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その頃、A組では。
喫茶店の持つ、構造的欠点にぶつかっていた。
「もう、遅い!」
「副委員長さん、落ち着いて!」
「落ち着くんだ、長谷川」
2年A組、副委員長、兼、メイド喫茶料理長。
長谷川 治(はせがわ おさむ)。
料理長、そしてA組の副委員長としてその責務を担っている彼は、奥の控室で烈火のごとく怒りまくっていた。
その怒りの原因、それは……
「会長と野伏間!あの二人どこまで宣伝に行ってるんですか!?」
いつまでたっても宣伝と称した放浪から帰ってこない、二人の生徒会役員メイドにあった。
「まぁ、まぁ。落ち着いて。きっと会長も野伏間さんもすぐに帰ってきますよ」
「そうだぞ。待っていればいずれ帰ってくるだろう」
そう、たしなめるように副委員長の肩を叩く委員長こと新垣 真。
しかし、その行動が忙しさの余りイライラの頂点にあった副委員長を更に怒らせる事になる。
「新垣!?だいたいお前が学級委員長だろうが!いつもでも平山さんの後ばっかりついて回るな!」
「仕方ない。俺達は赤い糸で結ばれているんだから」
「っ、ちょっ!そう言う事を大っぴらに言わないでください!」
「あぁぁぁ、頼むから!今日だけでいいから真面目に戻れよ!新垣!?普段はそんなキャラじゃないだろうが!少しは打開策を考えろ!」
副委員長、長谷川は全く頼りにならなくなった学級委員長を前に声を荒げると、控室からチラリと店である教室の中を覗き込んだ。
席は全て満席。
そして外には、来店を待つ大量の客。
控室には手の空いた調理班と接客班。
「……あぁ、もう。どうしろっていうんですか……!」
現在、A組メイド喫茶は、喫茶店たる構造的欠点に直面していた。
それは……
「客の回転が悪すぎる……」
「そうですね……。これはちょっと予想外です」
そう、満席の教室を見つめ呟く長谷川に、同じく哲氏も教室を除きこんで頷いた。
【メイド喫茶】と称して出店している2年A組だったが、そのA組が目指すのは売上、来客総合優勝。
しかし、それは【喫茶】という名目で店を構えるA組には酷く難しいミッションであった。
現在、客席は満席。
【喫茶店】という形式をとっている以上、教室の中に居る客は早々簡単に回せるものではない。
客は軽食を摂ったり、コーヒーを飲んだりと、メイドと写真撮影したりと、各々好きな時間を楽しんでいる。
料理長として必死にメニューを作りあげたせいもあってか、食事の評判も上々。
もともと、防音設備を全教室にあしらってある学園の構造上、外の喧騒も教室内には響いてこない。
落ち着いたBGMも常時、教室内に響かせているおかげで本当に……本当に喫茶店としては高得点を叩きだせるレベルのサービスと空間を作り上げることができている。
しかし、それが優勝を目指すA組の仇になりつつあった。
居心地よく、かつ客寄せとして他のクラスでは出せない女装メイド達によるサービスのお陰で、まったくもって客が回らない。
客が回らないと言う事は、結果、総合的な来客人数も売り上げも伸び悩むという事に繋がるのだ。
「会長。野伏間。早く戻ってきてください……」
ポツリと呟くものの、ここにその二人は居ない。
別に、手が足りないわけではないのだ。
客の回転が遅いので、忙しくもない。
裏には何人もの人間が手持ち無沙汰に休んでいる。
調理班も接客班も人は開店時と比べれば有り余っているのだ。
ただ、今欲しいのは、知恵と、そして統率力。
優勝を目指すと意気込んでいた、あの生徒会長さえ居てくれれば、きっとまた新しい案を出し、何かの突破口を見つけ出してくれるのではないかという期待があるのだ。
「…………優勝、優勝って騒いでいたのは」
外で待たせている客も、待つくらいならとA組の前から徐々に足を遠のかせてしまっている。
「会長じゃないですか……」
そう、自然と漏れた悔し気な声に、隣に居た哲氏も新垣も顔を見合わせた。
『A組、目指すは完全優勝!2位でも3位でもない!明日は絶対総合優勝だ!』
そう言ってクラスで肩を組み合った昨日の夜。
必死に準備してきたこの2週間。
「………どうにかしないと」
別に、優勝を目指さずともよいのではないか。
今、居てくれるお客さんに満足してもらえれば、それで十分なのではないか。
そう行き詰った思考回路は、徐々にその考えを頭に浮き彫りにさせていく。
しかし……
「優勝、したいなぁ……」
「そうですね」
「そうだな」
顔を上げた先に見えるのは “目指せ!完全優勝”と書かれた大きな模造紙。
一番目立つ場所に張られたソレは、控室でも異様な存在感を醸し出している。
【目指せ!完全優勝!】
それは、昨日の夜。
最後の準備を終えた会長が、クラス皆の前で書いた、A組メイド喫茶の最終目標だった。
『よし!これをここに貼っておきます!皆、明日はこれを見てやる気を出して下さい!』
そう言ってへらへらと笑って、模造紙に書かれた文字を満足そうに見つめる会長の姿。
書かれた文字はひょろひょろで、歪んでて、バランスも悪い。
しかし、そこに書かれた目標だけは、本当に立派なものだった。
完全優勝なんて言いだしたのも、
メイド喫茶やりたいと言ったのも。
最初は会長ただ一人。
別に、自分達が言い始めた事ではない。
だから、そこまで必死に優勝にこだわる理由も、道理もありはしないのだ。
しかし……
「………目指せ、完全優勝」
どうして、今こうも自分達が優勝にこだわっているのだろう。
2週間、毎日毎日居残りしながら作戦会議をやった。
メニューを考えては試食して意見を出し合った。
メイド服も皆で作っては失敗してを繰り返した。
『俺達のが一番スゲェよな!だって、こんなに頑張ったんだもん!』
なのに、いつの間にか。
それはA組全員の目標になってしまっていたのだ。
だから、こんなにも今、自分達は焦っている。
今まで笑顔で引っ張ってくれたリーダーが居ないだけで、こうも不安になっている。
「会長……、野伏間……」
早く、戻って来い。
そう、その場に居た誰もが願った時だった。
「平山さーん。さっき来てたお客さんが呼んでるー」
「お客さん?」
突然開けられた控室の扉。
そこから、現在ホールに出ていた一人のメイドが、控室に居た哲氏を呼んだ。
「えっとー、ほら。最初にお店に入って来た時、大笑いしてた男の人」
「あー……了さんね」
「アイツか……」
了さん。
そう、哲氏の口からでた言葉に、途端に憎々しげな表情を浮かべ始めた新垣に哲氏は苦笑した。
だが、その隣で頭を抱える長谷川の姿に、すぐにその笑みをひっこめた。
とりあえず、今は考えなくてはいけない時だ。
考えて、考えて、現状を打破せねばならない。
会長が居なくとも。
皆の目標の為に。
哲氏はそう気持ちを引き締めると、控室に顔を出すメイドに向き直った。
「俺の事、呼んでるの?」
「うん、ちょっと聞きたい事があるんだって」
そう言われてしまえば、出ざるを負えない。
哲氏は当たり前のように後ろをついてくる新垣を無視し、重い空気の流れる控室を後にした。
—————
「おお!哲氏。ちょっと聞きたい事があんだけど」
「何ですか、了さん。俺達、ちょっと今、色々大変なんですけど」
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
顔を見るなり哲氏からは溜息、新垣からはさっさと帰れオーラを浴びた了はヒクリと口角をヒクつかせた。
「客にその態度はねぇんじゃねぇのー?」
「あぁもう!用が無いならさっさとお金払ってください!外でお客さんが待ってるんです!」
「そう言うなって……何か面白い出しモノとかねぇか聞きたかったんだよ。この後何見に行こうかなぁって」
そう、なんともあっけらかんとした態度でパンフレットを広げてくる了に、哲氏は控室の空気との差に、何やら苛立ってしまった。
こっちは客が回らないと手を焼いている最中、この男はどうしてこうもマイペースなのだろうか。
その思考に、最早、了が客と言う認識は欠片もなかった。
「お金置いてさっさと帰ってください!この中年!」
「ちょっ!中年はねぇだろ!俺はまだ34だ!」
「了さんが悪いんだ!全部了さんが悪い!」
「そーだ、そーだ」
何故か滅茶苦茶なブーイングをしてくるメイド二人に了は戸惑いながら、チラリとレジの奥に見える部屋に目をやった。
そこには、暇そうに集まるメイドとその他の生徒が集まっている。
そして、店内には席を長時間陣取る客達。
その二つに了は目の前で苛立ちを露わにする哲氏の様子に少しばかりピンときた。
「あちゃー、なんかお前ら暇そうだな。客、外にけっこう待ってる割に。効率悪いんじゃねぇの」
「しっ、仕方ないじゃないですか!喫茶店は……」
そこまで言うと、哲氏は店内を見渡し、声のボリュームを落としパンフレットを広げる了に向かってヒソヒソと声をかけた。
哲氏のその行為に、隣に居た新垣の表情が若干険しくなる。
「……喫茶店は、お客さんの回転が遅いんです。だから俺達困ってるんじゃないですか。売上とか、来客人数とか……今年は総合優勝目指そうって皆で頑張ってきたのに……。なのに会長は居ないし……もう、どうしたらいいか……」
「……そんな事だろうと思ったぜ」
「早く一人でも多くのお客さんを回転させたいんです。だから早く帰ってください」
「お前……容赦ねぇな」
了はシッシと手を振る哲氏と、奥で余りに余ったA組の労働力に目をやると、そのままフムと顎に手を当てた。
了には、この状況に覚えがあった。
回転の悪い客。
余る労働力。
言い出しっぺの居ない文化祭。
どうしようもない状況。
「なぁ、お前ら。テイクアウトとデリバリーしてみたらどうだ?」
了はポツリとそう呟くと、勢いよく顔を上げてきた哲氏に向かってニヤリと笑いかけた。
「先輩が、17年前の優勝秘伝を教えてやろうじゃないか」
そう言って笑う了は……
哲氏のあの日見た、不貞腐れた高校生の顔をしていた。
—————–
その頃、B組では。
突然の珍客に皆驚いていた。
「理事長!何でこんなところに……?」
「あぁ、ここは秋田君のクラスでしたか。見学もかねてちょっとね、席は空いているかい?」
「っは、はい。こちらにどうぞ」
秋田は、突然B組の教室に現れた女性連れの三木久に驚いたが、すぐに表情を引き締め席へと案内する。
理事長の急な来店。
それは秋田だけでなく、B組のクラス全体を驚かせた。
しかも、驚いているのは城嶋学園の生徒だけでなく……
「あれ、ハスミンじゃない?」
「なんか男の人と一緒じゃん?」
「ハスミンって結婚してたっけ?」
B組執事喫茶に客として訪れていた神埼学園の女生徒達もコソコソと驚きの声を上げている。
その店の端々から聞こえてくる情報をまとめると“ハスミン”というのは、理事長の隣に居る女性の事だろう。
秋田は二人を案内しながらモヤモヤとそんな事を考えていると、いつの間にか奥の空いた席へと到着していた。
「こちらにおかけください。メニューはこちらです」
「秋田君が、まさかこんな格好をして接客をしてくれるなんて思ってもみなかったよ」
「……あ、言わないでください」
ニコニコと、どこか機嫌のよさげな三木久に、秋田壮介は今自分のしている格好に若干慣れつつあった自分に驚いていた。
ハッキリ言って、既に格好の事は全く気にして居なかったのだ。
少しの間とは言え人の順応性に、この時ばかりは秋田もうらめしい気持ちにならざるを得なかった。
しかし、そんな秋田の気持ちとは裏腹に、中央で席をとっていた女生徒の軍団が勢いよく声を上げてきた。
「ハッスミーン!隣の彼氏?旦那―?紹介してー!」
「っちょっと……貴方達」
そう言って楽しそうに笑う一人の少女に、ハスミンと呼ばれた蓮見は疲れたようにため息をついた。
そして、他の客に向かって慌てて頭を下げると、すこしばかり厳しい表情で少女達に向き直った。
「もう!静かにしなさい!よその学校で見苦しい事をしないのよ!」
「ねぇ!明日ハスミンの部屋行くから詳しく聞かせてよー!旦那さんの話!」
「あ!私ハスミンに相談したい事あるんだー!また皆で恋バナしようよー!」
「はいはい。わかったから。ここは喫茶店でしょう。静にしなさい。今日は私も仕事でここに来てるの。貴方達もわかっているの?今日は遊びじゃないの。しっかりこの学園を見学していきなさいね」
「「「はーい!」」」
そう言ってキャラキャラと笑いながら席に着く神埼学園の女生徒達の勢いは、それはそれは男子学生にはない姦しいものがあった。
城嶋学園の生徒は慣れぬ女子のノリに一瞬呆気にとられていたが、すぐに店内はまた落ち着きを取り戻し始めた。
「ごめんなさいね。うちの子達。うるさかったらすぐに追い出してくれて構わないから」
「……い、いえ。そんな事は……。あの、理事長……失礼ですが、此方の方は……?」
突然、学園長連れの女性にすまなそうに話しかけられ、戸惑った秋田は隣に居る三木久に戸惑うような目を向けた。
この方は一体誰なんですか。
そう、意図を込めて見たつもりだったが……。
「……ハスミン……ですか?」
そこには自分以上に戸惑いを隠し切れていない三木久の顔があった。
そんな三木久を、蓮見は溜息をついてスルーすると、同じく戸惑う秋田に向かって笑顔で会釈をした。
「私、神埼学園の理事長をさせていただいております、神埼蓮見と申します。今日はこちらに早目に着いてしまったものですから、お邪魔させて頂きました。今日は、生徒共々、よろしくお願いします」
「あ、そうでしたか。こちらこそ、いつもお世話になっております。何もお構いはできませんが、お仕事までごゆっくりしていってください」
神埼学園。
その言葉に秋田は瞬間的にこの二人の間柄を理解すると、蓮見に向かって深々と頭を下げた。
神埼学園と言えば、この城嶋学園の姉妹校にあたる女子校だ。
そして、自分の思い違いでなければ、この神埼蓮見という女性は理事長の……
「ちなみに、こちらの理事長さんとは、別に婚約者でも夫婦でもありませんので」
「……失礼しました」
そう、自分の考えを見透かしたようなタイミングで口にされた事実に、秋田は一瞬息を詰まらせて頭を下げた。
伊達に30代で一学園の理事長を務めるだけの事はある。
そして、婚約者でも夫婦でもないというセリフに周りで聞き耳を立てていた神埼学園の女生徒達は各々に「つまんなーい」とチラチラと此方を覗きながら声を上げた。
理事長は理事長で、苦い表情を浮かべて分かりやすく肩を落としている。
「さて、やっと落ち着いたわね。あの子達、女子校に居るせいか人の恋愛話にばかり興味を持つのよ。ほんとに、困ったものだわ。やっぱり、そう言うのは男の子達もそう言うものなのかしら」
やっと席に着いた蓮見は、メニューを見ながらおもむろに秋田にそう尋ねてきた。そんな蓮見の言葉に、三木久は今度はどこか驚いたような表情を浮かべている。
蓮見の問いに秋田は、自分と西山秀の熱愛発覚の記事で味わった苦い経験を思い出さずにはいられなかった。
あの記事の影響は、未だにそこかしこにはびこっており、風紀委員会でも秋田と西山は隠れカップルとして扱われている。
本当に、迷惑極まりない話だ。
「……そう、ですね。興味津津と言えば……そうかもしれません」
「そう。それを聞いて安心したわ。高校生の男の子ってどういうものか、この年になると思い出せなくてね。面白い生徒会長さんも居る楽しい学園みたいで、今後が楽しみだわ」
「面白い生徒会長……あの、どこかで西山に会われたのですか?」
「そうね、会ったというか……なんというか」
そう言いながら、クスクスと笑う蓮見に、それまで会話に入って行けず黙りこくっていた三木久がすかさず会話に割って入って来た。
しかし、その目は当たり前のように笑顔を浮かべる蓮見に釘付けだった。
「いやね、西山君がA組のメイド喫茶の宣伝で学園中を走り回ってるのを、私たちがたまたま見たんですよ」
「宣伝……?」
「そう。可愛いメイドさんの格好でね、学校中を元気に走り回ってたわ。名門の城嶋学園にも、あぁ言う生徒会長さんが居るがわかって、なんだか少し安心しちゃった」
「ちょっ……!西山がメイドの格好をですか!?理事長!それは本当ですか!?」
「あぁ。あれは確かに西山君と野伏間君だったよ」
「やってる本人達が余りにも楽しそうだから、思わず私も笑っちゃったわ」
そう、二人の姿を思い出す様に笑う蓮見に、秋田はただただ驚くしかなかった。
A組がメイド喫茶をすると言うのは知っていた。
同じ被服室で、同じように席を隣にして衣装を作っていたのだから。
しかし、それを誰が着るというのかというところまでは全く把握していなかった。
ただ、メイド服という固定概念から、着るのは絶対にクラスの体の小さな生徒達だと思って疑わなかったのだ。
しかし、それは違った。
西山と野伏間。
その二人がメイド服を着て走り回っていたという事実に、秋田は徐々に自分の眉間に皺が寄って行くのを止められなかった。
「……アイツは……いつもいつも……」
この怒りが、一体どこから来るものかはわからない。
というか、この胸にモヤモヤと湧きあがってくる感情が“怒り”なのかも定かではない。
ただ、いつも自分の常識の範囲を、いとも簡単に飛び越えて大声で笑うあの存在が、秋田にはどうしても腹立たしくて仕方なかったのだ。
自分の遥か上を、楽々と飛んでいるように見える彼が……
秋田にとってはどうしても腹の立つ存在として認識されてしまう。
出会ったころから
『ほーら!面白かっただろ!』
気に食わなくて、仕方がない。
「……ックソ」
そう、小声で呟く秋田を視界の端に捕えた蓮見は、またしても口元に笑みを浮かべメニューを閉じる。
三木久は三木久で、そんな蓮見のいつもでは見る事のない表情の数々に、やはり戸惑う事しかできなかった。
「貴方は、生徒会長さんが嫌い?」
「っあ、いや……すみません。そういうわけでは……」
「別に、謝る事でも、隠す事でもないわ。なんとなく、私は貴方の気持ちが分かる気がするのよ」
そう、秋田にしてみれば予想外の同意を示してきた蓮見に、秋田は思わず目を瞬かせた。
あなたの気持ちがわかる気がする。
そう、目の前の初めて出会う女性は言っている。
しかし、この胸の中に渦巻くよくわからない気持ちのうねりは、自分自身でも理解し難いものだ。
それを、彼女は分かると言う。
「……どうして、ですか」
どうして、貴方に俺の気持ちがわかるんですか。
そんな気持ちを込めて発したその言葉に、蓮見はどこか遠くを見るような目で秋田の目を見つめた。
「今の貴方の目がね、どうも……昔の私の目そっくりだったから」
「目?」
「そう、目」
蓮見はそう言ってクスリと笑うと、真剣な目で自分を見下ろしてくる、10代の頃の自分と似たような目をする少年を見つめた。
しっかりしてて、自分に自信があって、でも、何か足りない。
イライラする。
理由はわからない。
そして、また苛立つ。
ここに、10代の頃の自分が居るのだ。
「いつも、いつもふざけてばっかり。問題は起こすし、後先考えない行動ばかりして、周りの迷惑なんて顧みない。どうして、あんな人が、生徒会長になんかなったんだろう」
「っ!」
「決して正しい事をしているわけじゃないのに。正しいのは自分の筈なのに、周りも皆あの人を支持する。やりたい事して、楽しそうに笑って、周りは彼のする事を楽しそうに見ている。先生も皆もおかしい。あぁ、もうイライラする。どうして、どうして、どうして」
“どうして、自分は彼を見ていると、こんなにもイライラするのだろう”
蓮見の発する感情の数々。
それに、秋田は自分の気持ちを覗かれているような錯覚に陥り、反射的に蓮見から目を逸らした。
しかし、そんな事、何の意味もない事だと秋田自身気付いていた。
蓮見は、自分の心を覗いているのではない。
彼女自身の遠い過去を、振り返っているだけなのだから。
蓮見が見ているのは“西山 秀”なんかではない。
“彼”だ。
蓮見の記憶の中に眠る、自分の知る筈のない人。
なのに……
「その時は、どうしてそんなにイライラするのかわからなかった。とりあえず、イライラする気持ちを、本人にぶつけて……それでも、次の日には何事もなかったかのように笑っている彼を、遠くから、またイライラして見つめる事の繰り返しだった。だから、私は彼の事が嫌いなんだろうって思ってたわ。私にない自由を持って楽しそうに笑う彼が……大嫌いなんだろうって」
“大嫌い”そう呟いた蓮見の表情が、一瞬悲しそうに揺れた。
と、同時に秋田も知らぬ間に、西山 秀という男に向ける感情を蓮見の言葉に重ね、ツキリと何かに引っかかったような釈然としない気持ちになった。
嫌い?
自分は、西山 秀が、嫌いなのだろうか。
「……嫌い、じゃない」
そう、とっさに自分の口から出た言葉に、驚いたのは秋田だった。
口にして、己の耳で初めて聞いて認識した、この気持ち。
そんな処理しきれぬ気持ちに、秋田は一人、静かに驚いていた。
そして、その言葉に同調するように、蓮見は秋田の言葉に頷いた。
「そう。嫌いなんかじゃないの。嫌いなら、関わらないだけ。無関心になるだけ。でも、私は彼に無関心にはなりきれなかった。むしろ、ずっと彼の事を気にしていた」
“新谷君、明日はあいさつ運動ですよ。寝坊しないで下さいね”
“新谷君には荷が重すぎます。放送は私がやります”
イライラするのに目が離せない。
ムカムカするのに気になってしまう。
あの頃は、そんな自分に“どうして”の嵐だった。
“新谷君は余計な事をしないでください!”
そう叫びながら、走る彼の後ろ姿を期待して見つめる、自分の目は一体何なのだろう。
蓮見は、未だに逸らされ続ける秋田の目を、しっかりと見つめながら、息を吐き出す様に言った。
「私は、彼が好きだった」
「っ」
「私にないものばかりを持って、全てを笑いとばす彼が羨ましかった。私の予想なんか遥かに超えていく彼が、私には悔しくてたまらなかった」
“ねぇ、ねぇ、制服貸して!文化祭、面白い事するからさ!”
“絶対に、いや!”
「笑う彼の隣に、いつも私は居なかったから。悔しかったんだと思うの。いつも楽しい事の当事者は彼の周りである筈なのに、私はいつも事後報告ばかり。私のキャラじゃないってわかっていても、遠くで笑う彼の隣に立ってみたいと思ってしまった。現実、それが叶わない望みだとわかっているから、私は彼にむかって、そのイライラを発散させる事でしか、彼に関わる事ができなかった」
「……………」
蓮見は、いつの間にか逸らされる事なく、自分の目をしっかりと見つめ返していた少年の目を見た。
少年は、過去の自分自身であり、今まさに、自分と同じ感情に迷いもがく若者だ。
「私も、一緒に何かやればよかった。せっかく彼の隣に立てたんだから、一緒に、やりたい事をすればよかった。変な意地なんか張らずに、私もやりたいって言えばよかった」
わからない感情に戸惑い、苛立ち。
そうして、その感情の在処に気付いた時には、蓮見の前に“彼”はもう居なかった。
蓮見はフッと小さく息をつくと、手元で閉じられたメニューを立ちすくむ彼に向けて差しだした。
「せっかく、あんな面白い会長さんが居るのだから、貴方はとことん彼にイライラしちゃいなさい。イライラしてもいいから、隣に立ってみたいという自分の欲に従って。そう言う相手っていうのは……認めたくないけど、かけがえのないものよ」
「…………」
渦巻く感情。
理解できない気持ち。
目の前で微笑む蓮見。
秋田は未だに西山秀と言う男に対する、己の感情を処理できずに居た。
いつも、自分の目の前に立ち、自分とは正反対の行動ばかりをとる。
立場も、性格も、行動も。
全てが正反対。
いつも相対する場所で向き合ってきたお互い。
そんな彼の隣に立つというのは、
一体どんな気持ちなのだろうか。
『秋田壮介!明日は昼休み、放送室集合だからな!』
秋田は蓮見からメニューを受け取りながら、知らぬ間に口元に笑みを浮かべている自分に気付くと、それを隠す様にわざとらしく咳払いをした。
「ご注文は?」
「コーヒーを一つ」
そう言って笑った蓮見に、秋田は恭しくお辞儀をすると、すっきりとした表情で顔を上げた。
ただ、会話に全くついていけなかった理事長は、やはり……
蓮見の初めて見せる表情の数々に茫然とするしかなかった。