第44話:*****

 

 

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「ちょっと!これ、一体いくつ持っていけばいいんだよ!」

 

「あるだけ全部だ、全部」

 

 

薄暗い部屋の中。

少しだけ埃っぽいそこで、二人の人間が物をあさっていた。

 

一人は袴姿のメイド。

野伏間 太一。

どこからどう見ても男であるが、彼の動作の一つ一つは数時間着てきた袴メイドと長い金髪のカツラという格好に慣れ切っていた。

 

それはもう物凄く。

 

前かがみになり、その拍子に視界の端に落ちてきた長い髪の毛を耳にかける姿は、どうにも自然で、その自然さは野伏間が女装をしているという事実に違和感を与えない一種の原因を作りだしていた。

 

袴姿の為、動きがいちいち小さくなるのも、野伏間の女装を自然な姿たらしめている。

 

そんな野伏間は、現在、棚に大量に並べられている紙コップを、大きな袋へと詰め込んでいる最中だ。

中腰の状態が長く続いている為、若干腰に負担がかかる。

 

野伏間は「全部」という男の言葉に目を見開くと、背筋を伸ばし男の方へと向き直った。

 

 

「……はぁ?ちょっと、それ、本気で言ってんの!?これ全部!?」

 

「お前が文句言うなよ?これはテメェらA組のガキ共から仰せつかったタダ働きなんだからな」

 

 

表情の引き攣ったメイド……野伏間にそう言ってのける、体つきのしっかりした男も野伏間同様、その顔を引き攣らせていた。

 

 

「……白木原さん……ですっけ?どうしてこんな事、貴方任されてるんだよ?おかしくない?」

 

 

野伏間は「あー、疲れた」と愚痴をこぼしながらその場に座り込んだ白木原に訝しげな目を向けると、20個で一セットになっている紙コップを乱暴に袋に投げ入れた。

 

大体、どうして紙コップと紙皿なのか。

A組は喫茶店として、その場で食べ物や飲み物を提供するタイプの出店方法であるため、全て陶器の食器を使用している筈なのに。

 

彼によると、A組メイド喫茶の新しい試みにより不足の生じた紙コップと紙皿らしいのだが……。

 

それにしたってどうしてこんな見ず知らずの男と一緒にこんな事をせねばならないのか。

 

野伏間は無理やり連れて来られた第4売店の裏倉庫で、ひたすら溜息をこぼすしかなかった。

 

そんな野伏間に、白木原はよくぞ聞いてくれましたという勢いでメイド服の野伏間を見上げた。

 

 

「おかしいよなぁ!?俺は客だぜ!?せっかく会社休んでお子様達のお祭りに顔出してみりゃこれだよ!哲氏のヤツ、今度昼飯おごらせてやる」

 

 

そう、苦々しげな表情で呟かれた言葉の中に、野伏間の耳を捕えた単語があった。

 

 

「哲氏って……白木原さん、平山君と知り合いなの?」

 

「知り合いっつーか、なんつーか……仕事仲間的な?ここの学園の売店に商品運ぶのが俺の仕事なんでね」

 

 

白木原は言いながらジャケットの内側からスルリと何かを取り出して野伏間の方へと差し出した。

その、余りにも違和感のない動作に、野伏間も思わず差し出されたモノを受け取る。

 

差し出されたソレ。

それは1枚の名刺だった。

 

 

「株式会社、城嶋運送……白木原了」

 

「そ、この学園の子会社に当たります。御曹司のご子息さんよ」

 

「……別に、うちは御曹司じゃないし」

 

 

ニヤニヤした顔で口にされた御曹司という単語に、野伏間は頭にカチンとくるのを感じた。

どうもこの学園に居ると“金持ちで何不自由なく育ってきた子供”というひとくくりを否応なく受けてしまう。

 

確かに何不自由なく育っては来たが、何も知らない他人からそんな扱いを受けると、さすがに頭にくる。

 

野伏間は受け取った名刺を乱暴にメイド服のたもとにしまうと、笑いながらこちらを見てくる白木原から目を逸らした。

この男が、一体何者で、どんな経緯でA組の為に動いているのかは……ハッキリと分かったわけではない。

 

しかし、何となくもうこの男の事はどうでもいい気がしてきた。

何と言うか……単純に腹が立つのだ。

 

 

「…………」

 

「お?怒ったか?ワリーなご子息」

 

 

野伏間は白木原を視界に入れぬよう、手元に視線を下ろし、またせっせと紙コップを袋につめていく。

そんな野伏間に、白木原は床に座ったまま下の方から野伏間を覗きこむように見上げてきた。

 

 

「おーい」

 

「………」

 

「メイドさーん」

 

「………」

 

「お姫様を振ったメイドさーん」

 

「………」

 

 

ガキか。

そう、思わず怒鳴りたい衝動を抑え、野伏間は眉間をヒクつかせながら袋詰めへと意識を集中する。

そんな野伏間を、白木原はやはり面白そうに見ていた。

 

 

「お前のクラスさぁ、面白い生徒会長居るんだって?」

 

「っ!」

 

 

 

反応なんてしてやるものか。

そう思った矢先、野伏間は白木原の放った聞き逃せない単語に肩を跳ねさせた。

しかも、思わず白木原の方を見てしまうオプション付き。

 

野伏間の目には、どこか先程とは違い嫌みのない笑顔を浮かべる白木原の顔があった。

 

 

「ソイツがメイド喫茶を提案したっつーのも、哲氏から聞いた。その癖、肝心な時には居ないっつってクラスの奴らから文句タラタラだったぜ」

 

「って!会長まだ教室戻ってなかったの!?」

 

「おお、俺がA組に居る時は居なかったみたいだぜ?なんかさー、客の回転が悪くて売上あがらねぇってヤツらがビビりまくってよ。どいつもこいつも『会長が居ないから』とか言ってやがんだよ。お前らのカイチョーさんは相当なバカとみた!」

 

「っば、ばかって言うな!……確かに……ちょっと……そうかもしれないけど」

 

 

白木原の口から語られるA組の状況。

不在という、あの西山の姿を思い浮かべ野伏間はとっさに頭を抱えたい気分になった。

 

一体どこをフラフラしているのやら。

 

 

『また教室で!』

 

 

あの言葉を信じて、今教室に戻っても今、西山はまだ教室には居ないのだろうか。

 

そう思うと急に頼りない気分に襲われてしまった自分に、野伏間は今度こそ本気で頭を抱えた。

どこまで自分はあの頼りない生徒会長に頼り切ってしまっているのだろうか。

 

それは矛盾を帯びた言葉であり、しかし現実、野伏間は西山に先程の悠氏からの告白から続く妙な気持ちのざわめきからずっと西山に会いたくて仕方がなかった。

別に特段、彼に何をしてもらおうと言う訳ではないのに。

 

西山の、あの全てを笑い飛ばすあの快活な笑顔を見れば、この気持ちも少しは落ち着くのではないかという淡い期待を抱いているのだ。

 

 

そんな、どうとも形容し難い気持ちに押し寄せられている野伏間に、ジッと彼を下から見上げていた白木原がハッと鼻で笑った。

その瞬間、野伏間はまたしても眉間に皺を寄せる事となる。

 

 

「おっさん、何だよ……」

 

「おっさんじゃねぇ。まだオニイサンだっつーの。34だけど」

 

「……どーだっていいし」

 

 

そう、ツンとまた目を逸らした野伏間に、白木原は胡坐をかいた膝に肘をつけ、苦笑しながら不機嫌になってしまった野伏間を見上げた。

 

そんな野伏間の姿に、白木原は思った。

 

 

あぁ、昔の自分のようだ、と。

 

 

「お前、カイチョーさんに依存し過ぎなんじゃねぇの?」

 

「……っ!」

 

「いつだって楽しい事は、そのカイチョーさんが運んできてくれるってか。カイチョーさんなら何でもしてくれるってか?」

 

「っうるさい!」

 

 

乱暴に紙コップを詰めていた手がとまり、その怒りに満ちた目が白木原を映す。

しかし、その目は明らかに自分の心を覗かれた、羞恥の色も含んでいる。

 

 

「まぁな、目立ってて面白くて、バカで、行動力もあって……んでもってやっぱりバカで。そう言うヤツって何やらかすかわかんねぇから、一緒に居ると……夢見れるよなぁ?」

 

「うるさいって言ってんだろ!?」

 

「隣に居る自分も……なんつーかいっちょまえに特別な人間になれたような気になるし。優越感ってやつか?とりあえず、そいつといるとそんな良い気分ばっか感じられて、一緒に居たくなる。特に、他の奴よりも一歩リードしたような場所に立ってると特に、な」

 

 

そう、白木原は過去の自分を振り返りながら淡々と口を動かす。

しかし、その口元に浮かぶのは、全てを見透かしているような笑み。

 

そんな白木原を前に野伏間は、酷く恥ずかしい気持ちになっていた。

初めてメイド服を着た時よりも、メイド服を着て悠氏の演じる劇を見て居る時よりも。

 

自分の想い底を他人に言う当てられると言うのは、どんな事よりも、恥ずかしい事だった。

 

 

 

「自分の心を立て直すのに、そいつの“特別”を利用してんだよなぁ?」

 

「黙れっ!」

 

 

体中、羞恥で熱くて死にそうだ。

しかし、顔色はそれと反比例するように青白い。

 

家族から与えられなかった愛情の欠如。

そこからくる不安を、確かに野伏間は西山を使って埋めようとしていた。

 

だからこそ、それを実際、この初めて会った男に図星を突かれ、己の心の卑しい部分と向き合わされるのが、たまらなく恥ずかしくて仕方がなかった。

だから野伏間は気付かない。

 

白木原が見ているのが、野伏間の心ではなく。

彼自身の心だと言う事に。

 

 

柔道と言う、彼の失った“特別”。

これは、それを埋める為にあてがわれた、新谷と言う男の話なのだ。

 

 

 

「自分にあった……失った“特別”をソイツで埋めるんだ。だからこそ、その特別に陰りが見えたりすると……周りは焦るんだよな……。自分の“特別”を他人で埋めようとするから。自分の“特別”が奪われるような気がしてさ。……そいつだけの問題でも失敗でもねぇのによ。目立つ分、そう言うヤツはスケープゴートになりやすい」

 

「…………」

 

「『どうすんだよ、新谷』『何とかしろよ、新谷』ってな。別にアイツだけに乗っかってる問題でもねぇのに……。アイツが笑ってるってだけで。周りは……俺は、何回、アイツにそう言ったかな」

 

「あ……」

 

 

そう、呟く様な声で言葉を発する白木原は、もうハッキリと野伏間を見ては居なかった。

 

白木原は、過去の……17年前の自分を見ているのだ。

 

と、同時に、それはやはり野伏間の心でもあった。

 

 

「……違う」

 

「違わねぇよ」

 

「違う!」

 

「違わねぇ」

 

「……今は、違うんだ……!」

 

 

野伏間は絞り出す様に白木原に向かって叫ぶと、白木原の目が細く薄められた。

 

認めよう。

確かに昔はそうだった。

しかし、今は違う。

西山が、突然何も分からない“役立たず”になってしまってから、野伏間は序所に理解した。

 

西山も……弱い、自分と変わらぬ……一人の人間なのだと。

 

西山の涙が。

足掻きが。

行動が。

 

 

笑顔が。

 

 

この1カ月を通して、全てを教えてくれた。

 

“特別”を与えてくれる彼から。

支えてあげたい彼へと変わった。

 

今は……支え合うために、好きだから……

 

 

傍に居たいだけなのだ。

 

 

 

「今は……本当に、違うんだよ……」

 

「……そう、だな。今は、違うな」

 

 

白木原は野伏間の泣きそうな目に、小さく頷くと、野伏間の目を見ながら、遠い過去を見つめた。

 

 

「クラスの出しモノだってな。別にアイツが居なくったって、やれる筈なんだよ。ヤベェ状況だって、自分達で考えて、考えて、考えて……めちゃくちゃに動いてりゃあ、なんとか糸口は見つかるんだよ。別に……アイツ一人が背負わなきゃならねぇ問題なんかじゃなかったんだ」

 

 

言いだしっぺの癖に。

会長が言いだした癖に。

 

 

そう各々呟いて悔しそうな顔をするA組の生徒達は、17年前の自分達と同じだった。

 

 

新谷と言うスケープゴートを失って、光を失って。

居なくなっても尚、新谷を頼り、押しつける。

 

過去の浅はかな自分に、白木原はただ笑ってやる事しかできなかった。

 

 

 

「居なくなってやっと気付くんだから……本当のバカはアイツじゃねぇ。俺だよ」

 

「………」

 

「変な理想押し付けてねぇで、純粋に……俺がお前を好きなんだぞって気持ちで向き合ってやりゃあ、もうちっと、アイツに無理させずに済んだのかねぇ」

 

 

特別を貰うのではなく。

相手に与えられるような、そんな気持ちで。

自分の気持ちの赴くまま、変な期待などかけずに。

 

“アイツ”に楽しいを与えてやれるような人間で居たかった。

 

 

白木原はいつの間にか取り出していたコンビニの裏倉庫の鍵の束を、またもやシャラシャラと手持無沙汰に扱っていた。

 

その音を、どこか遠くに聞きながら、野伏間は白木原の言葉の一つ一つを心の中に反芻させた。

 

 

「俺が……会長に……特別を、あげる……?」

 

「さぁ、それは今後のお前次第だろ。俺と違ってあげる相手が居るんなら、それも簡単な事だろうな?」

 

「………うん」

 

 

白木原の言葉に、野伏間ははっきりと頷くと、シャラシャラと聞こえる鍵同士の擦れ合う音に心地よく耳に澄ませた。

そして、いつの間にか立ちあがっていた白木原をジッと見上げると、野伏間は口を開いていた。

 

この男に、聞いておきたい事があるのだ。

 

 

「さっき言ってた新谷ってさ、死んだの?」

 

「あぁ、死んだよ。17年前、ぽっくりな」

 

 

軽い口調で返ってきた、予想のついていた言葉。

それに対し、野伏間は好奇心を爆発させた。

 

本当に、単なる、純然たる、好奇心だ。

 

 

「あのさ……」

 

 

特別の対象が居なくなる。

消えてしまう。

 

 

そうなってしまった時、その人に向けられている人間の“想い”は一体どうなってしまうのだろうという。

 

自分は死んでも体験したくない、そんな想いの行く先を。

 

 

野伏間は知りたかった。

 

 

 

「あんたさ、今でもその新谷って人の事、好きなわけ?」

 

「そうだなぁ……」

 

 

そう、白木原は一瞬思考を巡らせるように目を閉じる。

 

しかし。

次の瞬間には、その顔に浮かべた表情と共にはっきりと言葉を紡ぎだしていた。

 

 

 

 

「俺は、17年経った今でも……アイツに夢中だよ」

 

 

 

 

そう言った彼の顔は、確かに笑顔だった。

 

 

 

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