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※ある廊下にて2
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「大丈夫ですか!?神埼理事長!」
そう、突然聞こえてきたその、低い男の声に、今まで茫然としていた了はハッとした。
やはり、目の前には、あの懐かしい旧友が居る。
小学校、中学校、果ては高校までも学舎を共にしてきた、神埼蓮見が。
「……あー、わり。みどりちゃん」
「……その呼び方、止めてって言ってるでしょう。白木原君」
了、いや……白木原は目の前で尻もちをつく蓮見に手を伸ばすが、蓮見はその手を冷ややかに一瞥すると、自力でその場に立ちあがった。
「あの、大丈夫でしたか?怪我はありませんか、神埼理事長」
「いえ、ただ転んだだけなので」
異常なまでに心配そうな表情を蓮見へと向ける男の顔。
その顔を、白木原はどこかで見た事があるような気がした。
「あの」
「は?」
ジッと男の顔を見ていた白木原だったが、突然その男が、どこか厳しい表情を作り白木原を見てきた。
その顔は、先程まで蓮見へと向けていたモノとはまるで違う表情だった。
「危ないじゃないか。女性を突き飛ばすなんて、どうかしている」
「あー、すみません。別に突き飛ばしたつもりはなかったんですけどねぇ」
「そのつもりが無くても、現に彼女はキミに突き飛ばされた」
「……どう言ったもんかねぇ」
問答無用で自分を問い詰めてくる男に、白木原はどうしたものかと頭を抱えた。
どうにも、白木原は現在、女を突き飛ばした乱暴者として、この目の前のどこか見た覚えのある男に責められているようだ。
しかし、すぐに男は白木原の視界から消えた。
蓮見が、男の前に立ちはだかったのだ。
「城嶋理事長。私が余所見をして、彼にぶつかったんです。……まぁ、彼も私同様、余所見をしていたみたいですけどね」
そう、白木原の前に揺らぐことなく立つ蓮見の視線に、白木原は、手にしていたケータイをスルリとポケットへしまい込んだ。
本当に、蓮見の目は昔から抜け目ない。
そして、強い。
「だから、悪かったって言ってるだろ。みどりちゃん」
「みどりちゃんじゃないって言ってるでしょう。白木原君、あなた、まだそんなもの飲んでるの?」
「まぁな。なかなか旨いんで、ハマっちまったんだよ」
「……へぇ、そう」
蓮見はどこか探るような目で、白木原の持つコーヒー牛乳を見ると、すぐにソレから目を逸らした。
懐かしい、そのパッケージ。
店で見る度に、思い出される、過去の人間。
そんな、何ものにも言い難い蓮見の気持ちの揺らぎを、白木原はなんとなく感じ取った。
そして、それは蓮見の背後に立っていた男、三木久には見る事はできなかった。
ただ、初対面ではありえない親密な様子を醸し出す二人に、三木久は一人焦っていた。
猛烈に、焦っていた。
「神埼理事長。彼とは……お知り合いですか?」
お知り合い、と言う部分を妙に強調して問うてくる三木久に、蓮見は面倒臭そうに眉を潜めた。
紹介などしたくはないが、しなければならない雰囲気になってしまっている。
あぁ、面倒な事この上ない。
男の嫉妬など、見苦しいにも程がある。
「あぁ、彼は……昔の同級生です」
「同級生、ですか」
「どうもー」
そう言って、訝しげな目を向けてくる三木久に、白木原はなんとなくこの男が誰なのかを悟った。
確か、コレはこの学園の学園長だ。
仕事で確か一度会った気がする。
城嶋 三木久。
学園長の割に若い男だという事で、妙に印象に残っている男だ。
そして、誰なのか分かった瞬間、この男への興味は失せた。
もともと興味はなかったが、正体が分かってすっきりした。
故に、白木原は自分の幹事としての役職を思い出し、今度は蓮見の方へと目をやった。
「みどりちゃんさぁ、今日のヤツ何でこねぇんだよ?」
「……あー、ちょっと色々あってね」
「俺とみどりちゃん、唯一の皆勤の常連メンバーなのに、残念だねぇ」
「ほんとにね」
そう、本気で残念そうな顔をする蓮見に、背後で黙って聞いていた三木久は思わず声を上げた。
何とも聞き捨てならない会話が、今目の前で成されたような気がするが気のせいだろうか。
いや、気のせいではない!
「ちょっと待ってください!」
「あ?」
突然、声を荒げてきた三木久に、白木原は眉を潜めて顔を上げた。
何と言うか、いちいち面倒なくらいうるさい男だ、と言う印象が白木原の中で定着しつつあった。
「ちょっと、神埼理事長!今日の約束の相手って……もしかしてコイツですか!?」
しかも、半初対面の相手に“コイツ”ときた。
白木原の中で、関わり合いたくない度数が、徐々に増してゆく。
「……そうですよ。だからって、別に城嶋学園長には関係ないでしょう」
「関係ありますよ!だって俺と貴方は……!」
そう、三木久が声を荒げた瞬間。
蓮見はとっさに目の前に居た白木原の腕を取った。
その行動に、三木久も、そして腕を掴まれた白木原も、共に目を見開く。
ただ、蓮見だけが澄ました顔で、白木原の腕に体を密着させるだけだった。
「そうなんです。今晩は、彼との約束だったんですけどね。彼ったら仕事で断ったのに、どうしても私に会いたいからって、ここまで来てくれたみたいなんです」
「は?」
「は!?」
蓮見はショックを受けたように顔を引き攣らせる三木久に、心の中でガッツポーズをした。
婚約など、ハッキリ言って面倒な事この上ない。
そして、この目の前の男の、自分へと向けられる好意も、また然りだ。
だとしたら、ここで、白木原を利用して……その好意を終わらせてしまったほうが……きっと、とても楽だ。
蓮見は三木久同様、現状について行けずにいる白木原の腕を、更に強く握りしめると、心の中でほくそ笑んだ。
“みどりちゃん”と呼び続ける、その腹いせに……このくらいの演技に付き合わせるのも一興だろう。
「でも、せっかく来てくれたんだし、私の仕事が終わるまで、一緒に居てくれると心強いわ。これから、私大事な挨拶を控えているの。ね?いいでしょ、了?」
「……えっと……」
「ね、一緒に来て!終わったら、一緒に予約したホテルでディナーでもしましょう?ね!了!?」
突然の名前呼び。
突然の恋人のような扱い。
突然の、男からの嫉妬と殺意に満ちた目。
しかし、そんな男からの激しい劣情に満ちた目よりも、更に蓮見の目は強かった。
“話しを合わせろ”
そう、その目は、笑顔は語っていた。
そんな、蓮見の有無を言わせぬ目に、白木原は若干、引け腰になりながら……
「あ、あぁ。わかった……」
頷いていた。
やはり、この神埼蓮見という女は、昔から……
強い。
白木原はグイグイと腕を引っ張って、自分の向かうべきではない方向へと導いてくる蓮見に、意味もわからずフラフラとついて行く。
すると、今度は隣に駆け寄って来た男……三木久の目を見て激しいデジャビュを感じた。
人生は短い。
何歳になろうとも、好きな事をやり、笑って、感情の赴くままに生きていくのが、最高の人生の秘訣だと思う。
ただ。
「みどりちゃん、ちょっと距離とった方がいいんじゃねぇの?」
「もう、照れちゃって。いつもは貴方の方からくっついてくる癖に」
「………………へぇ、そうなんですかー」
良い年した大人の恋敵にされるのは……
ちょっと、ごめんである。