第39話:まっすぐな人

 

 

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第39話:まっすぐな人

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「……メガネ、弁償します。ごめんなさい……」

 

「いやいや、いいよ。このくらい。代えのメガネもあるし」

 

「……でも」

 

 

別に、一週間前のテイク2をしてるわけじゃない。

うん、マジで。

 

「……でも、メガネが……」

 

 

そう、俺がどこかデジャビュを感じながら頭を下げていると、頭の上から先生のクスクスと笑う小さな声が聞こえてきた。

その笑い声につられるように俺が顔を上げると、そこには割れたメガネではなく新品のメガネをかけた佐藤先生が、笑って俺を見ていた。

 

 

「ふふ、前も同じような話しを西山君とはしましたよね。懐かしい……本当に、もうメガネの事は気にしないで下さい。事故なんですから」

 

「……佐藤せんせい……」

 

 

優しく俺に向かって微笑みかけてくれる聖母の如き佐藤先生に、俺はなんだか泣きたくなった。

なんだろう、こう……頼れる大人の人ってなんだか安心するのだ。

 

そんな風に、俺が佐藤先生に全幅の信頼を寄せていると、今まで隣で黙っていた静が突然……

 

まさかの大爆笑を始めた。

 

 

「あは!ははは!佐藤せんせーメガネの錬金術師みたい!あはは!新しいメガネぱって出した!あはは!」

 

 

……コイツ。

俺は無遠慮に大爆笑する静に、俺渾身の裏拳を顔面にお見舞いした。

 

うん、一瞬マジで俺の中の殺意ゲージがマックス超えたよね。

聖母たる佐藤先生を笑うなど許すまじ過ぎる。

 

 

「静ぁぁ!!だいたいお前のせいで佐藤先生のメガネが割れたんだぞ!ちょっとはすまなそうにしろ!そして謝らんか!」

 

「ったぁぁぁ!!何すんだよ!しゅーがどうしても佐藤先生が良いって言うから俺ついて来てやったのに!そしたらメガネが……っぷあははは!錬金術師!メガネの錬金術師!」

 

「この野郎、笑うな!謝れ!悔い改めんか!」

 

「ったたたた!あははは!」

 

 

もう静は笑いのドツボに入ってしまったようで、目に涙を浮かべたまま笑うのを止めない。

そんな静の頭を俺は腕で引き寄せ、グリグリと頭にゲンコツを食らわせてやるが、どうやらそれも効果はないようだ。

 

むしろ、頭のグリグリがくすぐったいのか、面白いのかきゃはきゃはと体をよじらせながら大爆笑するばかりだ。

 

そんな俺達の様子を、佐藤先生は最初は茫然と見ていたが、またすぐに口に手を当てて小さく笑い始めた。

その笑い声に俺は思わず静への攻撃を止め、佐藤先生へと目を向けた。

 

 

「噂は本当みたいですね。朝田君と西山君は本当に仲が良いみたいだ。本当の兄弟みたいですよ?」

 

 

そんな佐藤先生の衝撃の言葉に素早く反応したのは、今まで笑いの渦の中に居た静だった。

 

 

「えー!俺しゅーと兄弟とかヤダー!」

 

「なっ!?俺だってお前みたいなうっさい弟嫌だ!もっとこう……賢そうな子がいい!」

 

「俺だってもっとビビリじゃねぇ兄ちゃんがいい!」

 

 

静が笑いながらそんな事を言うもんだから、俺はまたしても拳に力を込めてグリグリと静の頭にお見舞いしてやった。

しかし、やはりその攻撃に静は痛みではなくくすぐったさのみを感じてしまっているようで……。

静は俺の腕の中で笑いながらめいっぱい体をよじらせるだけだった。

 

そんな静に、いつの間にかやってる俺の方も夢中になっていた。

 

俺は弟なんて居なかったからよく分からないが、確かに佐藤先生が言うように弟が居たらこんな感じなのかもしれない。

俺は佐藤先生がいつの間にか席について、和やかな目でこちらを見ている事など気付きもせず、静とじゃれながらぼんやりとそんな事を思っていた。

 

だから、俺が此処に来た本来の目的を思い出したのは、静とひとしきりじゃれ合った後であった。

 

 

 

 

 

 

 

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「………はぁ、はぁ……はぁ」

 

「……はぁ。はぁ……はぁ」

 

 

 

「落ち着きましたか、二人とも」

 

 

そう、肩で息をする俺と静に佐藤先生は笑いを含んだ声で声をかけてきた。

俺はと言うと、いつの間にか本気になってしまっていた事もあり、マジで息も絶え絶えになりながら、コクコク頷いた。

チラリと隣を見てみると、どうやら静も俺と似たような状況にあるようだ。

終始笑いの中にあったせいか、今は必死に息を吸ったり吐いたりしている。

 

 

「二人とも、落ち着いたのならどうぞ。これを飲んで下さい。少しは喉の渇きも癒えるかもしれませんよ」

 

「……はぁ、あ!」

 

 

佐藤先生の優しい声に、俺は息を切らせながら顔を上げてみる。

すると、そこにはまさかのカップに注がれたコーヒー牛乳様がおしゃれに鎮座されていた。

 

 

「こないだ西山君から貰って、私も気に入ってしまったので買ってしまいました」

 

「わーっ、わー!」

 

 

そう言って佐藤先生が笑顔で机の上に置いた1000mlのコーヒー牛乳パックに俺は思わずテンションが上がるのを感じた。

まさか、佐藤先生もコーヒー牛乳を買ってくれているなんて思いもしなかった。

しかも佐藤先生も気に入ってくれたようだ。

 

その事実が嬉しくて、嬉しくて、俺は飛び上がって先生に駆け寄った。

 

 

「しゅー……何それ?」

 

「コーヒー牛乳!甘くておいしいぞー!」

 

「どうぞ、ソファに座って飲んでください」

 

 

そうやって俺達の前に差し出されたコーヒー牛乳に、俺は騒ぎまくって乾いた喉と疲弊した心を癒すように飲み干した。

隣では静が、ゆったりと目を細めながら「あまいなぁ」と呟きながらカップに口を付けている。

 

文句を言わずに飲みほした所をみると、どうやら気に入ったらしい。

確かに甘いの、好きそうな顔してるもんな。

 

 

「それで?そろそろ、君たちがどうして私の部屋の前に居たのか、聞いてもいいですか?」

 

「……あ」

 

「用があんのはしゅーだけだよ、せんせー」

 

 

佐藤先生の言葉で、やっと追い詰められている本来の状況を思い出した俺は途端に気分が萎んでいくのを感じた。

隣では「俺はなんの用もないんだー」と言いながら勝手にコーヒー牛乳のお代わりを注ぐ静の姿。

 

なので、俺は気まずさも合い成って、とりあえず曖昧な笑顔を浮かべる事しかできなかった。

そんな俺の姿に佐藤先生は何を思ったのか。

 

先生はただ静かに笑みを浮かべながら、俺の方を見て、言った。

 

 

「用が無いのならそれでもいいです。キミがここに遊びに来てくれただけでも先生は嬉しいですよ。西山君」

 

「……せ、せんせい……」

 

 

そんな事を本当に、ほんとうに優しい声で言われたもんだから、俺はまたしても自分の声が情けなく震えるのを聞いた。

また、目の前がゆらゆらと揺れる。

 

これだから、静にもビビりなんて言われるんだ。

まったく。

 

 

俺はコーヒー牛乳を飲みながらもチラチラ俺を見てくる静に、ゴシゴシと自分の目を擦るとしっかりと佐藤先生の方へと体を向けた。

 

怒られるのが怖いなんて言ってられない。

俺は情けなくも後輩にここまで手を引かれて来たのだ。

 

後はどうなれど、自分で何とかしなければ。

俺は息を吸うと、震える拳をしっかりと握りしめた。

 

 

「先生、俺……困ってる」

 

「困っている……?」

 

 

俺は震える声を隠す様にもう一度息を吸う。

そんな俺を先生はやはり穏やかな顔で見ていた。

 

 

「俺、生徒会長……なんけど、ちっともうまくやれねぇんだ。いっつも迷惑ばっかかけるし、失敗するし。やらなきゃいけねぇ事も、自分でやろうって決めた事も、まともにできねぇ」

 

「………」

 

 

言いながら、俺は頭がグルグルするのを感じた。

自分で何を言ってるのかわからないくらい、言葉だけが先行する。

でも、やっぱり先生はジッと俺の言葉に耳を傾けてくれているようだ。

 

目を見ればわかる。

先生が、きちんと俺の言葉を聞いてくれているって。

先生の真っ直ぐな目を見れば。

 

すぐわかる。

 

だから、俺はぐちゃぐちゃな頭でぐちゃぐちゃな言葉を必死に続けた。

 

 

 

「せっかく、アイツが守ってくれてた生徒会だったのに、また俺……失敗しちまって……またダメにしそうなんだ。いっつも迷惑ばっかかけてた筈なのに、いっつもアイツはついて来てくれてた。けど、また俺の失敗のせいで、アイツまで無理して動けなくなっちまって……っ」

 

「………」

 

「先生……俺、文化祭で屋内庭園にステージ作るって約束したんだ!みんなに約束した!誰も我慢しなくていいようにって思って!その方が絶対楽しいだろって思って!けど、俺がダメだったから、バカで役立たずだったから、できなくなっちまった!皆楽しみにしてんのに、アイツは生徒会の為に頑張ってくれたのに!俺がバカだからっ……!」

 

 

迷惑ばっかりかけちまう。

 

 

そう、俺がゆらゆら揺れる視界の中、そう呟いた時。

 

 

カツンという小さな音が俺の鼓膜を刺激した。

それは、俺の隣でコーヒー牛乳を飲みほした静がカップをテーブルに置いた音だった。

 

そして次の瞬間、そんな小さな音などかき消すような大声が俺の耳に飛び込んでくる事になる。

 

 

「屋外ステージってなんかスゲェ楽しそうだな!秀!」

 

 

そう言って満面の笑みで笑いかけてきた静に、俺の心はふわりと浮上した。

 

本当に?

そう思う?

 

 

ふわり、ふわりと跳ねるように浮上する気分に、今度は俺の頭に小さな衝撃が走った。

 

その、頭の上に置かれた大きな手。

それはいつの間にか俺の隣に腰をおろしていた、優しい佐藤先生の手だった。

 

 

 

「君は、まっすぐな人だから、すぐにぶつかってしまうんでしょうね」

 

「え……?」

 

 

俺が先生の言葉に目を見開いた時。

 

 

 

「この学園で、不甲斐ない大人を頼ってくれてありがとう。西山君」

 

 

 

そう言って、先生は俺の頭を撫でながら微笑んだ。

その顔が、何故だか本当に嬉しそうで、俺は目を瞬かせる事しかできなかった。

 

 

ふわり、ふわり。

あぁ、この感覚、凄く懐かしい。

 

何か、やれそうな。

走りだせそうな、そんな気持ち。

 

 

また、走りたりたいと思える、あの気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

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