺に誘いをかけてくる。

 

本当に、楽しそうに。

本当に、当たり前みたいに。

 

それが、いつの間にか俺にとっては当たり前で。

そして、同時に特別な事だった。

 

カイチョーはいつも話しの中心に居て、いつも問題ばかり起こす問題児で。

だけど、それゆえに輝いていた。

 

常に輝いている彼だからこそ、そんなカイチョーがいつも俺に最初にイタズラの計画を持ちかけてくる事が、俺にとっては誇らしかった。

 

つまらない、つまらないと思っていた日々が、いつの間にか……忙しくも輝き始めていた頃だった。

 

 

『ほーら!今度のキャンプ!あれさぁ、夜になるとキャンプファイヤーじゃねぇか?あれ、マジでつまんねーと思うだろ!』

 

『それで、打ち上げ花火?西山、お前頭だいじょぶー?』

 

『くっそ!野伏間!ぜってーやんぞ!俺らの班は夜、途中抜け出して打ち上げ花火だ!』

 

 

拳を握りしめたまま熱く語ってくるカイチョー。

そんな彼に俺は暑苦しいなんて言いながらも、どんな計画でいくつもりなのだろうと密かに心を躍らせていた。

 

だから、俺はこんな事を口にした。

 

 

『班って言ったら、他の奴らも居るよ。大丈夫なの?』

 

 

カイチョーの無茶に付き合えるのは俺だけじゃん。

他のヤツなんか居て大丈夫なの?

 

そんな気持ちを含め。

妙な優越感に浸りながら、俺はカイチョーに言った。

 

すると、カイチョーはニヤリと笑い俺に向かって拳を突き出してきた。

 

 

『アイツらにも協力させる!準備が大変だからな!そうだ、陣太!アイツは体もデカイし役に立つぜ?』

 

『へぇ……』

 

『それに、何が何でも、あのクソ秋田をぎゃふんと言わせねぇと俺の気持ちがおさまらねぇんだよ!』

 

『……秋田?』

 

『おう!秋田壮介!班長会議で、いっつも俺の邪魔ばっかしてきやがるクソ野郎だ!アイツにも俺の意見がどんだけ楽しくて素晴らしいか教えてやらねぇとな!』

 

『………ふーん』

 

 

俺の知らない名前ばっかり出てくる。

カイチョーのキラキラ輝く瞳に映る、俺の知らない奴ら。

 

カイチョーの口から語られる他のヤツの名前に、俺は途端に気分が萎んでいくのを感じていた。

 

俺は、一体何を期待しているんだろう。

カイチョーが他のヤツをイタズラの仲間に入れる事が嫌で嫌でたまらなかった。

他のヤツの名前を言いながらムキになる姿が嫌で嫌でたまらなかった。

 

カイチョーにとっては悪戯の仲間は俺だけだと思っていたのに。

子供ながらの妙な独占欲は、俺を苦しめた。

 

特別だと思っているのは俺だけで、カイチョーにとって一緒にイタズラしたり、張り合ったりするのは誰でもいいんじゃないか。

 

俺は今まで感じた事のないモヤモヤに混乱した。

なんだろう、この気持ち。

 

こんなの知らない。

凄く、気持ち悪い気持ちだ。

 

俺が一人モヤモヤの中に呑まれようとした時。

隣に居たカイチョーが、またしても俺に小さく耳打ちした。

 

 

『けど、アイツらに前から言っとくとビビって先生にチクるかもしんねぇから直前までは内緒な。俺とお前で秘密で準備だ。な、野伏間?』

 

『……ったく、仕方ないなぁ』

 

 

そう答えながら、次第に薄くなるモヤモヤ。

やっぱり、カイチョーの隣は俺なんだと安心して満たされる心。

 

 

 

 

それと同時に次の瞬間には、またしても場面がガラリと変わっていた。

 

俺は夜の森を走って走って。

隣を見れば心底楽しそうに笑うカイチョー。

その周りに居る同じ班の奴ら。

 

見つかったら殺されるぞー!なんて叫びながら。

空気にしみこむ火薬の……花火の匂いを嗅ぎながら。

俺達は大笑いしながら走る。

 

 

『おい!野伏間ぁ!ちゃんと来てるかー!』

 

『あったりまえじゃん!』

 

 

俺は笑いながらカイチョーの言葉に答えた。

必死にカイチョーの隣を走る。

 

離れぬよう。

置いて行かれぬよう。

 

そう。

あの瞬間から俺は少しだけ臆病になった。

あの瞬間感じた、モヤモヤと気持ち悪さが怖くて、怖くて。

 

カイチョーがキャンプの班の奴らともつるむようになって、秋田という奴と頻繁に喧嘩するようになって。

 

俺は本当に、本当に、カイチョーの隣に居るのか、よく不安に押しつぶされるようになった。

モヤモヤが心に巣食う。

気持ち悪くなる。

 

 

俺はいつの間にか一人で走っていた。

真っ暗の中を、ただひたすらに駆けていた。

 

もう、体は子供のものではなく、今の、高校生の俺になって。

 

駆けだす自分の記憶に巡るのは、カイチョーの隣に居る自分ではなく見知らぬ誰かと体を重ね合わせる自分の姿。

俺は一人じゃない。

こんなにたくさんの人から求められて、愛されている。

 

カイチョーだけにこだわらなくてもいい。

 

そう思って手を伸ばせば掴んでくれる人はたくさん居る。

 

“特別”なんて、いらない、作らない。

作ったらモヤモヤが俺を襲うから。

耐えられなくなるから。

 

誰も、特別にしないって決めたんだ。

 

でも。

いくらそう思っても、心のモヤモヤは消えない。

気持ち悪さは消えない。

 

 

 

 

俺は立ち止まった。

はぁ、はぁと切れる息を整えようと膝に手をつく。

 

 

 

でも、生徒会と言う括りの中なら少しはそのモヤモヤも消える。

カイチョーの無茶は、やっぱり生徒会の中の誰よりも早く俺に伝えられるから。

その瞬間だけは、俺の気持ちが、あの幼かった頃のようにすぐに満たされる。

 

たった二人しか居なかった幼等部の部屋の中。

イタズラの計画を俺に耳打ちするカイチョーの姿。

 

 

『なぁ、野伏間。やっと生徒会、ぶんどってやったなぁ?』

 

『そうだね、カイチョー』

 

『会長、か。いいなぁ。その呼び名』

 

 

そう言って不敵に笑うカイチョーはこの学校の王様。

いつも俺を満たし、不安に陥れる彼。

 

 

そんな王様が、ある日俺の前から完全に奪われた。

 

 

俺は整えても整えても苦しい呼吸に、自然と目に涙が溜まってくるのを感じた。

 

 

あの輝いていたカイチョーは居なくなり、突然やって来た男にその存在も、隣も奪われた。

俺はいつもカイチョーの隣に居たと、自分を誇っていた。

しかし、奪われて初めて気付いた。

 

俺はカイチョーの隣なんか一度も走れていなかった事に。

俺は、いつもカイチョーの背中を追っていただけだったのだ。

時には手を引かれ、時には少しペースを落として貰いながら。

 

 

俺はカイチョーの背中しか見て居なかったのだ。

 

 

そう気付いた瞬間、苦しい呼吸を抱えたまま、俺は一人で散らかった生徒会室に居た。

 

生徒会室。

俺とカイチョーの繋がりの場所。

 

ここだけはどうしても守らなければ。

 

 

俺は苦しさと寂しさから、頬を伝う涙をゆっくりと拭うと山のように溜まった仕事に手をつけようとした。

ここだけは守らないと。

 

そうしないと、カイチョーが帰ってくる場所がなくなってしまう。

 

一人の生徒会室。

一人だった幼いころの自分。

 

俺を引っ張ってくれた手は、もうそこにはない。

 

だから、俺は一人でもここを守らないといけない。

あの手を、取り返す為に。

 

 

だから。

だから……

 

 

 

「野伏間君!野伏間君!」

 

「っぁ?」

 

 

 

伸ばした手に、暖かい何かが触れた。

俺は瞬間的に、顔を上げた。

 

そこに居たのは……

 

 

 

「っあ、あれ……?」

 

「野伏間君!おつかれー!いつもありがとねー!」

 

 

 

そこに居たのは、見た事のない少年だった。

見慣れぬブレザーを着て、笑うその少年は、俺が一瞬頭の中に浮かべた人物とは似ても似つかない、普通の少年だ。

 

見た事のない彼。

だがしかし、俺は自然に口を開いていた。

 

 

「……カイチョー?」

 

「せーかい!さすが野伏間君だ!」

 

 

見知らぬ少年は、どこか懐かしい笑顔を浮かべながらそう言うと、伸ばされた俺の手をそっと握りしめた。

その温もりが、懐かしくて、優しくて、強引で。

また、俺の目からは涙が出てきた。

 

あぁ、今ならわかる。

 

 

「野伏間君。いつも、俺について来てくれて、ありがとう。手をとってくれてありがとう」

 

「カイチョー……カイチョー……ごめん、ごめんなさい……」

 

 

酷い事言ってごめん、カイチョー。

不安で、不安で仕方なかったんだ。

居なくなって、やっと帰ってきてくれたカイチョーが。

 

今度は秋田や他の誰かに取られるんじゃないかって。

 

不安だったんだ。

 

 

「酷い事ばっか、言って……ごめん……。頼りっぱなしで……ごめん」

 

 

やっとわかった。

俺は“生徒会”と言う居場所を無くすのが怖かったんじゃない。

 

 

俺は、“西山 秀”を失うのが怖かったんだ。

 

 

「野伏間君、泣かないで。野伏間君が居なきゃ、俺何も出来ないんだ」

 

「……っ」

 

 

俺の手を包んでいた彼の手は、いつの間にか俺の背中にまわされていた。

そっと抱きしめられる体に、俺は頭の中が痺れるような感覚に陥った。

少しずつ、意識が遠くなるような、そんな痺れだ。

 

しかし、それと同時に俺は自分の心がいっぱいに満たされるのを感じていた。

それは、遠い昔に感じていたソレと似ていた。

 

 

「ほんとうなんだ。ずっと野伏間君が一緒だったから、俺は走ってこれたんだ」

 

「……に、しやま……」

 

 

俺の顔は力なく彼の肩に埋められていく。

鼻孔を、懐かしい匂いがくすぐった。

 

 

「だから、早く元気になって。じゃないと俺、ほんとに……」

 

「……かい、ちょう」

 

 

 

さみしいよ。

 

 

 

そう、最後に呟いた彼の言葉。

そして、俺の目が完璧に閉じられる直前に微かに見えたのは。

 

 

確かに、西山 秀だった。

 

 

 

 

 

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