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『すっ、好きです!西山君!ずっと、小学生の時から大好きでした!』
その日、俺は生まれて初めて告白された。
12歳……小学校の卒業式の日。
相手は、顔は可愛いが正真正銘、男。
歳は一つだけ上。
13歳。
縦割り班で、ずっと一緒だった先輩。
小等部の制服姿の俺の前に現れた、中等部の制服を着た先輩。
先輩なのに、6年生の俺の方が既に身長は高くて、久しぶりに見る先輩は相変わらず女みたいだった。
そんな先輩から、俺は告白された。
『西山君、だから……あのね……俺、ほんとに好きなんです』
そう言って顔を真っ赤に染め上げる先輩に、思わず真っ赤になってしまったのを俺は今でも覚えている。
渡辺 悠木。
縦割り班で一緒だった先輩。
女みたいに小さくて可愛いけど、意外と度胸があってやる時はやる先輩。
可愛いものや綺麗なモノが大好きな癖に、それを必死に隠している先輩。
バレバレなのに。
『西山君が中等部に入ったら、言おうと思ってたんだけどね』
あぁ、そう言えば。
縦割り班で勝手にヒマワリの種を植えた事があった。
本当は夏野菜を育てないといけねぇのに。
発案、俺。
実質主犯、俺。
けど、あの時は先輩が一人で先生に怒られた。
俺も一緒に連れて行かれそうになったけど、先輩がかばってくれた。
リーダーは俺です!
そう言って勢いよく俺の前に立ちふさがった先輩。
かっこいいなと思った。
可愛い癖に男らしいじゃんと見なおした。
まぁ、職員室から帰って来た時はシクシク泣いていたけど。
けど、あの時の先輩は今思い出してもカッコ良かったと思う。
『西山君はかっこいいから、中等部でライバル増えたらいやだなって思って……だから、だから……!』
そんな先輩から告白された。
ガキだったあの頃。
大好きなんて言われるのに慣れて居なかった俺はひたすら恥ずかしくて恥ずかしくて。
だから俺は思わず言ってしまった。
『俺はかっこいいから当たり前だっつーの!』
なんて。
返事もへったくれもないような言葉を残して、俺は逃げた。
ドキドキした。
あんなにまっすぐな“好き”を向けられた事なんてなかったから。
でも、逃げながら俺はワクワクした。
もうすぐ、中等部に上がる事に対して。
悠木先輩と、また同じ校舎に居れる事に対して。
また、先輩と……悠木先輩と。
ヒマワリの時みたいに、楽しい事ができるかもしれない、と。
そう、ワクワクしてたんだ。
一緒に、また……。
俺は。
—————-
「まいどー!A組デリバリーメイドですご主人様ぁぁぁ!!」
そう、俺は勢いよく被服室の扉を開け放つ。
注文から約1時間。
俺だったら確実ブチ切れるであろう、その待ち時間だが……まぁ、悠木先輩なら許してくれんだろ。
そんな、軽い気持ちで、俺は扉を開けた。
「……うっわ、会長?」
「あ、西山会長……?」
「へ?女装?」
「メイド……?」
「西山会長が着るヤツだったの?」
「………う、わー……」
けど、久しぶりに入った被服室は……なんとも、どうしようもなく居たたまれない空間だった。
扉を開けた瞬間、一気に集まって来た大量の被服部からの視線。
大きくはないが反応の薄いリアクション。
しかも結構マジで引いてるリアクション。
居たたまれねぇぇ。
「………あ、えーっと」
そう言えば、被服部の連中と一緒にメイド服は作ったものの、サプライズっつー予定だった為、誰が着ると言うのは一切教えていなかった。
まぁ、採寸の関係で部長である悠木先輩だけには事前に伝えて居たものの。
この分だと「極秘だからぜってー誰にも言うなよ」と言う俺の言葉を、先輩はきっちり守ってくれているようだ。
それ故の、この居たたまれなさ。
男の似合わないメイド服こそ、男子高校生の若気の至りの結晶だろ!
と、豪語したのは他でもない俺だ。
だがしかし!
それは皆でやれば怖くないの次元の話であって、リアルに一人でこの微妙なギャラリーからの反応を受けるのはどうしようもなく居たたまれない。
せめて、あと一人仲間が居れば。
野伏間さえ居れば耐えられるだろうに。
俺は午前中に別れた野伏間の顔を思い浮かべながら、自然と出てしまいそうになる溜息を呑みこんだ。
「あー、コーヒーの注文っす。遅くなってすみません。……ご主人様」
俺の袴メイド服姿を見ながら、何と反応したらよいのか困っている被服部の面々に、俺は最初の勢いの半分もないテンションでメイドをやった。
とりあえず語尾に「ご主人様」を付けるだけのメイドを。
「コーヒーの注文数は11だったが、さすがの俺も一気には持ってこれねぇからな。今のところコーヒー6とホットサンドは持って来てやったから、後半分はもちっと待ってろ……ご主人様」
「えっと、会長……何の事ですか?俺達、注文とかしてませんよ……?」
バスケットからコーヒーを取り出す俺に、一人の被服部員がおずおずと声をかけてくる。
その目は終始俺の似合っていないメイド服に向けられているが、その言葉にはかなり聞き捨てならないものがあった。
「はぁ!?んな訳ねけだろ!そっちから配達人俺指定で電話してきただろうが!」
「電話……?誰かA組に電話した?」
俺の言葉に近寄ってきた部員が首をかしげながら、周りの部員に声をかける。
しかし、その反応はどれもさほど変わらず、ただ首をかしげるだけだった。
しかし、その中でたった一人。
奥の方に立っていた1年と思わしき体の小さな被服部員が思い出したように呟いた。
「あ、そう言えば部長が……」
「それだーっ!」
部長が。
その言葉に俺は勢いよく1年部員を指差した。
その勢いに、1年はビクリと体を揺らす。
おい、そんなにビビらなくてもいいだろうが!
お前らの微妙な反応に、俺だって若干傷ついてんだぞ!
「配達人が俺指定っつー事は電話してきたのはお前らの部長だろ。そういや、ここには見あたらねぇけど、悠木先輩はどこだ?」
そう、配達人が俺指定と言う事は、もともと俺がメイドをするっつー情報を知ってないと無理なわけだ。
ここに居るその他大勢被服部員は、俺がメイドをやる事を知らなかった。
だとしたら、電話をしたのはどう考えても悠木先輩しかいねぇ。
俺は改めてキョロキョロと被服室を見渡したが、やはりそこには悠木先輩は居ない。
まぁ、居るとすれば最初の俺の登場の段階で俺に飛びつくなり、駆けよってくるなりして……
あんな気まずい空間になどならずに済んだだろう。
畜生、悠木先輩効果狙って、あの登場シーンは作ったってのに!
「なぁ、悠木先輩どこだ?便所か?」
「あっ、えっとぉ」
「おい、こっちは注文者から、受け取りにサインもらわねぇといけねぇんだよ。悠木先輩の居場所は?」
「……いや、えっと、だから……あー、お手洗い?」
そう、改めて尋ねる俺に、部員達はわざとらしく俺から目を逸らしながらテキトーな事を言う。
明らかにウソっぽい。
何だ、これ。
滅茶苦茶腹立つな。
しかも、これ。
「お前ら、何か隠してんだろ」
そう問うた瞬間、部員達の間の空気が引きつるのを感じた。
何やらソワソワしている。
どうしても俺と目を合わせようとしてこない部員達に、俺はヒクリと眉をしかめた。
「ご主人さまの命令でコーヒー持ってきたのに、そのご主人様がいねぇっつーのは様になんねぇなぁ?」
「えっとぉ、部長は、もうすぐ戻ってくると……」
一番近くに居た部員に、俺はズイと顔を近づける。
被服部は全体的に小柄なヤツが多いため、必然的に俺が腰から屈んで顔を近づけることになる。
「何か知ってんだろ?お前ら」
もうすぐ口と口がくっつくのではないかという距離の相手に、問う。
普段なら真っ赤に顔を染め上げるであろう相手も、この時ばかりは顔色が悪い。
「……言えよ、ご主人様の居場所」
「っ」
俺だって伊達に、あの魔王秋田と張り合ってきた生徒会長様だ。
けっこう、目力は……
強い方だ。
「部長は……さっき……」
ジッと俺から目を逸らせなくなった部員が、絞り出すような声を上げる。
尚も俺は、そいつの目を見つめ続ける。
死ぬほどの、至近距離から。
「さっき、どうした?」
「親衛隊のメンバーに……連れていかれちゃいました」
「親衛隊?俺のか?」
「……多分」
そう、恐る恐る頷く部員に、俺はやっと顔を離してやった。
親衛隊。
俺の親衛隊。
何となく、良い予感はしねぇなぁ。
「で?部長さんは何て言って出ていった?」
「ファッションショーまでには戻るから……大丈夫って」
「へぇ」
俺は、なんとなくその時の悠木先輩の顔が想像できて、思わず笑ってしまった。
きっと、顔はひきつらせながら……でも平気そうな顔で、出て行ったに違いない。
あの、ヒマワリの時のように。
あの時も、今も。
形は違えど、悠木先輩はリーダーだ。
似合わない事この上ない。
すぐ泣く。
泣き虫なリーダーだ。
「ちょっとご主人様のとこ行ってくるから……まぁ、お前らは……」
「……は、い」
俺はビシリとある場所を指差すと、ニヤリと口角を上げた。
その瞬間、被服室に居た部員たちが、自然と俺の指の先を目で追う。
「そこのファッションショー用のスゲェカッケー洋服をさ。そろそろ鹿鳴館に運んだ方がいいんじゃね?映画部の次だろ?」
「っ!」
そう、俺が言ってやれば部員達は大きく目を見開いた。
俺の指差す先には、4着分の、系統豊富な洋服達が飾ってある。
これを、ずっと悠木先輩達は作っていた。
ファッションショーは、被服部の晴れ舞台だ。
悠木先輩の、最後の晴れ舞台。
「コーヒーは……まぁ、また淹れなおしも出来る。でもコッチはやり直しがきかねぇ。鹿鳴館の管轄はあのクソ真面目な秋田だ。準備は怠るな?しっかりお披露目の準備してこい!後から部長も連れてってやるからよ!」
「は、はい!」
俺は返事をした部員達に拳を向けると、
勢いよく被服室から飛び出した。
『俺が、リーダーですから!』
あの時、一人で怒られてくれた悠木先輩。
今度は、一緒に怒られてやってもいい。
俺は、怒られ慣れてるからな。
—————-
少年は気付いていた。
自分が好きな人から嫌われている事に。
でも、諦めきれない自分が居る事に。
少年は気付いていた。
どうしても傍に居たくて、親衛隊なんてものを作ってしまった事が、その原因だと。
軽い気持ちだった。
縦割り班の時のように、何か傍に居る事のできる大義名分が欲しかっただけだった。
けれど……。
『もう俺に近寄んな!親衛隊なんかウザったいんだよ!』
嫌われてしまった。
怒りに満ち溢れた言葉が、少年の心を突き刺す。
しかし、それでも少年は彼の傍に居たかった。
あの、小学生の頃の縦割り班の時のように……そんな贅沢は許されないとわかっていても。
誰からも好かれ、羨望の眼差しを向けられる彼の傍に居たかった。
眩しい、彼の隣に立って、居たかったのだ。
好きなのだ。
一緒に、笑って、喋って、たまに、イタズラに巻き込まれて。
そんな、何気ない日常を過ごせたあの頃に戻りたかった。
しかし、時間は容赦なく流れていた。
彼がやって来た中等部。
少年が発足させた親衛隊。
新しい環境。
性を敏感に感じ始めるその瞬間。
彼は、少年の手の届かぬところに行ってしまった。
たくさんの手が、彼を求める。
自分と同じく、彼を求めるその手が。
少年には、何故か自分とハッキリ違って見えた。
『好きです』
その言葉も、どこか違って聞こえた。
傍に居る為に作った組織。
しかし、そのせいで少年は、好きな彼を、遠くに、本当に遠くに感じる事しかなかった。
————–
「渡辺、やっぱりアンタに親衛隊隊長を任せた事が、間違ってたみたい」
「…………」
悠木を囲むように立ちはだかる、自分と同じ制服を身に纏った生徒達。
悠木はその一人一人を小さく見渡すと、ヒクリと眉を寄せた。
どれもこれも、嫉妬に歪んだいびつな目を自分に向けてくる。
その目に、悠木はいつも違和感を感じてきた。
生徒会長親衛隊。
西山 秀の親衛隊のメンバー。
悠木の属する集団の名前。
同じ志を持つ、仲間
の筈なのに。
悠木はいつも、いつだって、この集団の中で自分を異分子だと感じていた。
何故だろう。
自分も、この周りの人間達と同じように、西山秀を好いている筈なのに。
「それ、もう何回も聞いた」
「……何度も言わせないで」
悠木は仲間と呼ばれる集団の向けてくる目を見たくなくて、ただ静に俯いた。
中等部の頃から、ずっと、所属してきた集団。
ここに居るのは悠木同様、中等部から親衛隊に属する古株ばかりだ。
それこそ最盛期は100人以上居た親衛隊のメンバー。
その大量の人間のそれぞれが、西山秀と言う人間に魅せられ、恋していた。
そんな親衛隊はここ数カ月で大きく変わった。
変わってしまった。
原因は転校生、
朝田 静。
静が現れてから、親衛隊の数がグッと減った。
静を構い、生徒会の仕事を放りだした西山に、裏切られたと去って行く者は多かったのだ。
悠木はそれが悲しくもあり、悔しくもあった。
自分の好きな人が、他人から嫌われる。
好きだと言っていた仲間の目から西山の姿が消える。
それは本当にどうしようもない焦燥感を、悠木の中に生んだ。
しかし、去って行くメンバーの背中を楽しそうに見送る人も居た。
ライバルが減ってやりやすくなった、と。
西山 秀を本当に愛しているのは……自分なのだ、と。
それが今、悠木を囲む……親衛隊の古株達。
彼らは本当に西山 秀と言う人間に傾倒していた。
求め、求め、恋焦がれていた。
そんな中、悠木はそんな周りと自分の秀に対する想いに温度差を感じていた。
『好きです!小学校の頃からずっと大好きでした!』
気持ちは、あの頃のままなのにどうしてだろう。
どうして、自分は周りの人間と……こうも違和感を覚えてしまうのだろう。
「渡辺。あんたが隊長だと、僕達、いろいろと動きずらいんだよね。他のメンバーも、皆そう思ってる。ねぇ、何度言ったらわかるの?」
「あの、さ。今は………ちょっと色々忙しいから、その話、後にしてくれないかな」
そう、悠木は腕につけている時計に目を落としながら言う。
時間に余裕はあるものの、ステージの前に、余りゴタゴタは長引かせたくない。
本来ならば、もう荷物の移動や美容部との打ち合わせもしていなければならない時間だ。
面倒事は、勘弁してほしかった。
そんな、迷惑そうな色を含んだ言葉に、悠木を囲んでいた親衛隊の一人は、みるみるうちに表情を歪めさせていった。
彼は親衛隊の副隊長という肩書を持つ少年だ。
ユラリと彼の目の中で蠢く衝動は、嫉妬と名のつく感情から来るものだろう。
悠木はまたしても、そんな彼の目から視線を逸らすように顔をうつむかせた。
「っ渡辺!あんた隊長だからって良い気にならないでよ!?ちょっと秀様に近付けたくらいで……規約違反も大概にしなよ!?」
「………被服部の件は……あれは別に、準備の一環だから。秀様と二人きりってわけじゃないし……今までの事だって、別に……」
「規約違反は規約違反でしょう!?メイド服作りだか何だか知らないけど、そういうところで一人だけ勝手な行動されちゃ、他のメンバーの示しがつかないのよ!?しかも、その中にはあの朝田静も居るって話じゃない!渡辺、あんたわかってんの!?朝田だよ!?僕達の敵でしょう!?」
「………」
高い声が、悠木の鼓膜をこだまする。
言葉の意味がさっぱりわからない。
規約。
そう言えばそんなのあったな。
悠木は俯いたまま頭の片隅に、ある記憶の糸をたどった。
親衛隊の隊員たるもの、抜け駆け、その他会長との勝手な接触は禁止。
変な規約だ。
秀を好きな人間が集まっているのに、この規約がある意味がわからない。
秀に少しでも近づきたくて親衛隊を作ったのに、どうして。
いつの間に、こんなになってしまったのだろう。
答えの分からない、その問い。
親衛隊の人数が増えて行くにつれて、いつの間にか出来ていた規約。
もとい、暗黙の了解。
悠木の違和感は、その規約が出来上がり始めた当初同様、今も心の中に燻り続けていた。
「朝田がうろちょろしてんのに、あんたはなんで何もしないのよ!?アイツのせいで秀様はおかしくなったのに!」
「……秀様は……別に今は、おかしくないでしょう?しっかり生徒会のお仕事されてるし……それに、静とも普通に、仲良くなってるだけみたいだし。前みたいに変な感じ、しないから……大丈夫だよ。秀様、ほんとに楽しそうで……俺は嬉しいけど」
「渡辺!あんた、やっぱおかしい!」
おかしい。
その言葉に、悠木はずっと燻り続ける違和感と温度差をその身に感じ、一瞬息の詰まった気がした。
朝田 静は敵。
秀様をたぶらかして、親衛隊を差し置いて勝手なことばかりするから。
だから、朝田 静は敵。
そう、目の前の親衛隊のメンバー達は言った。
しかし、悠木はそれにも違和感があった。
確かに悠木も、朝田 静は嫌いだった。
大嫌いも大嫌い。
そして、改めて言うならば、今だって悠木は静の事が気に食わない。
しかし……。
それは、秀をたぶらかしたからでも、親衛隊を差し置いたからでもなかった。
静が……西山 秀を変えてしまったからだ。
あの、悠木の好きだった西山 秀の目を、行動を、笑顔を。
全てを変えてしまった。
確かに、静の方ばかり見て、静しか見えて居ない秀にも憤りを感じた。
悠木はそれを、周りの隊員達が言うような“嫉妬”だと、最初は思っていた。
好きな人を奪われた、嫉妬、だと。
しかし、それは違った。
悠木は朝田静が嫌いだった。
そう。
だった、のだ。
「朝田静は……別に何もしてないじゃん」
「渡辺……!」
あの日、秀がメイド服の制作を依頼しに来た日。
悠木は思いきり、朝田静を殴った。
嫌いで、嫌いで仕方なかったのだ。
こんなヤツのせいで、あの大好きな秀が変えられてしまったのかと思うと悔しくもあった。
だから……殴った。
そうしたら、静は泣いた。
そりゃあもう、大声で。
その声にも悠木はイライラした。
叩いた手はジンジンと熱を持っていたが、痛みは感じなかった。
しかし。
そこへ、西山が現れた。
そして、目が、
合った。
『っ』
その瞬間、悠木は痛みの無かった右手が、ジンジンと痛みだしたのを感じた。
現れた秀は……もうずっと前から、悠木の好きだったあの頃の目に戻っていたのだ。
『悠木君!悠木君!』
雰囲気は違っていたが、あの目は変わらず、悠木の好きな太陽のような、明るい目に戻っていた。
文化祭の為に、最高の文化祭を作るために。
必死に駆け回る秀の姿は、悠木の好きな秀のままなのに。
つい、カッとなって静を叩いた。
秀の目を見た瞬間、悠木は静の頬を叩いた右手が、嫌に痛むのを感じた。
嫌な……痛さだった。
その痛みで、悠木は自分が間違った事をしたのだと気付いた。
静は関係ない。
確かに静は秀が変わったきっかけかもしれない。
しかし、それは結局、静の知るところではないじゃないか。
だって、こんなにも近くに静が居るのに……
あの頃の秀が……戻ってきているのだから。
大好きだった、あの頃の秀が。
本当は、もうずっと前から……
『悠木君!コーヒー牛乳買いに行こう!』
『悠木君!ファッションショー成功するといいね!』
『悠木君!』
悠木君。
そう、呼ばれる度に悠木は自分がこの上ない程に満たされて行くのを感じていた。
こんな気持ち、久しぶりだった。
あの小学生の頃の縦割り班の時に感じた、あの満たされた気持ち。
ワクワクする、あの気持ち。
悠木の好きだった秀が、今もここに居てくれる。
そう、思うと。
もう、悠木には朝田静なんてどうでもよくなった。
嫌いではある。
気に食わなくもある。
けれど、それだけだ。
西山秀とは関係のない次元で、ただそう思うだけ。
関係ない。
親衛隊の規約も。
この、今感じる違和感も。
温度差も。
「会長親衛隊隊長として言うよ。朝田静は関係ない。無駄な手出しは……しない方がいい。秀様の……お友達だから」
お友達。
そう、自分の口から自然と出てきた単語に、悠木は思わず胸を締め付けられるような感覚に陥った。
その気持ちの原因は、何だかわからない。
そして、原因を考える暇も、悠木には与えられていなかった。
「あんた!?バカじゃないの!?お友達?笑わせないでよ!前からずっと思ってたけど、あんた本当に秀様の事好きなの!?どうでもいいんじゃない!?」
「そんな事ない。俺も秀様の事は好きだよ!大好き!」
「ウソ!一番最初にあんたが親衛隊作ろうって言いだしたから、隊長やらせてるけど、あんた他の親衛隊の隊長とどっか違う!なんか、おかしい!変!」
「俺は変じゃない。変なんかじゃない……ただ、俺は秀様が好きなだけ」
「っおかしい!少しは……少しは自分を知れよ!」
眉間に皺を寄せた、怒りに満ちた表情。
一途な目。
そんな周りのメンバー達の目を間近で見た悠木は、その瞬間ハッキリと悟った。
自分は……彼らとは違う、と。
彼らのソレが恋焦がれるものの目だとしたら、自分は……確かに、それとは違う。
「渡辺!もう、あんた以外の全親衛隊メンバーで決めさせてもらった!渡辺悠木、本日をもって、あんたを会長親衛隊から……」
そう言って、悠木の目の前で振りあげられた手。
その手が、悠木めがけて振り下ろされる。
それを、悠木はどこかスローモーションを見ているような感覚で見ていた。
嫉妬と怒りに狂った片思いの彼ら。
仲間と思っていた者達の見ている、夢見る先と、自分の夢見る先は……今、違った。
「除名する!」
パシン
小気味の良い音が、悠木の鼓膜を揺する。
元、仲間だった者の振り下ろされた手。
悠木はそれを、
片手で受け止めていた。
「っな!」
「ごめん、俺。叩かれるの嫌なんだ。痛いし」
振り下ろされた細い手首を、それ以上に細く小さな悠木の手が掴み、ピクリとも動かない。
悠木は相手の腕を掴んだまま、しっかりと、今度は俯くことなく親衛隊メンバー達の目を見つめた。
好き、好き。
大好き。
そう、思って同じ気持ちを持つ仲間を集めた。
けど、それなのに、その集団は悠木の思ったものとは違っていた。
否、もともと。
悠木が異なっていたのだ。
「……うん、皆の言う通りかも」
「……渡辺?」
「俺は……親衛隊に居るべき人間じゃない」
「……っ」
悠木のそれまでにないハッキリとした態度。
悠木のそんな態度にメンバー達は黙るしかなかった。
「俺……親衛隊辞めます」
シンと静まりかえる、その空間。
遠くから屋外ステージで奏でられる楽器の音、観客の声援。
外界から遠く離れているような感覚に陥りそうになる、校舎の一角。
しかし、次の瞬間。
その空間を打ち破る声が、その場に
響き渡った。
「おうおう、辞めちまえ。辞めちまえ。そんなクソつまんねーもん!」
「っへ!?」
思いもよらず聞こえてきたその懐かしい声。
その声に、その場にいた全員が声のする方へと視線が釘付けになった。
「秀……様?」
「何で、メイド……?」
「なに、あれ……?」
その、悠木を囲んでいた親衛隊メンバーの口からポツポツ零れ落ちる共学の言葉に、メイド服姿で仁王立ちしていた秀の顔が、みるみるうちに曇っていった。
この反応、この気まずさ。
何度目であろうか。
その中で、唯一彼のメイド服姿を一度、試着の段階で見ていた悠木だけは……自然と零れてくる笑みを隠しきれなかった。
「秀様、よく似合っていらっしゃいます!」
「当たり前だろうが!俺のデザインだぜ?それを俺が着てんだ、似合わねぇわけねぇだろうが!」
西山は表情を若干引き攣らせながら一歩一歩己の親衛隊と呼ばれる集団へと近付いて行った。
その瞬間、今まで威勢の良かった親衛隊のメンバー達の勢いが、一気に削がれて行くのを、悠木はその肌で感じた。
好きな人に、大変な所を見られてしまった。
しかも、朝田静の事を堂々とどうにかしてやろうと叫んでいる事も聞かれてしまった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
そんな、焦りが彼らからは見てとれた。
好きな人から、嫌われてしまうかもしれない。
そんな、焦りに満ちた焦燥感を。
しかし、西山は彼らの様子にかまう事なく歩を進める。
「俺、昔言ったよな?親衛隊なんか大嫌いだって」
「っ!秀様、違うんです!」
「これには訳が……!」
そう、オロオロと泣きそうな表情になりながら弁解をする親衛隊のメンバー達に、西山はピクリと眉を動かして溜息をついた。
「勘違いすんな!これを言ったのは、そこのお前らの真ん中に居る悠木先輩にだけだ。別に他の奴らの事をまとめて言ったんじゃねぇよ」
「へ?」
「どう言う……こと?」
訳が分からないと言った様子で不安そうな目で西山を見つめる親衛隊の中で、悠木だけはスッと、過去に言われたあの日の言葉を思い出していた。
「『もう俺に近寄んな!親衛隊なんかウザったいんだよ!』」
知らず知らずのうちに呟かれていた、その言葉に、悠木自身ハッとしたように顔を上げた。
あの時、西山は、どうして怒ってしまった?
あの日の言葉がショック過ぎて、前後の記憶が綺麗に消えてしまっているが、どうして西山は、あの日あんな風に怒ってしまった……?
どうして?
悠木は記憶の糸をたどるように、そして西山に答えを求めるように、ジッと西山の目を見つめた。
あの日、どうして西山秀は、
怒ってしまったの?
「俺の親衛隊なんて言ってる癖に、俺はいっつも除け者でよぉ。ぜんっぜん面白くねェんだよ!お前ら!」
「っ!」
そう、勢いよく叫ばれた西山の言葉。
その言葉に、悠木は細かった記憶の糸の、その先を見つけた気がした。
————–
あの日、悠木は西山に伝えた。
今日、貴方の親衛隊を作りました、と。
たくさんの人が入って、たくさんの人が貴方の事を好きなのだ、と。
すると、西山は笑って言った。
『なぁ!俺の親衛隊って、何すんだ!?何か面白い事すんのか!?俺もなんかしたい!』
そう、まだ12歳だった彼はワクワクした顔で、笑った。
それは、悠木の好きな、あの顔だった。
悠木は嬉しかったが、悠木は親衛隊長として言わなければならない事を西山に伝えた。
あなたは、何もしなくていい。
全て自分達でやりますから。
あなたは、ただ私達にしてほしい事があったら何でも言ってくれればいい。
ただ、その場合はまず自分にそれを伝えて欲しい。
そうしたら、こちらで全て解決しますから。
だから、貴方は
『何もしなくていいんです』
そう言った瞬間、今まで笑っていた西山の顔が一気に曇った。
そして、徐々に怒りに満ちた。
何もしなくていい?
自分達で何でも決めるから。
『だから、俺は関わるなって事かよ!?』
何だ、何だ。
なんてつまらないだ、親衛隊なんて。
何もするな、関わるな。
そう、言ってしまえば自分は除け者でなはいか。
西山は、小等部の頃の、あの縦割り班のような気持ちで親衛隊を捕えていた。
皆で、何か面白い事企画して、面白い事をやる組織だと思っていたのに。
除け者扱いで、自分の知らない事で面白い事をやってしまうような、そんな組織……
『もう俺に近寄んな!親衛隊なんかウザったいんだよ!』
そう、顔を真っ赤にして、どこか悲しそうな顔をした西山は叫んでいた。
少しだけ、泣きそうな顔をして。
叫んでいた。
—————–
「秀様……」
突如として、鮮明に開けてきた記憶の光に悠木は、目が覚めたような気分だった。
あの時の、西山の声、表情、気持ち。
それを、全て自分は忘れ去っていた。
言葉だけを、ずっと心に持ちかえっていた。
今ならわかる。
あの時の西山は……今の自分の求めている気持ちと、同じものを求めていたのだ、と。
悠木は一歩、また一歩。
親衛隊の集団から足を踏み出すと、いつもの自信に満ちた笑みを浮かべる西山の前まで歩を進めた。
そして、呟くように声を絞り出した。
「また。一緒に、遊びたかったんです」
そうだ。
あの頃みたいに、一緒に何かしたかったのだ。
「小等部の、縦割り班の時みたいに。一緒に……秀君と、遊びたかった」
好きだ。
大好きだ。
あの眩しい笑顔が、楽しそうな笑い声が。
一緒に笑いあえる、あの時間が。
「だから、俺……秀君と、友達になりたかったんです」
恋人なんかじゃない。
キスしたいんじゃない。
セックスしたいんじゃない。
ただ、手を繋いで、走ってみたかった。
だから、悠木は友達みたいに西山の隣に立つ、朝田静が羨ましくて、羨ましくて……仕方が無かった。
だから、被服室で共にメイド服を作っていたあの時は、本当に、本当に楽しかった。
「秀君……。俺と、友達になって」
悠木がそう、なんだか泣きたい気分で口を開くと。
秀はニコリと笑って悠木の手を握った。
「喜んで!悠木君!」
そう言った時の彼の笑顔は、何とも言えない、あの頃の彼の顔、そのままだった。
そして。
そんな二人の様子に、親衛隊はただ、ポカンとする事しかできなかった。