————–
その頃、A組では。
「おっと、なんかいきなり混んできたなぁ。俺って、もしかしてスゲェ丁度いい時にきた?」
「了さん……コーヒー1杯だけ飲んだら帰ってくださいね」
「おい、おい。それが客への態度かよ?俺、ご主人様じゃねぇの?」
「あぁ、もう……。本当に来るんですから……ビックリしますよ」
そう、急に客で混み合い始めたA組の教室で、哲氏は奥の席に座る男を前に溜息を吐いた。
あぁ、まさか本当に文化祭に来てしまうなんて。
有給を取るなんて言っていた事も、哲氏にとっは半信半疑だった。
わざわざ本気で休みを取ってまで、この学園の文化祭に来るとは思わないではないか。
「……恥ずかしいなぁ」
そう、自らの恰好に脱力する哲氏に対し、了はどこかワクワクした様子で脇に置いてあるメニュー表を手に取る。
「へぇ、こりゃまた凝ったメニューばっかだな。高校の学園祭のレベルも上がったもんだぜ。お前らのその衣装も、もしかして自分達で作ったのか?」
「……そうですよ。凄いでしょう?」
突然、何の邪気もなく教室を見渡しながら褒めてきた了に、哲氏もなんだか得意な気分になって胸を張った。
これを作りあげるまでに、本当に今まで皆で頑張ってきた。
しかも、クラスの一員でもない自分を、快く受け入れ、みんな笑顔で仲間に入れてくれた。
『俺達のクラスで一緒に模擬店やろう!』
あの、一人の少年がくれた、たった一つの言葉がきっかけで、哲氏の日常変わったのだ。
知り合いなど誰も居ないこの学園で、細々と営む借金返済の毎日。
それに、不満はなどなかった。
本当は、もっと酷い状況に陥っていたのかもしれないと考えれば、今の生活は住む所にも食べることにも困らない、不満など待ちようのない生活の筈なのだ。
だが、しかし……
そこには同時に、やりがいも希望もなかった。
同じ事の繰り返しの毎日。
終わりの見えない借金。
『店員君は俺達に接客とか教えて!一緒に模擬店やろうよ!』
それが、あの笑顔と共に変わった。
毎日毎日借金返済の為に働くだけだった自分が、普通の学生だった頃のように学校行事に胸を躍らせる。
誰かの役に立てる。
自分の力を発揮できる場所が目の前に広がった。
しかも仕事中も、いろんな人から声をかけてもらえるようになったりもした。
友達……、と言ってよいものかは少し照れるが、声をかけてもらえる度に心が温かくなる。
哲氏の毎日は……本当に、大きく、色鮮やかに、変わったのだ。
哲氏は、これまでの約2週間の出来事を思い出すと、自然と笑みがこぼれるのを止められなかった。
「へぇ、ちゃんとガキっぽい顔になってんじゃねぇか」
「何ですか、それ」
「いーや、やっと年相応のガキの顔になったかなと思ってよ」
そう、了が楽しそうな哲氏に向かって目を細めた時だった。
了の視界の端に、突然禍々しいオーラを漂わせた人影が映った。
「お冷です!どうぞ!」
そう、勢いよく叩きつけられた水の注がれたコップに、了はポカンと声の主に目をやった。
まぁ、それは言わずもがな学級委員長である新垣なのだが。
了は突然不機嫌さを露わに現れたメガネのメイドに、とりあえず「あー、どうも」と礼を口にする。
しかし、その反応も何か気に食わなかったのか、新垣は憎々しげな表情で了を見下ろすと、そのまま隣に立つ哲氏の肩を抱き抱えた。
「俺のメイドにちょっかい出さないでください、ご主人様」
「……っ!?」
そんな風に突然、自分の隣で独占欲を露わにしてくる新垣に、哲氏の顔は勢いよく真っ赤に染まっていく。
そんな哲氏の表情と、嫉妬の炎に揺れる目を向けてくる新垣に、了は目を瞬かせた。
しかし、すぐに状況を理解すると、またもや堪えるようにつぐまれていた口から、一気に声を吐きだした。
「俺のメイドって……っく、あははは!お前もメイドじゃん!何言ってんだ!それとも、ここは屋敷内恋愛にも寛容なのかぁ?ご主人様の許可は?」
「っな!俺が言いたいのはそう言う事じゃなくて……!哲氏は俺のなんです!どう言う関係かは知りませんが……変なちょっかいは止めてください!……ご主人様!」
「いいいい、委員長さん!?」
そう、もうどうしようもなく顔を赤く染め上げる哲氏に、了は小さく苦笑いを浮かべると、気を取り直したように手元にあるメニューに目を落とした。
まぁ、この学園ならば、こう言う恋も……アリなのかもしれない。
高校生だ。
やりたい事やって、笑って、若気の至りをしまくって。
そうやって歩める毎日は、実は思い返すと心の底から貴いものだったりするのかもしれない。
ただ。
「特製コーヒーと、モンブランのケーキセット。超特急でよろしくー」
高校生の恋敵にされるのは……
ちょっと、ごめんである。
—————
その頃、A組前では
「並んでますね」
「あー、さっきの西山君達の宣伝で人が増えたんでしょう」
蓮見と三木久はズラリと並んだ客の列に、目を瞬かせた。
それほど、A組の前は人でごった返していたのだ。
そんな人ごみの中、教室の前で背の高い、洋風袴のメイド服に身を包んだ少年が、オドオドと整理券を配っている。
女装をしているため隠れてしまっているが、あの体格の良さと顔立ちならば、元はとても精悍なルックスをしているのだろう。
そう、蓮見は背の高い女装少年に思った。
それを裏付けるように、その少年の周りには人が集まり、カメラを向ける人間も少なくなかった。
まぁ、蓮見が精悍な顔つきと称した少年は、生徒会会計の岡崎陣太なのだが。
陣太は急に増えてきた客の対応に追われ、理事長である三木久の存在には全く気付いていない。
多くの人間に取り囲まれカメラを向けられるその状況に、陣太は泣きそうになるのを必死に耐えるだけで精いっぱいだった。
「……仕方ない。少し私から岡崎君に話をつけてきましょう。神埼理事長。少しここで待って居てください」
そう言って、陣太の元とに向かおうとする三木久に、蓮見は勢いよくその腕を引っ張った。
「待ってください」
「っ、は、はい?」
ガシリと掴まれた自分の腕。
その腕を掴んでいるのが蓮見の手であるという事に、三木久の心臓は大きく跳ね上がった。
蓮見とは何年来もの付き合いではあったが、それにもかかわらず、蓮見は一度も三木久に進んで触れようとはしなかった。
それ故、こんな些細な触れ合いにすら心臓を跳ねさせる己の感覚が、三木久にはどうしようもなく恥ずかしく思えてしかたなかった。
これではまるで、小中学生の恋愛だ。
裏返る声とは裏腹に、三木久は平静を装い、自分を見上げてくる蓮見を見下ろした。
「どう、したんですか?」
「どうもこうもありません。せっかく並んでいる生徒さんがたくさん居るのに、私達大人がズルをして先に入るなんて、大人気ないにも程があります。うちの生徒も……やっぱり男の子が珍しいんでしょうね。とても楽しそうです」
そう言って、蓮見の見つめる先には、女装をした陣太と、それを取り囲むようにして集まる神埼学園の制服を着た少女達。
その顔は皆、普段は見せる事のない明るい興奮した表情を浮かべていた。
「イベント事に浮ついてバカになるのは、なにも男の子だけじゃありませんからね」
「っ」
そう、どこか遠い目をして呟く蓮見に、三木久は思ってしまった。
この仕事の鬼と言われる神埼蓮見と言う女性も、かつて、イベントに男に、心を浮つかせた事があったのだろうか、と。
そして、それと同時に頭に浮かぶのは、あの日見た蓮見の信じられないような少女の顔。
あの顔がどうにも悔しくて、三木久はとっさ口を開いていた。
「神埼理事長も、イベント事に……男に浮ついてバカになった事があるんですか?」
「…………」
言った瞬間、三木久を、いつもの何も感情の読みとれない蓮見の目が捕える。
どこか挑むようなその目に、三木久は聞くんじゃなかったと、心に妙な焦りを覚え誤魔化す様に蓮見から視線を逸らした。
故に、三木久は見ていなかった。
次の瞬間浮かべられた、
少しだけ、口角の上がった蓮見の笑みを。
「男がいくら仕事で死のうとも女は、仕事なんかじゃ死ねないんですよ」
「へ……」
そう言うや否や、蓮見は掴んでいた腕を離すと、サラリと三木久の脇を通り過ぎた。
そして、A組の隣に看板を出している“執事喫茶”と書かれた看板の前まで行くと、クルリと振り返り立ちつくす三木久に向かって声をかけた。
「お茶、するんでしょう」
「っは、はい」
三木久はB組の教室へと足を向けた蓮見に、送れぬよう後を追うと、ただただ、先程の言葉の意味に頭を巡らせた。
では、女は何でなら……死ねるのだろう、と。